『1965年 南街劇場右手側 エレキの若大将 怪獣大戦争上映看板』 2017年2月4日
オレがカゴを持ってスーパーん中を、うろついて牛乳やパンなど買うなんてのは、数十年、いまだかつて無かったに等しいね、と思うよ?
コンビニで買うのが慣れ切ってたから調子狂うね。小遣いにも無頓着だったからお金の思うがままに転がり出るに任せてたよ。
自分は、煙草以外にあまり使わないんだけど傍(はた)の子達が、其の分、大まかに無頓着だったね。 「撒いてんか?」 喜んでるよ。
今、こうして、また、貧困生活になっても、其れはそれで生き方を変えればいい訳で、見慣れない値札を真剣に見つめておるよ。
「この牛乳はあちらと比べたか?」 当然だよ、手元のは168円だよ、向こうから218円、186円だったかな? 安いだろ?
「レーズンパン、今日は高かったか?」 そんなのあるの? 「其の日その日で値段が変わるんだよ」 おまえ、よく知ってるね?
なんてことを考えながら無駄のない慎ましい生活スタイルを身に着けておるんだよ。これもね、そういうスタイルも悪くないもんだよ。
長らくご無沙汰してる新聞配達のおじさんが云ってたよ、「★★ちゃん、できるかあ?」なんて馬鹿にしておったねえ。
あのねえ、人間は無理しなくても奥の手があるんだよ。「どんなんや?」 喰わなきゃいいんだよ。死なない程度で生きてりゃいいんだよ。
今の日本人は「ひもじい~」なんて知らんだろ? クソ贅沢に慣れ切って質素ってのを忘れておるんだよ。「みじめではないか?」
『どこでも似たようなスーパーの店内』
人間はね、好きなことに夢中になるとね、喰うことなんか忘れて忘我の境地だよ。アホな頭を駆使して一心不乱だよ。ざまあみろ。
「そのあとで腹減るだろ?」 茶漬けを喰ってりゃいいんだよ。云っとくけどね、毎度、茶漬け喰ってる訳じゃないよ。
ああ、そうねえ、ピザのLサイズ配達お願いねって喰ってるよ。しかし、このピザね、云っちゃあ悪いけどマズイね。三流だよ。
チーズが貧相だね、オレは、あんまり喰わないけど、昔、心斎橋の小大丸ってとこで喰ってたピザは美味かったね。ト~ロトロだよ。
あの頃は、若かったからペロリって喰っちゃってたけど、今は、二切れ、頑張っても三切れ程度で胸焼けするよ。
しかし、ホンマに美味いものを喰う贅沢も大事だね。生きてるって喜びに舌鼓して心も満てて感謝も覚えるからね。
『金張り込んだら美味いピザが頂ける』
今、58インチの液晶大画面をだね、狙ってる訳、「そんなの金が何処にあるんだよ?」 金なんてのはね、あるもんなんだよ。「嘘つけ」
もう、6千円程下がってるよ、落ちろ、落ちろ、転げ落ちろ。今日は13万千円を割ったよ。
自然保証が7~8千円プラスは痛いけど仕方がない。12万まで落ちたら大したもんだよ。「また、上がるわいな」 遠く離れたら捨てたらいい。
「諦めるのか?」 縁がないと思えば無いものだよ。また、他で現れるもんさ。ただね、映画だけは大画面で観たい欲求があるね。
ブルーレイなんかで観たら価値があるだろうね? オレはね、大画面で馬鹿糞番組なんかは絶対に映したくないんだね。「失礼だろ」
つまりだね、そういう手合いの番組を常日頃映すとね、映画の大画面の魅力が死んじゃうの。これが許せないんだよ。
映画館へは、なかなか行く機会がないから映画館の雰囲気を殺さないように静かに観たい訳だね。まあ、自分の世界だね。
そこらのチンドン屋連中なんか、毎度、出てきやがったら雰囲気丸潰れだよ。そんなのは普通サイズのテレビで充分だよ。
オレはね、DVDでもブルーレイでも上映の館内放送を入れ込んでおいて欲しいよ、「本日は、ご来場を頂きまして誠にありがとうございます」
照明が落とされて静かに幕が開き出すね、「最後までご鑑賞のほど頂けますようごゆっくりお愉しみくださいませ」なんてね、期待と緊張だよ。
『南街劇場、今は、もうないね』
礼儀があって慎みたしなみつつ時間を共有して悦ぶ、こういうふうに映画を愉しみたいね。「そんなのおまえだけやろ?」
解らん馬鹿どもは、喋るわ、騒ぐわ、もの喰いまくるわ、バタバタしよるわ、節度を心得ん奴とは一緒にはよう観んわ。
「そんなの肩凝るだろ?」 映画の内容にも幾分かは影響するけどね。怠い~のお~なんて崩れまくることもあるだろうね。
オレは、大スクリーンに遠慮なしの大音響、身震いするような興奮に包まれて、それでいて、じっと本を読むような感覚が堪らんかったねえ。
今は、イヤホーンかけて17~27インチのモニター眺めて独りの世界で感動して久しいね。其れはそれで充分愉しめるんだけどね。
ゆっくりと気遣いなく自分の時間に酔えるのは、今かねえ? そう思うと58インチを買ってやろうかと本気で考えたりするわけ。
『50~60インチ、近いうちに購入の予定』 ホンマかよ?
幸い間取りの大きな綺麗な家に縁があった。独り12畳の部屋は、真っ白けのクロスにフローリングなんて贅沢なもんだよ。
大型液晶画面を備え付けるのに場所は困らんね、ただ、壁を傷つけることはできないから机の上に置くことになる。
130×80×20、薄くても大きいものだから地震なんかで、此れが引っ繰り返らないように、其れなりに工夫がいる。
暇だから、仮にだね、具体的に備えるとしたら、120センチの机に置くには、其れ相応の安定性が必須となる。
40キロの耐荷重がある机だから25キロのテレビを置くには無理ではない。しかし、補強なしで安心かとなると不安だね。
130センチを超過した部分は、隣の長尺の机に少し被せても支障はない。問題は、壁を傷めず支えになる方法をどうとるかだね。
まず、机の天板の強度を補強するには突っ張り棒を用いる。試しに洋服箪笥のを利用して70センチものの棒でバッチシだね。
そして、190~280センチの突っ張り棒を用意して天板の裏側にある70サイズの突っ張り棒と垂直に天井に伸ばして固定する。
素晴らしい発想だね。天板を挟んで互いが突っ張って固定しあう訳だよ。「不細工じゃないか?」 安く浮かす苦肉の策だよ。
『このスペースに58型を置いてだね、かぶりつきで映画を観るってのは、どう?』
これがだね、背面の壁も真っ白、突っ張り棒も真っ白、どっちも真っ白なんだよ。「なんで長い突っ張り棒が天井まで必要なんだ?」
素人の頭の働きはそこまでか? 突っ張り棒の突っ張り強度は30キロだよ。長い突っ張り棒がテレビを支えてくれる訳だよ。
床と机と天井の固着が大きな安定性をもたらして机の揺れを殺してくれる。 「しかし、突っ張り棒は気になるね」
机の高さが70、テレビの高さが80、天井まで見えてる部分は110センチだよ。大して目立つほどの棒ではないよ。
棒がテレビを固定する役目をしてくれる訳、がんじがらめに固定しなくても倒れなければ難を逃れるよ。
テレビの背面には、壁掛け用のネジ穴が4箇所設けられている。此れを利用せぬ手はないだろ? 「どうすんねん?」
あとは、どうなと工夫すれば固定は難しくないよ。安心を買うなら突っ張り棒1本1215円の出費で片が付くよ。
まあ、そういうことを考えてだね、捕らぬ狸の皮算用ならぬ58インチを如何にものにするか、あかんでもともとの遊びだね。
リビングの小型テレビで充分満足なんて奥さん云ってたくせして話が具体的になってくると 「リビングに置くっ」と突っ撥ねて怒る。
リビングでも何処でもいいけどラジオ代わりにつけっぱなしのテレビ観ても興ざめするだけだからね。「やっぱり要らんかなあ」
『まあ、そんな機会があればデカいのを備えて、かぶりつきで映画を観る予定』
もう少しお金を貯めてゆとりをもって自分用のテレビを買うことにしよか。「財布が詰まってるって大きなこと云ってたな?」
事実だよ。「おまえの事実はどれほどのもんか?」 財布が詰まって破けそうだよ。「嘘つけ」
オレはね、そんなに自分のことで金は使わないよ。ボロボロ財布が破けて捨てただろ? あん頃の小遣いの出方は底抜けてたね。
今、大事にしてる財布は糊で引っ付いたように金が着いて離れないよ。あのボロボロ財布も財布自体は悪いものじゃなかったけどね。
財布ってのは、絶対に善いものを身に着けないといかんね。惜しんで安物持ってると其れに応じた出入りしかない。
まあ、オレの場合は、神さんが程よくまわして枯れぬ程度に潤わせてくれるみたいだね、そんな神さんだね。 「どんな神さんやねん?」
まあ、謂わば世話好きな神さんだね。どうにもならん男相手に、何故か、いつも守ってくれてる神さんみたいな、そんな人です。
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