カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1960 『懐かしの歌声 勝利を我等に(We Shall Overcome)』

2018年01月09日 | 日記





 『I Have a Dream』 2018年1月






17~19世紀にかけて、およそ1200万人のアフリカ人が、政府とその委託を受けた業者により誘拐された上に取引されて、

アメリカ大陸に強制的に連行された。其のうち5.4%の645.000人がアメリカ合衆国に奴隷として根付いたらしい。

1860年合衆国国勢調査では奴隷人口は400万人に達していたとある。ちょうど、南北戦争勃発当時前後だね。





1776年にイギリス本国から独立したアメリカ合衆国では、かつての宗主国であるイギリスや、アイルランド、ドイツ、オランダなどの

ヨーロッパ諸国から移民として渡って来て先住民を武力で放逐した白人が住民の多数を占め、彼らに奉仕する奴隷としてアフリカ大陸などから

強制的に連れてこられていた黒人をはじめとした有色人種への差別が合法とされていた。





北アメリカにおける奴隷制度の導入は、1607年にイギリス人がバージニア植民地に初めて入植した直後に始められ、1776年に

アメリカが独立した後もそのまま続いて南部は奴隷制度の恩恵に与かり綿花農場で栄えたんだね。

北部では、奴隷制度の存続についての議論が盛んになった頃、1860年11月に行われた大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになり、





奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選した。

これに対して奴隷制度存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し対立。合衆国にとどまった

北部23州との間で1861年に南北戦争が勃発した。南北戦争は奴隷制度の存続に批判的な北部が勝利する形で1865年に終結した。





その後、連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を憲法修正条項に追加したことで黒人奴隷の解放が実現した。












『1967年(昭和42年)来日  フォークの女神 ジョーン・バエズ』 






しかし、奴隷制度は廃止になったけれど公民権の実際とはかけ離れて合衆国各州では、人種差別の合法化が罷り通って、其れから後、

黒人(有色人種)たちにとっては100年のいばらの道が続くんだね。幾多の人種差別事件を乗り越え、乗り越えて、

そして、やがて世論の反発や多くの著名人、政治家による支援を受け、人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万人以上の参加者が集い





1963年8月28日、ワシントンD.C.における公民権運動は、キング牧師等を先頭にワシントン大行進で最高潮に達したとあるね。

ジョーン・バエズが歌ってるね、「勝利を我等に」(We Shall Overcome、ウイ・シャル・オーヴァーカム)

1960年代にアフリカ系アメリカ人公民権運動が高まる中フォークシンガーピート・シーガーが広め、運動を象徴する歌にしたとある。








Joan Baez - We Shall Overcome (BBC Television Theatre, London - June 5, 1965)
























当時は、何を云ってんだか、サッパリ解らんままにラジオから流れるジョーン・バエズの此の歌をよく聴いてたね。





「I Have a Dream」(アイ・ハヴ・ア・ドリーム)「私には夢がある」とは、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが

人種平等と差別の終焉を呼びかけた演説だね。彼がガンジーから学んだ非暴力運動の精神は、

目の前にある成果に向けられたものではなく、真理、真実の実現という遥かに遠い理想を目指したものだったとある。





なにごとも夢なくして導きはない。辛抱、我慢なくして成るものはない。支えは信じる力だろうね。


































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