一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

「内発的」

2007年09月09日 | Weblog
 夏目漱石の講演集の「現代日本の開化」の中の‘内発的’という言葉が強く私の触覚を動かしました。本の中では文明開化にからめて‘内発的’という言葉が使われていますが、ここでは‘内発的’という箇所だけ引用させて貰います。
 ‘内発的’というのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かうのをいい、また‘外発的’とは外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取るのを指している。(注1)
 ‘内発的’は波動を描いて進んでいくといわなければならなくて、甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新しい一正面を開いたといってよろしい。したがって従来経験し尽くした甲の波には衣を脱いだ蛇と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。(注2)
 ‘内発的’は自然と内に醗酵して醸されたもの。(注3)
 私はこの‘内発的’が「自己の安らい」のキーワードのような気がします。内から自然に出て発展するので、自分で作り出すのではなく自然に出てくるのを待ってなくてはなりません。また甲の波が乙の波を呼出すのも、いつ呼び出すのか自然に任せて待ってなければなりません。ですので、自分にはもちろんですが、他人にもその人が‘内発的’に機が熟すまで待ってあげることが、他人との関係で大事だと思います。
 良寛さんの逸話に次ぎのようなのがあります。
良寛さんが解良家に泊まったとき、良寛さんは難しいお経の話をしたり説教がましいことは一切いわず、ただ家のなかで何をするでもなくぶらぶらしたり、坐禅をするだけだったけれども、良寛さんがいるだけで、みんな仲良くなって、帰った後もほのぼのとしていた。また良寛さんと話した後はとてもすがすがしい気分になったといわれています。
 また「正法眼蔵 弁道話の巻」に次の言葉があります。
「また、心境ともに靜中の証入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の仏事、人身微妙(みみょう)の仏化をなす。」(注4)
『どんな微かなものでも動かさず、どんなものでも個々の相を破壊することなしに。』(注5)
 私は良寛さんのようにも、「正法眼蔵」的にも、他人に対してその人が‘内発的’に機が熟して自然にその人本来の姿で生きられるように、その人のこころを浸食したり自然に反する自分の個人的影響を与えないように、坐禅をして自立していきたいと思います。

注1:夏目漱石「21世紀の日本人へ 夏目漱石」株式会社昌文社 30頁
注2:同上                         38~39頁
注3:同上                          41頁
注4:西嶋和夫「現代語訳正法眼蔵 弁道話の巻」金沢文庫 20頁
注5:同上                      25頁参照