『ソフィア・ローレン』 2017年2月26日
ちょい調べものに夢中になってたら矢鱈と眠気が襲ってきて、もう、どうでもいいやでソファベッドにぶっ倒れてしまったよ。
パソコンで細かい字を読み耽っててもこうはならん。本は、こんなに疲れるかね?
暖房もつけずに熱気がないまま集中してたら脚の周りが冷えて爪先固まってるよ。「馬鹿やで、暖房つけろよ」 つけるの忘れてたよ。
鬱陶しい天気だね、降ってんのかね? ガラス戸開けて見ると道路は濡れてるけど雨はやんでる。
あらまあ、もう、こんな時間になってるよ。5時回ってる。鬱陶しい天気のわりには明るさがもってるね。日が伸びたか?
明日は晴れるのかな? 運転免許証の更新手続き済ませてないから、そろそろ警察へ行かんとアカンね、手続き料3千円。
もう、車に乗ることはないんだけどツタヤとか身分証明書代わりに使うからね。「それだけで3千かよ?」 なんか勘定があわんね。
それはそうとブラザーのプリンター(DCP-J940N)使わぬままに置いてたけど写真の取り込みなんかが簡単にできるんだね?
クソ古い写真が出て来たのでパソコンに取り込んだら、あらまあ、いとも簡単に縮小拡大思いのままだよ。なんで使わなかったのかね?
埃に塗れてたのをピッカピッカに磨いて真っ新にしてたんだけど使う予定も思い浮かばなかった。そして、俄然、使い道を見つけたよ。
『DCP-J940N』
先に運転免許証の写真をプリントして、そんな機能があるのに気づいた。そうか、以前、コピーして写真を撮ったことがあったなあ。
そんなの完全じゃなかったね、パソコンに取り込む方が綺麗だよ。昨日の駄文に貼った写真も簡単に出来たからね。う~ん、武器が出来た。
古い写真を見つけてパソコンに取り込み拡大して見ると、おおっ、昔の日本橋筋一丁目の交差点が映っておるではないかいな。
1963年(昭和38年)頃だね、交差点の四方に植え込みが在って、その歩道側の柵に腰掛けてる人が居るんだけど
邪魔だから消してある。写真後方、北東側の角並びに「大阪衣装」「トリス」「日本一食堂」「モモタローのパチンコ店」が映ってるよ。
消された邪魔者は、「おまえやな?」 腰掛けてる歩道前には「住友銀行」が在った。其の並びには土地売買の不動産屋さんだったかね。
『日本橋筋一丁目交差点』 1963年(昭和38年)頃 交差点北側町並みが写ってるよ。此の北側の街並みが、なかなか見つからないね。
もう、滅多に見れるもんじゃないみたい。其の周辺で生活していた人の思い出のアルバムには人知れず残ってるんだろうけどね。
以前に貼ったことがあるんだけど、日本橋筋一丁目の2枚の写真も並べておこう。時を少し前後してるけど、ほぼ、同時期のものだね。
東西を走る千日前通りの北側街並みは道路拡張工事で立ち退きになり当時の面影を残してる写真が皆目ないんだね。
『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。(市電は東行き) 本では、昭和44年になってるね?
『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。1959年(昭和34年)5月となってるね。
『1959年(昭和34年) 上の写真と並びの千日前、当時の北側の街並みが写ってるね。(上が日本橋筋一丁目)貴重だね。
また、思い出した頃に 「俺も、この辺りの写真を持ってるぜ」なんて人がネットに流すかも知れない。パッと獲って載せちゃうよ。
「それはいいことか?」 いいはずが無かろうが。しかし、何でも人のために活かすってことは悪いことではないと思うよ。
まあ、怒ってこられたら誠心誠意謝って堪忍して貰おう。 「まあ、使えばいいんじゃないの、お互い生きてる間が華だよ」なんてね。
こんな時代を生きてきて、ふっといつも思うことがある。あんまり恐い思いをしたことはないんだけど、時折、あぶねえって思ったことはある。
前にも書いたかね? 当時でも、やっぱりコワイ人は居るからね。でも、恐がってばかりじゃ外歩けない。
親父の仕事を手伝って配達帰りに千日前の千日デパートの前を歩いてたら 「おえっ、当たっておいて黙って行くんか? おうっ」
あれ、此の人、この辺で顔売ってるあんちゃんではないかいな? 「あっ、すいません」 横っちょに来て「おうっ」
「すいません、気が付かなかったみたい、カバンが当たったかな?」 「おう?」 掬いあげるような目つきがドウにいってる。「まあ、ええ」
「すぐに謝ったから堪忍したる、おまえ、何処へ行くねん?」 「お父さんのお仕事配達です」 「そうか、気ぃつけや」 はい。
そんなん知らんわなんて云ったら、どつかれるわ、カツアゲ喰らうわ、あとあと、血吸いまくりよるわ 「蚊か?」 素直に謝る、此れ一番。
『1967年(昭和42年)6月 千日前通りと御堂筋(手前) 千日デパート(ニチイ)(上)』
『1969年(昭和44年)に市電が廃止され、翌1970年には万博関連事業の一環として、湊町南交差点(四つ橋筋)から
上本町6丁目交差点(上町筋)の千日前通りの間が幅員約50mに拡幅されたんだね』
この程度なら経験がある。オレなりに思うに、「ほなあ」なんて笑って手を振って行き去る彼の思いはなんなの? いい人になってるんだね?
この辺りではブイブイ云わせてるあんちゃんってことは、人の噂で耳にしてた人だよ。
小学校の頃、読んだ本に、昔、剣豪と云われた武人が何人か紹介されてるのを興味深く読んだことがある。
其の中に宮本武蔵の項で、気性の激しい馬が道端に繋がれ往来を妨げてフボウ~フボウ~って鼻息激しく地団駄を踏んで落ち着きない。
道行く人々は、馬が怖くて近づけない。其処へ若武者がサッサッと近づき軽々と馬の背を飛び越えて行き去ろうとする。
其の後を来る編み笠被った武士は、わざわざ馬から遠回りして通り過ぎる。其れを見ていた若武者は武士を小馬鹿にするんだね。
武士は、「避けられることならば避ければよい」と云って立ち去る。「無用のこと」 剣豪の宮本武蔵だったんだね。
そんな話を読んで 「君子危うきに近寄らず」を身に着けたオレを剣豪の宮本武蔵が褒めてたよ。 「何処で褒めてたんや?」
活字からしみ出る教えだよ。そんなのでアホなオレは、この歳なるまで無事に生き続けて来れた訳だよ。
人をホッとさせる思い遣りかね、人も笑顔になって自分も心地いい、人は人の中で引いてひかれて通じる思いに救われるもんだよ。