一主婦の「正法眼蔵」的日々

道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ

猫は「じーっと」している

2007年06月25日 | Weblog
 猫は、何もない時はじーっとしています。起きていても、目を閉じたまま耳やしっぽをピコピコ動かしながら、じーっとしています。室内飼いの猫は、やるべきことが少ししかありません。ごはんは飼い主がくれるし、風呂は入らなくてもいいし、去勢されているので雌猫を探しにいかなくてもいいから、ほとんどやるべきことはありません。ですから、ほとんどじーっとしています。やるべきことといったら、飼い主にごはんをくれと催促することと、おしっこ・ウンコをすることと、家の中をパトロールすることくらいです。玄関のチャイムが鳴ったものなら猫にとっては一大イベントです。
 人間は、仕事もしなくてはならない、食事も作らなくてはならない、風呂にも入らなくてはならないので、ほとんどじーっとしている時間はありません。が、この「じーっと」に何か大事なものが含まれている気がします。ですので、私は、暇な時は、テレビを観るでもなく本を読むでもなく音楽を聴くでもなく、「じーっと」しています。寂しいなぁ、携帯でもかかってこないかなぁ、と思いながら、静けさを楽しむほどではありませんが、「じーっと」しています。寂しいからといってだれかに電話をしたりすると、後で虚しさを味わうことの方が多いのです。
 「正法眼蔵 八大人覚(はちだいにんがく)」に「楽寂静(らくじゃくじょう)」があります。静かさを楽しむという教えです。この世はもともと寂しくて静かであると言うのです。今の時代は、寂しいと、あ、いけない、楽しい事を探さなくちゃ、みたいな風潮がありますが、私は猫みたいにとことん寂しさの中に自分をおいてみたいと思っています。
 先日テレビで作曲家の武満徹のことを放送していましたが、その中で、「作曲とは、我々を取り巻く世界を貫いている音の河を取り出すようなものである。作曲とは、作るのではなく、聞こえてくる音を取り出すのだ。命や自然を聴くことが大事である。」と言っていました。命や自然の音が聞こえてくるためには、「じーっと」が不可欠のように思えるのです。
 やっぱり、猫が「じーっと」しているのには、何か大事なものが含まれている気がしてなりません。