2015年8月21日
なんにも浮かんで来ないので、ボ~としつつネットを散歩してたよ。そしたら千日前の昔話で立ち止まって読んでるうちにふっと思い出した。
千日前を南に歩いて千日前通り(車道)を渡って、右にビッグカメラ(旧千日デパート)を素通りして真っ直ぐ南へ進む。
左に旧大劇、前を素通りして進んで南海通りを右に見て、尚、南へ進むと吉本興業の区画になる。これを通り越して進めば道具屋筋に入る。
ここなんだね、今は吉本の大阪府立演芸資料館ってビルが右側に建ってる。なんか、金かけたような建物だけど冴えないね。
そんなのはどうでもいいんだけど、道具屋筋の商店街出入口脇に当たる位置なんだけど、此処にお寺が在ったはずなんだよ。
Googleで思いつく検索用語を駆使して探したけど出て来ない。ガキの頃、よく遊んだお寺だよ、此処のお寺を何処へやった?
「寺の名は?」 そんなのは、どうでもいいんだよ。オレが記憶してる訳がない。お寺でいいんだよ。神社じゃなかったはずだよ。
「何故解る?」 雰囲気だよ。でも、お寺のような神社もなくはないね。神社だったかあ? 兎に角、よく遊んだところだよ。
此のお寺の脇(千日前筋)にオモチャ屋さんがあったよ。其処で、プラのピストル買って貰ったのを覚えてるよ。ずっと狙ってたヤツだよ。
『エンフィールドNo.2 MK1、此れは警察が使用してるタイプ』 この中折れ式がいいね。
これがだね、小さなカップに火薬を詰めた弾が魅力だったね。銃はね、中央で割るように開くとリボルバーに弾が詰め易い仕組みなんだよ。
ガキのピストルにしては凝ってるよ。イギリス軍将校が携帯するエンフィールド・リボルバーみたいに中折れ式を取り入れてんだよ。痺れたねえ。
リボルバーの弾倉に小さな鉄棒が備えられていて、前述のカップの弾の火薬側を其れに差し込んで装填する。8連発だったと思うよ。
で、銃をカシャッって元に戻して、トリガー引くと「バアーンッ」って、鼓膜をつんざくような発砲音が轟く。当時としては、素晴らしかったっ。
「お寺の話だろうが?」 ちょっと待て。当時、主流の100連発の紙巻き火薬みたいなチャチな音なんか比べ物にならないよ。宝物扱いだったよ。
「昭和の何年ぐらいの話や?」 ええっとね、32~36年辺りかね。お寺は、それから10年程は在ったのを何度か見てたと思うよ。
で、今は、無いんだよ。なんでも邪魔になったら消しよんね。バチ当たるぞ。其れでなくても、怖いところ、怖いところって有名なのに。
『此の写真は昭和7年のものだけど、地図代わりに見易い 向って左側の縦の通りが千日前筋 中ほどに、消えた「お寺」って明示してる』
今の吉本の大阪府立演芸資料館の向かいには、吉本なんばグランド花月があるね、当時、此処には、サーカス小屋が在ったんだよ。
ピストル買ってもらった当時よりも3~4年昔だったかね? 今から58年程前かな? ピストルを買って貰った頃には、もう、なかったかなあ?
大きなボール型の丸い金網の輪の中をオートバイが全速で走り回ってんの。遠心力を利用して逆さもへっちゃらなんだよ。
デカイ象も入り口に繋がれて愛想ふりまいてたよ。「どうふりまいてんねん?」 前足を交互に上げ下げして鼻を巻いたり伸ばしたりして笑ってんの。
「怒ってんのかも知れんだろ?」 様子で解るよ、幼い子が嬉しそうにステップ踏んでるような感じだよ。
ただね、やっぱり、小屋の周辺が臭かったね。それに、このオートバイの騒音がかなりのもんだったよ。近所迷惑だったろうね。
此の頃は、千日前筋も今ほどの明るさじゃなかったね。この辺りまで来ると裸電球に照らされた小屋周辺だけが明るかったからね。
昔はね、気侭な云うこと訊かない子には、親が「そんな訳解らんこと云うてたら、サーカスの子獲りに連れて行かれるでっ」 決まり文句だったよ。
だから、その暗闇の中、裸電球で灯されたサーカス小屋が、なんか不気味に想えて怖かったよ。
「おまえ、獲られてたほうが人生良かったかも知れんぞ」 サーカスの花形スター目指して調教されんかよ? 女座長のオモチャかよ? 「どういうこと?」
タイツ履いてモッコリかよ? 女性のサーカス団員にモテモテかよ? 「凄い話が飛躍するね」 そんなのは御免だよ。「向こうが要らん云いよるわ」
『(1972年(昭和47年)9月 千日デパート』 写真左側に塀が見えてるね、此処が三津寺墓地だよ。
千日前の昔話と千日デパートの火事のあとを読んでると、夜の繁華街は亡霊と一緒に散策してるようなもんだよ。「腹減ったね、食事しようか?」
「ハーイッ、いらっしゃーい、4人さんご案内っ」 へ? 俺たち3人だけど~なんてね。「多めに云って景気つけてんだよ」「なるほど、大阪だね」
仕切った座敷の広いテーブルに案内されて、お冷と手拭きを並べながら「ご注文決まりましたらお呼びください」 「ニコニコ愛想がいいね」 「おい~」
「なんだよ?」 「おまえの隣りを見ろよ」 向かいに座る連れ二人がケツ半分上げて震えてる。隣りを見ると、お冷と手拭きが並んでる。
此れは、下手な創作だけどね、此の界隈では、実際、こんなのと似たような話が溢れてるらしいよ。
見える人と見えない人が居るみたいなんだね。気配もそうだね。霊感の強い人は、しょっちゅう見たり感じたりしてるらしいよ。
「おまえは見たことないのか?」 目の前に居ても解らんのじゃないか? 非常に助かってるよ。若い頃は、深夜映画でよくうろついてたからね。
『1969年(昭和44年)千日前筋北側 竹林寺の隣りに初代のスバル座が見えてるね』
また、何かの写真で、偶然に見つかるかも知れんね。もう、南には長く行ってないからコロッと変わっているだろうね。
今頃、なんなんだけど、大劇は、1991年(平成3年) に取り壊されてたんだね、知らんかったなあ~。
以前の面影もなく1階にゴチャゴチャと、いろんな店が入ってたのは知ってたけど、此の様子を見たのは、いつ頃だったかなあ? 12~3年前かな?
と、云うことは大劇は、そんときには、もう、なかったのかあ? 「何処見て歩いてんねん?」 アーケードがあるから気付かないんだよ。
今は、なんばオリエンタルホテルってビルに建替えられてんだね。なんで、大劇を取り壊したの? 「今頃、ズレまくりやないか」
外観だけでも置いとけよ。歴史を軽んじる奴等やね。云っちゃ悪いけど、ホテルの一階てなもんじゃないよ、品も何もないごちゃ混ぜの1階だよ。
『かの大劇は、今は、こんなのになってんだねえ。オリエンタルホテルのエントランスがお店に囲まれて雑だね』
かつて存在した旧南区繁華街の主な映画館って紹介を見て、ああ~オレの昔は消えたって思ったよ。みんな消えちゃったよ。
花月シネマ(1988年閉館、なんば花月地下)この映画館は、知らんね。後年、開館したのかな?
大劇名画座・大劇シネマ(1991年閉館)大劇とともに取り壊されたんだね。無情な奴等だよ。「そんなん云うてられへんねん、銭儲け、銭儲け」
ナンバキネマ(1992年閉館)この映画館も記憶にないよ。何処に在ったのかなあ?
難波ジョイシネマ(ナンバ新東宝から改称、1993年閉館)おまえも消えたか。なにがジョイシネマだよ。新東宝でいいんだよっ。
松竹座(1994年5月8日に映画館としての役割を終える)早まったことをしたね、意地でも洋画劇場を続けろよ。封切り映画を一番多く観たよ。
南街劇場(2004年2月1日閉館)おまえが、消えるのは寂しかったよ。ジョン・ウエィンの「騎兵隊」から、ずっと、愛着のある映画館だった。
南街シネマ 、南街スカラ座、南街文化劇場を露払いにして、ともどもに消えちゃったね。
千日前弥生座(2004年5月28日閉館)南海通りのA&Pスーパーの2階の映画館だったね、お世話になったよ。
『1992年(平成4年)道頓堀松竹座』
千日会館(2004年5月28日閉館)ちっこいのに長く在ったなあ。(後にテアトルA&Pが、此処へ移転したとあるね)
千日前セントラル(2006年9月15日閉館)セントラル、おまえもか? 「シーザーのつもりか?」
千日前OSスバル座(2006年9月24日閉館)ビル建替えて2階だったかな? 移動したけど終ったんだね。「リオ・ブラボー」から馴染み深かったよ。
千日前国際劇場、千日前国際地下、千日前国際シネマ(2008年3月31日閉館)全館討ち死にか?
戎橋劇場・道頓堀キリン会館(2008年9月閉館)幼い頃から洋画を観た映画館だった。「王様とわたし」なんか、ここで観たよ。
テアトルA&P(2013年4月23日閉館)それから千日会館へ移転したらしいね。
なんば高島屋1階に在った「なんばロキシー」 其の二階に在った、かの豪華な「なんば大劇場」が閉館になった年月日が解らん。
高島屋も冷たいね、我がとこの歴史は詳細に載せてんのに、この2館のことに触れた記事が全くない。
お世話になった店子(たなこ)さんだろうが、ちょっとは、書き加えてもええやろ。当時の写真も紹介しろ。薄情な奴だよ。だから、金持ちは嫌いなんだよ。
『1935年(昭和10年)戦前だね、歌舞伎座(千日デパート)前から、向かい、アシベ劇場、常盤座、現千日会館、大劇が見えてるよ』
千日デパートの写真も千日前通り(車道)側から撮った姿ばかりだね。南側の国際劇場側から撮った写真が無いね。
南側の一階の東側だったかなあ? 油と蜜をそれぞれ一杯に沸かしたでかい鍋を並べて、イモを揚げては、隣の蜜の鍋に放り込んで、
出来立ての蜂蜜ポテトを売ってたね。これが美味いの。白衣のおばさんニコニコと毎日作って売ってくれてたよ。50数年前かね?
揚げた皮が浮いて、其の中に蜜が溜まった端っこのコゲ辺りが美味いっ。おばちゃん、オレの舟には、そんなとこばっかし入れて。「云うたんかえ?」
こころの叫びだよ、もどかしい願いだよ。後ろで「さああ~兄ちゃんも姉ちゃんも、おじちゃんもおばちゃんも、見ていってやってやあ~」 「なんや?」
バッタ屋のおじさんがマイク持って客寄せしてんだよ。国際劇場の東側に国際地下劇場が在って、その横手の路地を挟んでバッタ屋さんが在った。
まだ、あんのかなあ? いろんな商品山積みだよ。その中央で、ちょっと、やっちゃん風の人が喋くりながら取り出した商品を紹介して売るんだよ。
「今なら、仕方ないっ、これも付けちゃおう」 なんて商品に商品付録して売り捌くんだよ。「買ったあっ」って、取り囲む客も勢いあんの。
売り手の講釈が上手いんだね、聞き惚れて、ずうっと立ち見の客が絶えないんだよ。「今日の客は、金持ってないんかねえ~?」 どっと湧いてるよ。
千日デパートの斜め向かいの角引き回しに東映映画の常盤座が在ったね、その北向かいが大映映画のアシベ劇場、40年程前かね?
両館ともパチンコ屋に変わってたと思う。此の頃も、変わらずバッタ屋のおじさんの声が聞こえてたね。
当時は、財布がはち切れそうに金が詰まってた。「おまえにない豪勢な話やな」 パチプロ顔負けの終了の鬼だったよ。勝って勝って勝ちまくりよ。
『明治維新まで千日前辺りは、刑場で、お墓、焼場、お寺なんか在ったところなのは有名だね』
しかし、あちら此方のお寺を移転させたり縮小させたり、商人(あきんど)は儲けの為なら何でもやるぜ。お化けも出るなら銭持って出て来い。
大阪商人は、何でも商売にして銭を生むんだぜ。でも、一等地なんだけども、何故か、旧アシベ劇場の裏手に在る三津寺墓地には、誰も手をつけないね。
オレが、この南に移り変わってきた頃は、この三津寺墓地周辺は、遠い昔の千日を彷彿とさせる雰囲気を漂わせていたよ。
「我等が恨み深しこの地に手を触れし者は、呪いの刃(やいば)で首ハネルッ」 なんてのが居座っておるんではないか? 「なんで刎ねると書かん?」
リアルな表現は怖いがな、ハネルッて、書くと、なんか明るい雰囲気だよ。「首が飛ぶのは一緒やないかえ」
流石の大阪商人も、命と金を秤にかけて、触らぬ神に祟りなしがよろしいようで。「なんや?」 噺家が最後に云うだろ? よろしいようでって、それだよ。
『もう、なんでもいいやって写真を探してたら、「あれっ?」この古い地図(下左側)で見ると、消えたお寺は金刀比羅宮って書いてあるよ』
今頃、出てきて貰うと、しんどいがなあ。金刀比羅宮(ことひらぐう)って読むんだね。コンピラグウって読んだよ。刀が邪魔だったけど。
ということは、お寺じゃないな、神社だよ。千日前法善寺の金刀比羅様と同類なんだね。「同類なんて云うか?」 もう、しんどいよ。
安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護をされるんだね。水関係職種か、だから千日前法善寺さんは水掛け地蔵なんだよ。
児童守護ね、知らぬ間に守って貰っていたのかねえ? くたばる頃に差し掛かって、ようよう、お礼を云っておこう。ありがとうございました。
もう、見直しすんのもしんどい。おかしなところは、今度、修正します。おやすみなさい。
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