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進化する魂

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桜の「はかなさ」について

2011-04-12 17:02:31 | スピリチュアル
桜の「はかなさ」について。

日曜日は花見日和であった。桜のあるところに人々がにぎやかしく集まり、酒を飲み交わし、一時を楽しむ。満開の桜の美しさが人々を引き寄せるのだろう。また、人はよく「桜のはかなさ」を人生のいろんなものと重ねて感傷に浸る。満開の桜で現在を分かち合い、散りゆく桜を見て行き交う時を感じ入る。時にそれは日本の美学とも言われる。

しかし、「桜のはかなさ」とは何であろうか。「はかなさ」とは、桜の花が散る様を見て語られるものだが、果たして、桜の花が散る様は「はかないもの」なのだろうか?

桜は1年を通して「休眠(秋)」「休眠打破(冬)」「生成(早春)」「開花」というプロセスを辿る。桜が美しく咲くために、冬の寒さと春の暖かさが重要な役割を果たす。つまり桜の美しさと四季の移ろいには深い関係がある。日本人が桜、四季、そして人生を重ねたとしても不思議ではない。

だが、桜のプロセスを理解すれば、桜の違った側面が見えてくる。桜の花が咲くのは昨年の夏につけた花芽の成長の結果であるが、桜の花が散るのは、次の花を咲かせるための準備である。桜の花が散るのは1つのプロセスの終わりであると同時に新しいプロセスの始まりでもあるのだ。そしてそれはより大きなプロセスの一部でしかない。

桜の花が咲くのは1年を通してわずか数日間ほどのことでしかないが、そのために1年間準備をしてきたことに想いを馳せると、私には桜吹雪が、まるで桜が皆のために新しい季節のはじまりを祝っているように思えてならない。卒業生が謝恩会で先生や在校生に催し物をするのを見て「はかなさ」を感じないように、私も桜の花が散るのをみて「はかなさ」を感じることはない。


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