進化する魂

フリートーク
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生きるということが善なら、完璧な答えなんてあるわけない

2011-04-18 16:32:53 | スピリチュアル
つぶやきもしたがブログでも語る。

池田信夫氏は、もともと批判されることが多い人だが、今回の原発でも相変わらずだ(笑)
ただ、批判者は最初から彼に対して偏見を持っているようで、内容を見ると感情的な批判が多い。

例えば、この記事を読んで欲しい。
この記事の本質的な内容は、当Blogでも何度も繰り返した人間の持つバイアスの話である。
念押ししておくが、著者が語りたいのは人間は全てのリスクを公平に評価していないというバイアスの話である。

世界は史上最も安全である - 『リスクにあなたは騙される』(池田信夫)
(http://p.tl/-zdT)

[前略]

このようなバイアスには明らかな法則性があり、その原因は進化心理学でよくわかっている。人間の脳は旧石器時代から進化しておらず、人々は感情で動くからだ。

あなたの脳の中には、旧石器時代から変わらない反射的な感情(古い脳)と、新しい知識を学習して論理的に思考する理性(新しい脳)が同居しており、まず行動を決めるのは感情である。特に強い感情は、恐怖である。これは命を守るためのメカニズムなので、理性を超えて強く作動する。だから「放射能がくる」などとわずかな恐怖に訴えることが、メディアが売るための常套手段である。

古い脳のもう一つの特徴は、変化率に反応することだ。これは進化の戦略としては合理的である。外界から入ってくる情報は膨大なので、それをすべて処理することはできない。画像圧縮と同じように計算を省略し、変化する部分だけを認識して動く相手から逃げるのだ。このため人々は、ありふれた大きなリスクより新しい小さなリスクに強く反応する。

しかし統計的にみると、人類は歴史上もっとも安全な世界に住んでいる。1900年にアメリカで生まれた子供の20%が5歳までに死んだが、その比率は今では0.8%である。日本の平均寿命は1900年には44歳だったが、今は82歳である。「癌の死亡率が上がった」と騒ぐ人がいるが、それは他の病気で死ぬことが減ったからだ。客観的リスクを評価するには、変化する「事件」に過剰反応するバイアスを自覚し、新しい脳を使って数字を見ることが大切である。


しかし、多くの批判者は池田氏が原発事故の被害を過小評価していると批判する。
これは本質的に批判する内容を間違っている。

原発事故の被害を正確に捕捉することはもちろん非常に重要だ。
それはそれで事実ベースで議論すればいい。

ただ、彼がここで問題にしているのは「原発事故の正当な評価」ではなくて「原発と他のものとの間での正当な評価」である。
「原発の被害は大きいか」ではなくて「原発の被害が他と比べてどの程度大きいか」「被害全体を減らすためにどういった政策が望ましいか」という話である。

なぜこのようなバイアスの話をする必要があるかは、冒頭に書いてある。(私も震災後に取り上げたネタだ)


9・11のあと飛行機に乗る人が激減し、人々は自動車など他の交通手段を利用した。その結果、死者は減っただろうか? 残念ながら2001年の9月以降の1年間に、アメリカで飛行機の代わりに自動車を使った人は1595人死亡した。同じ距離を移動する交通手段としては、飛行機がもっとも安全であり、自動車がもっとも危険だが、人は一挙に多くの人が死ぬ事故でリスクを評価する。

このようなバイアスが、もっとも愚かな政策を生んだのが、本書のテーマである「テロのとの戦い」である。イラク戦争では民間人を含めて数万人の死者が出たが、テロの犠牲者は全世界で年間300人前後で変わらない。これは1年間にプールで溺死するアメリカ人の数より少ない。平均的なアメリカ人がテロで死ぬ確率は1/10000以下だが、これは落雷で死ぬのと同じぐらいの確率である。


この意見に対する反論として「だからといってテロを警戒しなくてよいということにはならない。」というものがあり、それはその通り。
テロを警戒しないと、より大きなテロが起きる可能性もあるからだ。
だが、テロを警戒することが同時にテロよりも多くの被害者を生んでいるという事実にも目を向ける必要があるということだ。
(テロの怖さはここにある。戦争で勝つ必要がない。人々の心を実効支配できればよいのだ。)

「なんだ?結局お前も答えのない話じゃないか。」と思った人がいれば、少し思考の訓練が足らないようだ。
この世に、完璧な答えなんてない。
例えば、生きるということを善として考える。
しかし、人は100%死ぬ。死亡率でいえば100%。
だから放射能や交通事故や排ガスや癌で死ななくても、必ず何かで死ぬ。
今日、あなたが脱線事故で死ななかったら、明日交通事故で死ぬ確率は上がる。
かりに20年間は交通事故で死ななかったとしたら、癌で死ぬ確率は上がる。
人は必ず何かで死ぬ。
生きるということにこだわる以上、死に関わる全ては襲いかかってくる恐怖になる。
そして、それから逃れることはできない。

生きるということが善なら、完璧な答えなんてあるわけない。
だから人々は宗教に頼る。
よりよい生とは何かを考える。
人生の意味を考える。
そうやって生きていくしかない。

我々にできることは、何によって死にたいかってことと、そのために何ができるかってことを冷静に議論することだけだよ。

もともとリスクに関する議論は迷走しがちだ。
人間の予知能力はたいしたことがないし、知性も理性も完璧からは程遠いレベルだ。
我々が限定合理性の中でしか判断できないことは、議論の前提中の前提。
だから、どんな人も議論する際には少し謙虚になった方がよい。
できれば、原発に関しても、もう少し冷静な議論を心がけたい。
もちろん私もだ。