海が穏やかになり、
南三陸の各沿岸では
うに漁が行われた!
我が町では、6月21日、25日に続き
今回で今年3度目のうに漁。
「私は今年の初漁ですが!」
久々に箱メガネでのぞくと
昨年のうに漁の時よりも
海草が多くなっており
磯やけが進んでいると心配していたが
いくらか安心しました。
今日は海がとても穏やかで
最高のうに漁日和でしたので
各浜とも前回より水揚げ量が
増加したようです!
6月11日
(7時30分釧路出港)
2航海目の始まりです。
14時30分、チェックポイントで
再度臨検を受けて北上、漁場に向けた。
6月14日
(大時化)
1航海目から良い凪が続いていたが
一転、大時化となった。
操業中の各船もパラ泊中らしい。
6月15日
(2航海目の投網開始)
18時から投網開始!
凪も良くなって
2航海目の操業が始まった。
6月18日
(沖へ移動)
16日、17日と2回揚網したが
鮭の割合の良い沖寄りに移動となった。
17日の揚網後、鮭の処理を終えたのは
日付けが変る時間でしたので
移動せず連続操業していたら
睡眠時間は無かったはずで、
この移動は漁労長の「情け」に思えた!
こういう優しさがある漁労長なのです!
6月24日
(割り当て漁獲量到達)
今年の割り当て漁獲量に到達し
漁労長の「終りだよ!ごくろうさん!」
の声があがり、操業最終回となった。
2航海目の操業回数は9回でした。
帰途航海中は、操業中にいそがしくて
手の廻らなかった筋子の箱詰め作業!
作業中は、操業を終えた安堵感で
会話にも余裕がうかがえた。
しかし今年から乗船した25歳の若人は
両手の人差し指、中指の爪が抜ける寸前でした。
ハードな操業をよく頑張りました。
これからも漁師を続けていくのであれば
良い経験になったと思います。
6月26日
(ペトロ沖で臨検)
監視船から臨検の連絡があり
またも臨検である。
1時間程で無事終了し、
凪良く帰航、釧路に向けて!
6月29日
(8時、釧路入港)
21時からの水揚げに備えた。
6月30日
(八戸廻航)
釧路港での水揚げを終え、
母港八戸港に向け廻航!
20時、八戸港に入港し、今年の
鮭鱒漁の切り揚げとなった!
5月29日
(花咲港を出港し北上)
出港した22隻はカムチャッカの
ペトロパブロフスク沿岸へ向け北上!
6月1日
(12時ペトロパブロフスク沿岸着、漂泊)
各船に一人ずつ乗り組むロシアのオブザーバーは
例年なら北海道の各港を出港する時点で乗船し
直接漁場へ向けるのですが、今年は
ペトロ沿岸に22隻が集結し、ロシアの監視船から
各船に配置、乗船となった。
源榮丸には ローチン氏 22歳が乗船した。
6月2日
(18時から初網、投網開始)
N56°65,8 E165°11,9~
6月3日
(6時から揚網開始)
紅鮭の割合が良く、笑顔で始まった
今年の操業初日でした。
6月3日~6日まで
(4回の揚網、操業)
この時点で一旦、釧路港へ帰航し水揚げ
する事になった。
早い時期の好相場を狙って!
6月7日
(22時、ロシア沿岸警備艇から停船命令)
艦砲を備えた軍艦のようで
さすがに艦の撮影は躊躇した。
一昔前はスパイ容疑でカメラを没収
される事もあったので!
6人が乗船してきて臨検が始まった!
監督官らしき人4人に水兵が2人、
私は水兵2人にボディーランゲージを
駆使し撮影を願ってみた。
あっさりokしてもらい撮影する事ができた。
その後、紙とペンを使い意思の疎通を図ってみた、
1人がローマ字を書けたので、ある程度の
やりとりができた。
日露合弁事業前には考えられない事です!
2人はセルゲイ氏31歳、ペーツァ氏20歳
艦名はアクロス、約150人乗り組み
というように解釈した。
約3時間で無事臨検が終った。
夜明けに見る艦はすごい迫力でした!
6月10日
(8時、日露のEEZ境界のチェックポイント着)
ここには監視船が常備いて、この監視船からも
臨検を受けたが、艦からの臨検後だったからか
短時間で臨検を終えた。
15時40分、釧路入港!
0時からの水揚げに備えた。
「日本の水産庁の方々が漁艙を封印する」
6月11日
(0時から水揚げ)
漁獲量も少なかったので4時30分には
水揚げも終え、次航海に備えた!