カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1517 『映画 誘拐の掟 ・ 悪の出来栄えで映画は決まる』

2015年11月26日 | 日記







 『誘拐の掟』  2015年11月26日







リーアム・ニーソンの『誘拐の掟』を観たよ。物語の世界だけでいいような内容だけど、そういう意味では面白かったね。

此の人の映画は、安心して観れるよ、裏切りがないね。いい雰囲気を醸して生きてる人だね。

実際に会った人じゃないけどスクリーンを通して、其の人の人柄ってのは出るもんなんだろうね、生きざまかね? 人生積み重ねて出る味だろうかね。





包容力のある人って感じるね。強いだけが男じゃない、優しくなければ男じゃないってコピーがあったように思うけど

リーアム・ニーソンは、其れを地で行ってるように思えるよ。賢そうだしね、「おまえに無いもんやね」 放っとけ。

しかし、この知的ってのは、勉強せんことには身につかないもんだろうね? 「勉強したから、必ず、着くってもんでもないんじゃないの?」





活かしようを知ってるのかも知れないね? 知性、教養なんてのは、人のために役立ててこそだからね。

そういうことを心得て生きてる人は知的な香りが漂うのかも知れない。「そうとも限らんだろ?」 そらあ、賢いんだから賢そうには見えるけど

ただ、賢いだけって人も居る。つまり、活かしようを知らない人なんじゃないか? 「自分の努力で得たものって抱え込んで悦る人か?」





嫌がられるんだね、そういう人は。人望が欠落してんだろうね。導く優しさを兼ね備えて与えるものが湧き立つような人が知的なんだろと思うよ。














『誘拐の掟』








女性をさらって縛り付けて乱暴して切り刻む。乱暴だけにしておけよ。「アホか」 切り刻むってなんなの? なにが面白いのか訳解らんわ。

口にテープ張られて縛られて身動きできない状態で弄ばれてる女性の貌がアップで映し出される。

男なら、心が歪めば興奮するよなことをして愉しんでる奴の気持ちは、この描写だけですぐに解る。「同類か?」 ある意味、同類だろ? 「危険な奴やねえ」





見落としたけど女性の頭上から捉えた画面に何か危険なものを持つ手が映るんだね。声を挙げられない女性が、其れを見て恐怖に顔を引きつらせてる。













『誘拐の掟』







こういう類(たぐい)の映画は描写力がものを云う、戦慄を与えるんだね。このタイトルのシーンだけで誘拐犯の異常な猟奇趣味が窺がえるよ。

オレは、刑事もの警官ものって映画が好きだから相手が手強くて残忍な奴という設定には文句は無い。

でも、こういう類の猟奇犯を扱う映画は、世によからん影響をもたらすんじゃないかと、一抹、心配にはなるね。「同類を刺激するかもね」 そうだよ。





1991年のニューヨークが舞台なんだね。刑事のマット・スカダー(リーアム・ニーソン)が警官はタダ呑みができるバーに立ち寄る。

4人席に腰掛けウィスキーとコーヒーを併せ呑みしてると数人の客が入って来る。

背中越しに、なにやら話し声に続き銃声が轟く。男たちはバーテンダーを射殺して逃げる。すぐさま後を追ったマットは、銃撃戦の末、彼らを仕留める。





しかし、銃撃戦で、その場に居合わせた少女が目に流れ弾を受け死亡する。表彰はされたものの自責の念でマットは、警官を辞職するんだね。

日頃から酒びたりで銃撃戦の時もウイスキーを呑んでいた。辞職後は、禁酒会に参加して酒を断って無免許の探偵稼業で飯を食っている。

1999年、或る日、同じ会に参加する画家の男ピーター(ボイド・ホルブルック)に「兄の依頼を聞いてやって欲しい」と頼まれる。













『誘拐の掟』







兄のケニー(ダン・スティーヴンス)に会ったマットは、妻を連れ去った誘拐犯を見つけてくれと頼まれる。「FBIの仕事だ」と云うマットに

建築家ながら裏で麻薬仲介人をして稼いでるケニーは、警察には頼めない事情を臭わす。そして、身代金を支払ったにもかかわらず妻を殺害されたと云う。

一旦は、依頼を断るマットだったが、翌日、ケニーから犯人から送られた殺害テープを聞かされて、その残忍さに昔の刑事魂が甦る。





ニューヨークの裏町になるんだろうかね? 冴えない風景のなかマットの捜査が始まる。図書館で類似の誘拐事件を調べたり、別件であろう事件で

バラバラにされて殺された女性の足取りを追ったりして猟奇犯との接点を詰めていくんだね。こういう捜査の一連の流れが、オレは好きなんだね。

リーアム・ニーソンがいいねえ。過去の自責を背負いつつ生きて往く男の哀愁かね? よく味を出してるよ。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








身代金を払ったにも拘らず、なかなか妻を帰さない犯人に振り回されてケニーが雨の中を右往左往させられ、揚句、道路端に放置された車に居ると

指図されて駆けつける。ボロボロの車の座席には妻の姿はない。トランクを開けるとナイロン袋に包まれたレンガほどの大きさの荷物が数積まれている。

一つを手に取りナイフで包みを切ると血が溢れ出る。切り刻まれた妻の変わり果てた肉塊だったんだね。茫然自失のケリー。














『誘拐の掟』








そういう恐怖のシーンを織り交ぜて物語は展開する。ワゴン車が徘徊する。一人の女性の後を付け回し帰宅した家を覗き込み在宅看護師と解ると

「雇われだったら金は出さんな」 誘拐を断念して立ち去ろうと道路を走り出すと、その邸宅から少女がイヌの散歩で父親と出て来る。

「待てっ」 停めた車の前を横断する少女を見る猟奇犯の二人。捜査が進むに連れて別件と思われたバラバラ殺人がケニーの妻を襲った猟奇犯と接点する。





其の事件に絡んだ死体発見者を調べるうち、この発見者が被害者、加害者ともに関係していることを掴んだマットはアパートの屋上で彼を詰問する。

被害者は、男のアパートの向かいに住む女性で、その頃付き合っていた猟奇犯の二人がさらって惨殺する場に居たことを自白する。

気の弱い男で、自白後、アパートから飛び降り自殺するんだね。この飛び降りのシーンが妙にリアルだったね。





一方、猟奇犯たちは、目をつけた少女の家に忍び込んで連れ去る。少女の父親はケリーと同じく裏で麻薬仲介人をして稼いでいる。

表沙汰できない父親は、同業のケニーからの紹介でマットに事件の解決を依頼する。

此処からマットが、猟奇犯と真っ向勝負するところが痛快だね。父親にかかってきた脅迫電話を取り上げ一歩も引き下がらぬ姿勢で相手を畏怖させる。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








予告編で「殺したら殺す」の台詞どおりで、「おまえの名前を知っている、レイ」って言ってのける。電話の向こうでたじろぐ猟奇犯。

此の映画の猟奇犯の二人は実在したらしく、ローレンス・ビッテイカーとロイ・ノリスをモデルにしてるらしい。陵辱、惨殺の模様をテープに録って残してる。

実際の事件の裁判で、それを聞いた死刑反対論者を賛成派に鞍替えさせ、裁判では傍聴席の女性達が耐え切れずに退席するほどの凄惨な内容であったらしい。





1978年頃のアメリカで10代の少女ばかり5人を立て続けに拉致、殺害した二人組がローレンス・ビッテイカーとロイ・ノリスなんだね。

彼らもワゴンを購入して犯罪に利用、13歳から18歳の少女を拉致しては、車内で陵辱の限りを尽くした後、

飽きるとワイヤーハンガーなどでじわじわと首を絞めたりアイスピックで少しずつ耳を突き刺したりして殺害したという。





彼らは、この様子を録音しており、そのテープには、陵辱、拷問の一部始終を被害者自身に何をされているかを涙ながらに実況させている。

絶叫する被害者の声や、ハンマーで関節を殴られたり局部をペンチで捻り上げられたりしているうめき声や叫び声、阿鼻叫喚の地獄絵図だね。

被害者の叫び声を聞きながら「もっと泣き叫べ!」と嘲笑する二人の声などが収められていたとある。何処の国でも鬼畜は居るんだね。














実在の猟奇殺人犯 『ローレンス・ビッテイカー』(向って左)IQ138だって、と『ロイ・ノリス』









聞くのも観るのもおぞましいような内容の映画を好んで観る。どういうことなのかねえ? 「おまえやないか」 正義と悪、其れが人の中に棲んでんだろうかね。

怖ければ怖いほど面白い、残忍なら残忍なほど面白い、下手な描写は許さない。リアルに徹した描写は賞賛される。おかしいんじゃないの?

「おまえがおかしいねん」 いやいや、世間全般だよ。モデルになるものが在って、其れを題材にリアルに描く。其れを観て触発されて実際に行う馬鹿が居る。





で、また題材にする。悪の上に正義が在って、正義の上に悪が栄えて、切のない構造に正義は妥協して或る一定の線で悪と手を結ぶ。「ホンマかいな?」

水清ければ魚住まず、或る程度、汚れた水にこそ餌となるもの多く生き物は好む。正義だけでは、何の面白みも変哲もない社会が出来上がる。

あるのは、眠気と欠伸(あくび)ばかりだろうね。其処から怠惰な悪が芽を吹いて崩れ堕ちて悪を生む。





其処へ刺激を求めて人々は群れ集まって、やがて、其れは散りばめられて至るところで悪習慣が宿り風俗となす。また、元通りの妥協の世界となる。














『誘拐の掟』 マット役のリーアム・ニーソン








「喰らえっ正義の弾丸」 悪を粉砕、破壊する醍醐味だね。悪無くして得られぬ快感。悪ければ悪い奴ほど、其の滅びるさまは痛快至極。

これだね、この快感を得るために悪は在るんだよ。だから、悪ければ悪い奴ほど面白いんだよ。 然るに正義と悪の戦いは永遠だね。

「ストーリーの後はどうなるねん?」 ネタばれって断り書いてる人が居るよ、新しい映画は、ケツまで書かないほうがいいみたいだよ。





よしんば、オレが最後まで書いても 「いまいち解らんなあ」という強みはあるけどね。「其れを強みと云うかあ?」 云うよ。































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