カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1442 『映画 暁の7人 観てないんだけれど昔のTV洋画が甦る』

2015年07月05日 | 日記








 2015年7月5日








吹きたい時に吹き抜ける風のよう、降りたい時に降り注ぐ雨のように通り過ぎたり留まったりと長い年月が過ぎ去った。

なんのことやら解らない、解らないままに爺になった。なのに、その風は、今も変わらず吹き抜けて、路面を湿らす程度に濡らせて雨も零れるよ。

なんだったんだろうかね? 解らず終いでも構わない、吹かれてやるのも、濡れてやるのも厭わないけれど、オレの出番は、とうに過ぎ去ったよ。






ともに吹かれて、ともに濡れて、ともに太陽を浴びるところへいきな。老いて枯れても一匹狼、オレは、善いことをしたと思って山に帰るよ。






「なんや?」 なにが? 「いや、何を云ってる?」 ふっとね、想ったことを書いただけだよ。

オレは、ある意味、幸せもんだったなあって、そんな想いがするんだよ。何から何まで良いなんて思ってないけどね、オレの人生が在るように、

人には人の人生が在る。人は、皆、自分の価値観に従って、自分の命、自分の人生、自分の身体で生きてる。なんか、そんなことをふっと思ったんだよ。












 『暁の七人』1975年度アメリカ映画









『暁の七人』(Operation Daybreak)って、映画があったね。1975年のアメリカ映画で、第二次世界大戦中、イギリスとチェコスロヴァキア駐英亡命政府により

計画されたナチス・ドイツのヒトラー親衛隊中将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦を描いてる。

この映画は、観れなかったんだけど、看板の絵や写真を眺めてると、昔、白黒テレビで、この実話を扱ったドラマの場面が甦ってくるんだね。






たしか、ドキュメンタリー風に仕上げたもので、撮影側がタイムスリップして当時の目線で現場状況を映し出すようなドラマだったように思う。

当時としては、妙にリアルな映像で仕上げてたね。勿論、洋画なんだけど日本語に吹き変えて放映してた。

チェコスロヴァキアのプラハ、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の地下に身を隠しているラインハルト・ハイドリヒの暗殺作戦を実行した7人の兵士の

最期を描いてたように覚えてるんだけどね、そうだろ? 「知るか」 












『実写 暗殺計画に選抜されたチェコスロヴァキア亡命軍の7人の兵士』








イギリスに駐留するチェコスロヴァキア亡命軍から選抜された7人の兵士なんだけど、仲間の密告から潜伏場所が露見して聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は、

ナチス・ドイツ軍に包囲されて脱出不可能な状況に追い込まれる。

装甲車両や軍隊が、次から次へと投入されてプラハ市民が見守る中、激しい攻防戦が繰り広げられるんだね。























当時、ナチス・ドイツの準軍事組織である親衛隊(SS)の第3代親衛隊全国指導者に就任し、ナチ党の政権掌握後には、秘密国家警察ゲシュタポ副長官、

親衛隊全国指導者兼全ドイツ警察長官を務め警察機構を一手に掌握したハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊エリートのラインハルト・ハイドリヒ暗殺は、

ヒトラー総統を激怒させ殺さずに生け捕りにせよとの厳命が下されるんだね。














『実写 襲われたラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将の自家用車 「SS-3」のナンバープレートのメルセデス・ベンツ、オープンカー』









テレビ版にしたら大仰な撮影でロケを敢行して真に迫る市街戦さながらの様子で描いてたよ。大聖堂に陣取る7人の兵士が機関銃や手榴弾を装備して

厚い壁で守られた大聖堂の窓や地下の出入口が、あたかもトーチカのような按配になって、攻め来るドイツ兵をバタバタ撃ち倒すんだね。

ドイツ軍は、殺さずに生け捕れって厳命下にあるから大砲などの重火器を使用できないんだね。






突撃隊が何度も何度も編成されるんだけど突進したら打ち倒される。順番が回ってきて恐怖で動けぬ兵士を将校が射殺する。

攻められるものも攻めるものも死に物狂いなんだね。しかし、多勢に無勢、ジワジワとドイツ軍は礼拝堂の中に侵攻する。

巨大な礼拝堂の中でも高所に陣取る7人の兵士が有利ではあるからドイツ軍の死傷者は増えるばかり。





















しかし、補充に事欠かないから数で押し寄せるドイツ軍とは違い攻められる者に加勢はない。一人、二人と倒れて防御に穴が生じてくるんだね。

聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂は、写真で見る限りでは綺麗な状態で今も在るね。

当時の彼らの最後の様子などを鋼板に刻んで残されている。ドイツ軍の撃った弾痕も生々しく当時のままに残されてるね。






映画の『暁の七人』を、いつかDVDで観て見たいんだけどDVD化されてんかね? 調べんといかんね。













『現在の聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂』








1939年の春、ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーは、チェコスロヴァキアに対しスロヴァキアを独立させて、チェコの部分をドイツ国に編入することを強要した。

当時のチェコスロヴァキア大統領エミール・ハーハは、これに抗う力を持たず併合を認める署名をした。

このチェコのドイツ編入領土は「ベーメン・メーレン保護領」と名づけられ、コンスタンティン・フォン・ノイラート男爵が当地の保護領総督となった。






第二次世界大戦中、ベーメンは、ナチス・ドイツ最大の軍需工業地となりドイツ軍の戦車の3分の1、軽機関銃の40%はベーメンで生産された。

ところが、ノイラート男爵は、融和的にすぎてストライキや抵抗運動が多発し、同地の兵器生産力が半分近くに落ちたんだね。

2年後の1941年、保護領統治の甘さに業を煮やしたアドルフ・ヒトラーは、ノイラート男爵を本営に呼び出しチェコ人に寛容すぎる政策を叱責した。












『実写 ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将』







ノイラート男爵は、この際にヒトラーに総督職の辞任を申し出たが却下され、ノイラートは形式的に総督に残留しながら休職処分という形になった。

これにより同年9月、ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将が保護領副総督に任命され、翌日にはプラハに着任した。













『映画 アドルフ・ヒトラーに送られてプラハに向うラインハルト・ハイドリヒ中将』








ラインハルト・ハイドリヒ中将は、ゲシュタポ(国家秘密警察)、親衛隊保安部(SD)、刑事警察を統括する巨大警察組織国家保安本部の長官であった。

彼はナチスに反抗する人間を取り除く役目を担っており、ユダヤ人虐殺計画の主要な遂行者であった。

彼は、ヒトラーやナチスの陰謀のほとんどに参加し、ナチス政権において重要な政治的地位を築いていた。





その能力と権力により、多くのナチスの要人や国防軍の高官たちから恐れられ、その残忍性は、「金髪の獣」「絞首刑人」の通り名で呼ばれていた。

ハイドリヒは到着と同時にチェコ全土に戒厳令を敷き反体制派の指導者層(中産階級のインテリ層)を次々と逮捕して死刑に処した。頭を獲るんだね。

チェコ首相アロイス・エリアーシも逮捕されて死刑。繰り返される処刑からハイドリヒは「プラハの虐殺者」という新たな通り名を得ることとなった。





一方、ハイドリヒは労働者階級に対しては懐柔する政策を取った。労働者の食糧配給と年金支給額を増加させ、チェコの歴史で初めての雇用保険を創出させた。

また、カールスバートのリゾートホテルなどを接収して労働者の保養地として開放するなどもした。

そのため労働者階級は中産階級インテリ層の起こす抵抗運動に参加することはなくなり、チェコの抵抗運動は手足を失って死滅していった。





こうして、ハイドリヒは「飴と鞭」の統治でベーメン・メーレン保護領を支配したんだね。しかし、労働者階級層ってのは思想よりも餌の量で右左だね。























ハイドリヒは、プラハでは「人間味ある総督」に見せようと心がけていた。記者に幼い子らと一緒にいる写真をよく撮らせていた。

また一家は重々しいプラハ城に定住せず、プラハ郊外にあるやや田舎のパネンスケー・ブジェジャニに所領をもってそこで暮らした。

自身の乗用車である「SS-3」のナンバープレートのメルセデス・ベンツもオープンカーにしてプラハ市民に自分の姿がよく見えるように走らせることが多かった。





威圧的にならぬよう護衛車両をつけることもあまりしなかった。上司のヒムラーは、プラハ訪問中にハイドリヒの個人警護が少なすぎると懸念し、

警護をもっと増やすよう命じており、またヒトラーもハイドリヒの警護に無頓着な態度を頻繁に戒めていたが、

ハイドリヒは最期まで耳を貸さなかった。結果的にはこれが命取りとなったんだね。





















ナチス・ドイツは、この1942年までにヨーロッパのほぼ全土を支配していた。また、ドイツ軍は、破竹の勢いでソビエト連邦の首都モスクワに迫っており、

対する連合国は、ソビエト連邦の降伏は時間の問題と考えていた。当時のドイツの電撃作戦ってのは凄いものがあるね。

正義と悪魔、恐怖と脅迫、君臨と愉悦、それぞれの要素が絶妙に混ざり合って闘志のアドレナリンの分泌が盛んになり、止め立てできぬ勢いを発散したんだろうかね?





















イギリスに駐留するチェコスロヴァキア亡命軍から選抜された7人の兵士は、イギリス空軍により1941年12月28日にチェコスロヴァキア領内にパラシュートで降下した。

彼らは暗殺の準備期間、プラハでいくつかの家族や反ナチ組織と接触、ハイドリッヒの暗殺計画の第一、第二の計画は頓挫する。

そこで第三の計画が立てられ、プラハでハイドリッヒを暗殺することになった。





1942年5月27日、ハイドリッヒは、パネンスケー・ブジェジャニにある自宅からプラハ城までのいつもの通勤経路をオープントップのメルセデスベンツ

の後部座席に居た。彼は、いつもは付いている警察の護衛を、このときは急ぎのため付けていなかったんだね。

ガブツィクとクビシュ(7人の兵士)は、ハイドリッヒの通勤経路であるブロフカ病院近くのトラムの停留所で待っていた。





















アルチーク(7人の兵士)は、車が接近してくるのを確認するために、ガブツィクとクビシュの北約100mの位置にいた。

ハイドリッヒのオープントップのメルセデスベンツが近づくと、ガブツィクは車の正面に飛び出て射撃しようとした。

ハイドリッヒは、運転手のSS軍曹クラインに車を止めるように命令し、前に機銃を構えて立ちはだかるガブツィクを射殺しようと席から立ち上がった。





















ヨーロッパのほとんどの国々を占領支配するナチス親衛隊の長官も、この状況に至っては、もう個人の問題に縮小されて甚だ弱弱しい。






その時、駆けつけたクビシュが改造した対戦車手榴弾をハイドリッヒの車めがけて投げ込んだ。

手榴弾は車の中には入らなかったものの、その破片は車の右側のフェンダーを破壊し、ハイドリッヒの体には車体からの破片や繊維が突き刺さった。

ハイドリッヒはなおも反撃しようとしたが負傷のためにすぐに倒れた。ガブツィクは、運転手のクラインを追いかけて殺害した。






ラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将は、その負傷のため一週間後に死亡した。此の時点で暗殺計画は成功したんだね。





















ハイドリッヒは冷徹な仕事ぶりから親衛隊(SS)内部でも敵が多く、武装SSの指揮官のヨーゼフ・ディートリヒに至っては

「あの雌豚も遂にくたばったか!」と歓喜したという。どのような組織でも、個々に腹を探れば一体感とは程遠い心裡が燻ぶってんだね。

巨大なる組織、これ等を束ねてなる組織をならしめるには縛られた部分がある。では、其処を解けば、音立てて瓦解する弱さも同居してることになるんだね。






ヒトラーは、親衛隊(SS)とゲシュタポにハイドリッヒを殺した人間をボヘミア中から探し出し 「血の報復」をすることを命令した。

最初、ヒトラーは、広範囲のチェコの人々を殺そうとした。しかし協議の結果、彼はその責任を数千人に限定した。

チェコは、既にドイツ軍にとって重要な工業地域となっており、見境の無いチェコ人の殺害は生産性を減らすと考えられたからなんだね。






結局、1300人の人々が殺害された。(1万3千人なんて記されてる資料もあったね)有名な事件として、リディツェとレジャーキの村の完全な破壊がある。

個に対して数量で購(あがな)わせる。戦時下における最も非道な計算だね。今も、変わらんね。人の命をなんだと思ってんだよ。

「ゴマ粒じゃないんか?」 そういう発想だろうね。ハイドリヒ親衛隊中将とSS軍曹クラインの死は、ゴマ粒1300人の命の価値ってことになる。






イギリスの当時の首相であるウィンストン・チャーチルはこれに激怒して、ナチスが破壊したチェコの村ひとつにつきドイツの三つの村を破壊することを提案した。

狂気の連鎖反応だね。しかし、その一方で連合国は報復を恐れ、以後はナチスの高官を暗殺する同様の作戦計画を中止した。

ハイドリッヒが殺された2年後、フォックスレイ作戦で連合国側はヒトラーを目標とした作戦を試みるが中止した。






此のラインハルト・ハイドリヒ親衛隊中将暗殺(エンスラポイド作戦)は、ナチスの高官暗殺計画で唯一成功した例となっている。





















暗殺の実行者は、プラハの二つの家族に匿(かくま)われ、後にプラハにある正教会の大聖堂、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂に隠れた。

ゲシュタポは、100万ライヒスマルクの報奨金目当てに密告者が現れるまで暗殺者たちを発見できなかった。

果たして、カレル・チュルダって男が密告したんだね。ジズコフのモラヴェック家の家族を含むインドラのグループに提供された隠れ家を曝した。






6月17日午前5時、モラヴェック家の住まいがゲシュタポの手入れを受けた。家族はゲシュタポがアパートを捜索する間廊下に立たされていたが、

モラヴェック夫人はトイレに行く許可を受け青酸カプセルで自殺した。

夫は家族のレジスタンスとの関係を知らなかったが、息子のアタと共にペケック・パラクに連行された。ここでアタは一日中拷問にあった。






この拷問と云う一言で片付けるけれど、この拷問の時間には、正常な人間は存在しない。世が世なら猟奇殺人犯なんて震え上がるような奴等の世界だね。

ナチス・ドイツの親衛隊(SS)ゲシュタボ(国家秘密警察)の残忍さってのは、冷血でなくしては、まともには見れないものだったらしい。

人間が最も耐え難い苦痛をもたらすことが拷問の目的だから、其処に救いはない。治すための苦痛ならば耐えて救いがあるけれど拷問は破壊しかない。






フランス、ポーランド、ロシア等のレジスタンスやパルチザンの摘発、粛清らでは、血も凍るような凄惨な拷問で死んだ人は数え切れないんだね。























最もは、ユダヤの何百万という人々は、此の世の地獄を骨の芯まで沁み込ませられるような体験を強いられてあの世に旅立ったんだね。

人間の奥底に眠る狂気、残虐性が正当化されて暴れ狂うんだね。戦後、これ等の拷問に興じた連中が一網打尽に罰せられたかというと甚だあやしい。

狂気の坩堝(るつぼ)に歓喜した猟奇殺人犯が、木漏れ日の下のベンチに腰掛け優しい笑みを浮かべてる姿に、其の正体を知る人は、もう此の世にはいない。






アタは、ブランデーで酔わされ水槽に入った母親の切断された首を見せられた。最終的にアタ・モラヴィックは、知っていることを全て話してしまうんだね。

親衛隊(SS)は教会を包囲したが、700人以上のナチスの部隊が作戦を行ったにもかかわらず降下兵(7人の兵士)を生きたまま捕らえることができなかった。

ハイドリッヒを殺したクビシュを含めた3人は、銃撃戦の末に大聖堂で殺害された。ガブツィクを含んだ4人は、捕虜になるのを避けるため地下室で自殺した。






密告者のチュルダはドイツの偽名とドイツ人妻を得たが、戦後の1947年、自殺に失敗してナチス協力の罪で処刑された。























残念ながらテレビ洋画の最期が思い出せないんだね。じわじわと追い詰められて地下に逃げ込んだ者がマンホールから放り込まれた手榴弾に

仲間を守るために覆い被さって破裂を一身に受けて庇うんだね。もう脱出は不可能、万事休すの状況に窮するんだね。

ドイツ軍は、無駄に兵を失う攻撃をやめポンプ車から地下に水を送り込む水攻めに切り替える。大聖堂の地下は、見る見るうちに浸水するんだね。





















映画の看板に、追い詰められて生き残った二人が胸まで水に浸かり互いに銃を相手の頭に向けて最期を迎えるシーンが描かれてる。

降伏はできない。降伏は地獄に繋がっている。死ぬことは出来る、救いの道なんだろうね。

ネットをうろついていて、この写真に目がとまった。そして、遠い昔に観たシーンが甦ってきたよ。





















生きるという道のなんと多いことだろうかね、今を生きるものたち、過去を生きたものたち、活字にもならない無数の人生の道があるんだね。



























『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 当時の大聖堂の地下』









『実写 当時の大聖堂の地下』









『実写 プラハ市民が見守るなか大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂の地下に水を送り込むドイツ軍』









『実写 大聖堂から引きずり出されたのか、大通りに横たわる遺体を群がり見る人たち』

















『実写 暗殺計画に選抜されたチェコスロバキア亡命軍の7人の兵士の遺体』








 『暁の7人に出演のティモシー・ボトムズ』








灰汁(あく)の無い役者さんだね。この人の出演作に 『ジョニーは戦場へ行った』ってのがあったね。これも映画館では観なかった。

第一次世界大戦に徴兵されて戦地へ赴くんだけど爆弾が命中して両手両足を失い盲目の上、言葉も発せられない重傷を負う。

意識の無い生命維持のみで生きる物体としてロッカーの中に収容されてるんだね。植物人間、当時は、医学的な研究材料として扱っていたんだね。





彼の世話をする看護婦が、或る日、偶然に意識が在ることに気付くんだね。

其れからがしんどい映画なんだね。うなされるわ。此の人の顔を見たら思い出してしまうよ。

今日のお話は、また、長くなってしまったね。














Operation Daybreak :: Ambush scene














Operation Daybreak - Ending




































最新の画像もっと見る

コメントを投稿