脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

友人

2014-11-15 22:22:44 | 私の思い 3
今日、近所に住む友人が久しぶりに我が家を訪ねてくれた。
会うのは約一か月ぶり・・・

年齢も近く
家もすぐ近くで
わたしの次男と彼女の長男が同年齢ということもあり
乳児健診のころから
ずっと親しくしてもらった。

夫の闘病中は
転倒のたびに駆け付けてくれて
助けてくれた

そのころから
ご主人のご両親の介護でかなり苦しんでおられたのだが
わたしは夫のことで精いっぱいだった

夫がいなくなって
彼女自身が「癌」に罹患し
さまざまなことがあり
ともに「鬱」に苦しむ仲間になった


力が出ないことや
朝、どうしても起きられないことや
気力が出ないことなど

「鬱」を経験した者にしかわからない気持ちを
ともに苦しんだ「仲間」だった


ひとから「がんばれ」といわれることや
さまざまな「助言」が
どんなに重いか
「鬱」を経験したものにしかわからない苦しみを
話し合える友人だった


でも
少し前から
彼女と私の決定的な違いを意識し始めていた

彼女は
「よくなりたい」と思っている
でも
わたしは
「夫が戻ってこない限り、自分が変わることはできない」と
思っている


そして、今日
久しぶりに会った彼女は
少し気力が出てきたことを語ってくれた。
それは
わたしにとっても
心から喜べる朗報だった
彼女は
これからも
人生を楽しめる人なのだから・・・
でも・・・


わたしは変わることはない
夫がいないで世界で
心から楽しめることなどなにもない
心から笑えることもない
それでも
毎日、人と会えば「笑って」「明るく話して」いる
それは
わたしにはとても気力が必要で
苦しいことだ


友人には
心から気遣ってくれるご主人やご家族がある
でも
わたしには
気遣わなければならない家族はいても
気遣ってくれる家族はいない
ただひとりの
理解者を喪って
自分の思いを話せる人はだれもいない
もちろん
気遣ってくれる友人や親族はいるが
それでも
それぞれの家族のほうが大切なことはいうまでもない
そんなことは
仕方がないことなのだ


わたしは
ただひとりの
たいせつなひとがいなくなった
この世界で
生き続けなければならないことの意味がわからないだけ