脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

眠れない夜

2014-11-03 00:19:08 | 私の思い 3
夫が発病してからだろうか、
もうずっと長いあいだ
「眠る」ということを忘れている。

夫が元気だったころ、
寝つきの悪い私は
翌朝のために
少しでも早く布団に入りたかった。
夫は布団に入ると
すぐに眠りにつくことができる人で
寝つきの悪い私は
夫の眠りを妨げないよう
暗闇の中で身動きひとつしないで
眠りが訪れるのを待った。

あのころ、
いのちのおわりを考えることはなかった。
なんと傲慢だったのか。
かぎりある時間だと気づいていたら
眠ることより
ふたりの時間をたいせつにすればよかったのに。
いまになって
こんなに眠れぬ夜を過ごすのなら
あのころ、
眠らずにふたりの時間をたいせつにすればよかったのに!

決して戻ることができない時間。


わたしには
過去しか見えない。
わたしには
夫のいない未来はない。

さまざまなできごと

2014-11-02 21:09:25 | 私の思い 3
先日、報恩講のお手伝いに行った。
の檀家の軒数に応じて、お手伝いの人数が割り当てられているのだが、
わがの檀家6軒のち、2軒は80代後半、1軒は息子さんのみのご家庭で参加できず、
まだ動ける3人が毎年お手伝いに行くことになる。
「お斎(おとき)」と呼ばれる、お参りの方たちへの昼食準備が仕事。
「おひら」と呼ばれる決まった煮物。
里芋、大根、人参、牛蒡、油揚げを、どれも大ぶりに切って煮付け、お皿に盛る。
大根のなます、ひじきの煮物は別の器に盛る。
それにお味噌汁と漬物の食事をお手伝いの人も含め、200食ほど準備する。
世話役の男の人たちは、受付などと、事前に庭の手入れなどをする。
毎年、このお寺のお手伝いがあたると夫は熱心に出かけて行った。
自宅療養していた年、手伝いに行けないことを申し訳ないと言っていた。
夫がいたら、今年も張り切って出かけたことだろう。


この報恩講で配られる「お花束」が夫は大好きだった。
長野県の名産品でとてもおいしい干菓子。
今年もいただいたが、私は食べることができない。
夫がいたら、どんなにか喜んでたべたことだろう。


先月の半ば、娘のケアホームの親子旅行があった。
立ち寄り先の一つが「めんたいパーク」だった。
夫がなくなってからできた場所。
明太子大好きだった夫なら
きっと真っ先に連れて行ってくれたことだろう。
私一人では、そこまで行くこともできないし
夫のことを思うと、一人で行く気にもならず
きっと、一生行くことはない場所だと思っていた。
でも、旅行の行程に組み込まれている以上
「行かない」とは言えない。
明太子好きの義弟のためにお土産を買った。
夫がいたら、夫用にきっとたくさんのお土産を買ったことだろう。


10月から、職場で退職者があったため
そのフォローに現場に入っている。
毎日、利用者さんと向き合うのは
大きなエネルギーが必要だ。
わたしには、そのエネルギーを保つのに
大きな努力が必要だ。
それだけでへとへとになる毎日。
そんな中で「笑いヨガ」なるものが導入された。
毎朝、職員ミーティングで実行しなければならないことになった。
それが、私には耐えられないほどの苦痛だった。
利用者さんと向き合うために
精一杯テンションをあげているのに
これ以上、テンションをあげることはできない。
「わっはっは」「きゃっはっは」と大笑いする同僚の中で
ひとりだけ笑えない自分がとても苦しかった。
金曜日にカウンセリングに行ったとき、そのことを話し
心療内科のドクターから園長あてに電話を入れてくださることになった。
その電話がどんなふうに園長に伝わったのか、
そのこともとても気になっている。
まだまだ「鬱」の真っただ中にいるのだなあ・・・と改めて実感した。
というより、
きっとこのまま、ずっとこのまま生きていくのだろう・・と思っている。


夫がいたら・・・
夫がいたら・・・
そう思うことばかりだ。