blog-atom 2

…漁師アトムの航跡… ~ある沖乗り漁師の綴記~

弥生3月

2006年03月05日 | ブログ

弥生3月、我が家の庭の福寿草が咲きました!

しかし本格的な我が家への春はもう少し後です。

20060305_185647094_1 20060305_185455032_2 とりあえず、

あと1週間?

明日からは、

南三陸沿岸の春漁(イサダ漁)が始まります。

今年の春漁はあきらめたものの、

わかめの収穫にイサダ漁、仲間達が漁に出る中

漁に出られないのは、何か取り残されたようで

寂しい感じがします。


回顧記 16話 「北洋Ⅲ」!

2006年03月04日 | 船上回顧記

今年は親子3人が揃って北洋に!

自宅で航海の安全と大漁、そして健康を祈願し

ささやかな祝杯をあげ、各自の乗船する船が

気仙沼港から函館港へ向け出港しました。

この年には母船式サケマス漁船の減船問題が出始め、

出漁を見合わせた船がいた中、

親子3人が別々の船で出漁できる事は

運が良かったようで、

「こういう時こそ特に気を付けて働くこと!」

父は我々、兄弟2人に念を押して言った。

函館港には、すでに各地のサケマス漁船が集結しており

前年より数隻少ないとはいえ、やはり迫力ある光景!

次の日から始まる網の連結作業を前に、早速

夜の函館の街へ繰り出しました!

前年、同じ船でお世話になった方が、今年は違う船で

一足先に函館に来ていました、その方と一緒に街へ!!!

その方には、その後の船員生活のいろいろな事で

お世話になり、今でも兄のような存在です。

函館港滞在中は、日昼作業、夜は街へ、というパターンで

滞在4日目、明日は出港という夜に

我々親子と親戚の宴会が父主催で行われました。

父がとても喜んでいた事が忘れられません!

これが親子揃って旅の港で交わした最初で最後の宴!

その後の船員生活で親子3人が共に旅の港で会う事は

ありませんでした。そして出港!!!

自分にとっては2度目のサケマス漁、操業も順調にこなし

「北洋」での操業を無事終え、8月、自宅で親子が揃い

無事航海を終えた事を祝い、弟が「イカ流し漁」

父が「マグロ延縄漁」自分は「サンマ漁」と、それぞれの

漁に移行して行きました。

そしてこの年が最後の「母船式鮭鱒漁」となり

函館港での宴も、若かりし日の漁師生活の良き思い出として

今でも時々、当時の沖乗り漁師の花形「北洋」

自分なりに思い浮かべることがあります。


回顧記 15話 「近海Ⅱ、鮪漁」!

2006年03月02日 | 船上回顧記

遠洋と違い近海の延縄漁で漁獲した魚は

尾を切らず、エラの内部と内臓だけを取り除き

エラと腹に氷を入れ、魚体をナイロンフィルムや

冷凍紙で包み、周りに氷をかぶせて魚を積んでいく

「氷蔵浸け」が当時の主流でした。

(今は冷水と氷に浸けてくる「水氷浸け」が人気)

急速冷凍した魚と違い、生魚は潰れたり、魚体温度で

氷が融けて魚の肌がやけたり、魚艙を冷やしすぎて

魚が凍ったりと、氷の使い方と魚艙の温度管理が難しく、

冷凍長と機関長は、かなり神経を使います!

この航海は八丈島沖~房総沖~金華山沖と

漁場を移動しながらの操業で、最終回の操業後

3日程で気仙沼港に入港しました。

氷蔵船の水揚げは翌朝の入札に間に合うように

夜間に行われますので、一旦帰宅して

水揚げ開始時間に合わせての集合ですが

機関長だけは船に残ります。

水揚げを終えて、自宅までの車の運転は

疲労と睡魔に襲われ途中で車を止め仮眠して帰りました。

翌日からは鮪漁の漁具をはずし、次の漁への

転換準備作業が始まりましたが

その作業の最中に、新たに乗り組む人を紹介されました!

自分より年の若い人と一緒に仕事するのは初めてです、

「ますます頑張れよ!」「ちゃんと面倒見てな!」

漁労長から言われ、若干緊張した事を憶えています!

船を上架(ドック)し、転換準備作業を終えると

ペンキで白塗りされた船体のサイド喫水部に

赤の船団マークが映えて「北洋」のシーズンに

心が躍りました!