脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

娘のおもい

2014-06-16 22:10:50 | 私の思い 3
娘の調子が悪い。
今まで三年近く
きっと
がまんにがまんを重ねていたのだろう。
今は
娘が言葉にできないたくさんのおもいに
とことん付き合うしかないと思っている



夫が病気になって
再発してからは
娘は
有無を言わさず
ケアホームに預けられてきた。
そうでなければ
再発した夫の病院に
3か月もずっと付き添うことはできなかった
再発して
車いすになって
たびたび混乱する夫と
生活のすべてに支援が必要な娘との生活は
週末だけでも精一杯だった

娘は
週末に帰宅するたびに
混乱が深まってゆく父親の姿に
どれだけ戸惑ったことかと思う

あんなにやさしかったお父さんが
どんどん
お父さんとは違う人格になってゆく・・・


それは
ほんとうに
残酷なすがただったし
娘には
ショックな出来事だったと思う


重度の知的な障がいをもつ娘が
そんな経験をして
よくいままで頑張ってきてくれたと思う

そのひとつの原因は
わたしが不安定だったからだろう

わたしが
ないてばかりいるから
むすめは
自分のかなしみを表現できなかったのではないだろうか

いまになって
むすめの
そんな緊張感が
ぷっつりと
切れたのだとしたら
わたしは
それに付き合わなければならない
娘の心が満足するまで



あのころ・・・

2014-06-16 21:08:35 | 私の思い 3
だんだんと
できないことが増えていったころ・・・


わたしは
夫に
いのちのおわりが近いことを悟られてはならないと
必死で笑っていた

「あんたはどうするんや」と夫はくりかえし尋ねた。

失語がすすみ
意味を成す言葉をほとんど話せなかったのに
たどたどしい語り口で
夫はくりかえしその質問を口にした。

あのころ、夫はきっと気づいていたのだ。
自分がいなくなったら
わたしたちはどうやって生活していくのかと
そのことをくりかえし心配していたのだ、と思う。

わたしは
その質問の意味に気づきながら
気づかないふりをし続けた。
夫が
残してゆく家族のことをどんなに心配してくれていたか
そして答えようとしない私に
どれだけ失望し、絶望していったか。

最後の時間を
穏やかに過ごすどころか
わたしは
夫の問いにこたえようとせず
夫を絶望へと追い込んで行ったのだ、と思う。

できなかった。
夫のいのちのおわりがちかいことなど
決して認めることはできなかった。

けれど
それは
わたしのおもいであって
わたしが認めようと認めまいと
その「とき」は確実に近づいていたのだ。

いちばん大切にすべきは
当事者である夫の思いだったのだ。

どれだけ悔やんでも
もどれない大切な時間を
無為にすごしてしまったことへの
切り裂かれるような胸の痛みと懺悔の思いを
わたしは
ずっと
忘れてはならないのだ。