一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

『いま ここ』

2007年06月29日 | Weblog
 猫の魅力を一番感じるときは、何と言ってもあの混じりっ気の無い目で見詰めてくれるときです。ごはんをくれと催促するときでも遊んで遊んでと見上げるときでも私が何かをしているのを眺めているときでも目と目が合ったときでも、それぞれの瞬間は百パーセント私と向き合ってくれています。人間だったら相手と向き合っていても、何割かは相手の方でなくて自分の方に向いています。こういう見方をしたら相手に変に思われないかな?とか、一生懸命やると疲れてしまうから少し手を抜いてみようかな、とか相手の裏を読んだり計算したりしています。
 あの混じりっ気の無い目は『いま ここ』に百パーセント心も身体もある目です。相手の裏を読んだり計算したりすることは、『いま ここ』ではありません。『いま ここ』にはそういう余裕は無いはずです。猫が自然界で他からどう見られるか、手を抜こうか、などと考えていたら、敵に殺されてしまいます。
 「正法眼蔵 谿声山色(けいせいさんしき)の巻」に、「桃華ヲ一見シテ自リ後、直ニ如今ニ至リテ疑ハズ」と書かれています。霊雲志勤(れいうんしごん)禅師が真実を求めていろいろな寺院を渡り歩いて一所懸命努力している中、山の麓で一休みしていたときに、目の前に見渡す限り咲き誇っていた桃の花の素晴らしい情景を観て悟った言葉で、今までは、あれこれと先のことを考えたり過去のことを考えたりして、迷いに迷っていたけれども、そういう難しい問題はいいんだ、『いま』を一所懸命やればいいんだ、ということに気が付いた、ということです(注)。
 人間も本来は自然の一部である以上、『いま ここ』にあることが一番自然のような気がします。とにかくあの混じりっ気の無い目を見たらどんなに疲れているときでも心が暖かくなるのは、『いま ここ』が人間にとっても一番自然だからと納得しています。

注:西嶋和夫「正法眼蔵提唱録 第一巻下 二版」金沢文庫202~203頁。

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