人には普段言わないけど・・・・
というより、人間って
「本当に気にしてることは言わない」んだよね・・・・
好きな漫画にそんなセリフがあったなあ。
その通りかも、と思って読んだ。
人をうらやましく思う、ことは
私の中でもっとも(?)恥ずべきことなので
うらやましく思わないように、思わないように
生きてる気がする。
・・・てことは、実はうらやましいんじゃん!って話。
うらやましい、と思うなら
「自分もそうあろう」という努力をすればいいだけのこと。
その努力が出来ないのは、自分の実力不足だし
「それを持ってる」その人は、きっと
見えない努力や苦労もしているに違いない、と思う。
何が何でも手に入れたいもの、なら
持ってる全部を捨てて、取りに行けばいい。
うらやましがってるだけで動けないなら
「それだけの価値がない」とあきらめなくちゃ。
どれだけの時間がかかっても、
手に入らないものはない、と思いたい。
ただ
努力なしで生まれつき「持ってる」人もいれば
人の何倍もやらなきゃ、人並みになれない人もいる。
それでも「アレがほしい」なら、
人の何倍もかけて近づく、しかないじゃない。
もしくは、あっさり「ソレ」をあきらめて
自分に近そうな宝物を取りに行けば、どんなにラクか。
私は運動が苦手で・・・
足も遅いし、球技もスペシャル級にドヘタ。
体育の時間はホントに嫌いだった~
でも、大人になって
体育の時間がなくなったら
もう二度とやらなくていいんじゃん!と。
人より少ーしだけ出来たのは、国語と音楽。
「そっちを選んだ」わけじゃなく、
「好きだから続けてる」間に
音を作ったり楽譜にしたり、が何となく出来て
自分にとっては特別でも何でもないことなのに
「すごいー」とか言われるようになり
それでも、「もっとすごい」人たちは
ものすごく上にたくさんいる、ことを知ってるので
自分が「出来る」なんて全然思ってないんだけど
「私が、必要とされる場所」がそこここにある、という
うれしい現実も知った。
・・・・そういう、努力で手に入るモノの話、をする時
なぜか心がモヤモヤする自分がいることに気付く。
今さら手に入れるのは困難なこと、を
私が欲しがってるから。
もっと勉強したかったなあって思う。
いや、勉強だけなら自力でも出来る。
大学で学びたかった。
もっと言えば、学歴とか経歴とか資格、
そういうものがあったら・・・という場面に
何度もでくわしたから。
「どうせ持ってても使わない」とかいうのは
持ってる人だから、言えること。
使わなくてもいいの。
持っていたかった。
「高卒」というコンプレックスが、あるにはある。
気にすることじゃない、
だから何?って取るに足りないことだとわかっていても
手に入らないから、憧れるんだと思う。
結婚する時、夫の両親は
すんなり私を認めてくれたのだろうかと
長い間、思っていた。
25年が過ぎて、自分という人間を知ってもらい
今は、私でよかったと思ってもらえてる気がするし
夫にも「しあわせでしょ?」と、自信を持って言える。
(たいした女じゃないのに、よく言うよ・笑)
親の望むとおりに生きようとしてた「いい子」の私。
高校生の自分には、必要とは思えなかった「大学」。
自分で選んだことだから後悔しない、といつも言うくせに
これだけは・・・
駄々をこねて「行かせて!」と泣きついてみたら
どうなっていただろう?と想像する。
成績が悪かったわけじゃない。
行きたい道、なりたい職業、は
漫画家とかミュージシャンとかだったから?(・・・うそ)
必要ない、と思ってたけど
もし大学に行ってたら、「そこからの、開ける道」が
何かしらあったような気がして。
(・・・・何もない、ことの方が多そうだけど)
だから、子供たちには
好きなだけ勉強させてあげたいと思ってた。
外国に行きたければ、行かせてあげたいし
遠くの大学だって、行きたいなら構わない。
(もちろん、「何となく」で進んでもらったら困るけど)
望む道を行かせてくれる親御さんを持った人を
うらやましく思う反面、
「好きなことをする」つらさや苦労もわかっているから
気楽ではないだろうと察してもいるが。
話はかわって
クラシック音楽の世界って、めんどくさいんだなって
ここ数年で出会った「そういう」人たちを見て思う。
大学がどこか、そもそも大学で学んだか、が
時々「重要」になる、ことは仕方ないとして
あの人のアレンジが、あのソプラノの歌唱が、
あそこのポルタメントが、過剰なフェルマータが、と
「ちゃんと勉強してないから」あれはありえないよね、と・・・。
クラシックは「正しい音楽」の世界だと、大人になってから知った。
そんなの、「好き勝手」じゃいけないの?
楽しく、思いのままに、歌うことがいけないなら
窮屈な世界だなって、ものすごく、感じた。
いや、ホントは、その人が、
知識をひけらかしてるように見えた、ことがイヤだったのかも。
だって、その場面ではどうしても、
一種の悪口にしか聞こえなかったから。
実は昨日、「のだめ」のDVDをみた。
何度もみたのに、やっぱり声に出して爆笑しちゃう。
とても面白くて、大好き。
・・・そして、そこにも、そんな面倒くさい世界があった、んだけど
それでも
多くの「演奏を聴く」場面で、
のだめや千秋やシュトレーゼマンや龍太郎やターニャが、
「すごい・・」と認めて感動する、のを見て
私は、とても純粋なモノを感じたんだ~。
人を、認める。感動を言葉にする。
そして、自分も高みを夢見る。
・・・穿った見方で粗を探す、ような
「人の本性」とも言える卑しいキモチは
そこにはなかったから。
自分が出来ないことを人には言うな、と
子供たちには教えてきた。
自分に出来ないことを、人が出来るなら
純粋な気持ちで誉めてあげるべき、と付け加えよう。
勝ち負けが明確なスポーツとは違って
音楽や、そのほかの芸術分野のことって
誰にもあきらかにわかる、ものではない。
専門家にとっての優劣はあれど、
その場にいた人がいいなあ、と感じたなら
それは「その人に必要な」音楽、だったのだなあと思うし
何より大事なこと、じゃないかな。
高いチケット代を払って一流のオケを聴いたところで
何の興味もない人にとっては、真の値打ちがわからない。
でも「よかった」って感じるなら、それだけで価値がある。
同じように、一流の人から見たら粗雑な音楽でも
それによって癒される人がいるなら、
「あってよかった」ものになる。
クラシックの道を行く人は
「正しい」音楽を、学ぶことがあるべき姿なんだろう。
私が「正しい」CNくんを知りたがるのと同じに
(いや、わかりやすく言えば、の話よ?笑)
興味があって、やりたいこと、なんだろうと思う。
そしてまた別の場所には
違う意味合いの音楽をやりたがる人がいる。
楽譜が書けない、というミュージシャンの作る歌。
ダミ声でもオーバーアクションでも
そのスタイルが、ほんとに素敵だと思うし
才能に溢れてる。
のだめみたいに、
めちゃめちゃだけど人の心を掴むピアノ、は
王道を行く人には、邪道だろうけど
「正しい音楽」って縛りを取っ払えば
そこにあるのは「純粋な感動」になる。
学歴も経験値もなく、
学歴や経験値のある人から「いいね!」と言われるには
人並みはずれた実力が必要なんだろうな。
ちょっとうまい、くらいでは干されてしまう世の中。
でも、経歴があったら、実力以上の評価をされることもある、
それも世の中。
どのくらい上達してるのか、TOEICみたいに点数でわかれば
これからの目標がハッキリするのに・・・。
こんな私が、
防音室がほしいと、言えるだけの価値、
のある人間なのかどうか・・・・(笑)
(ソコ、に行くつもりはなかったのに
結局そういう締めになっちゃった)
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