ぼちぼちやりま!

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
焦らず慌てず、静かに時の来るのを待つ。

久々に小松左京を読む

2009-07-31 18:13:21 | 日記
図書館から借りてきていた、小松左京の「教養」という対談集と、「未来からのウインク」というエッセイの2冊を一気読みした。
腰痛のため、ジャイアント馬場のチャンピオンベルトみたいなコルセットを巻いて、寝転がったり、座ったり、正座したり、また寝転がったりしながら、一昼夜かかって読んだ。10年以上前に出された2冊だが、「科学」という切り札の見方や「生」の愉しみ方が、今風の姜尚中と異なるようでいて、共通する点は何かと思いつつ、読んだ。左京さんの歴史観・文学観が垣間見られる作品だった。

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左京の薀蓄・引き出しの種明かしみたいな本だったけど、内容のすごさは流石である。この本の中で紹介・引用されてる書籍の数だけでも、100冊は超える。「ジャン・クリストフ」「カラマーゾフの兄弟」「死の家の記憶」「神曲」「宝島」「我輩は猫である」「死霊」「チボー家の人々」「魔の山」「失われたときを求めて」「ガリバー旅行記」「変身」「審判」「聖書」・・・

非効率は覚悟の上で乱読を進める筆者、さらに年表・地図を片手に辞書を携えて、片っ端から読めと、読者に説諭される。メモを取ることの必要性、自分だけのインデックスを作れるか、と読者に挑んでくる。

話は環境問題から、哲学・宗教・死生観・科学論・文学論・現代文明まで一気に広がる。すごい引き出しの量に圧倒され、ついていくのがしんどくなる。
「未来からのウインク」のあとがきに近い章から、左京氏の乱読の効用についての一部を紹介します。

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一人一人の人間はこの宇宙に一回しか生まれてきません。しかし、読書による「イメージの共鳴現象」によって疑似体験を持つことは出来ます。たとえば探検家の記録であれ、作り物の冒険小説であれ、それを読んで手に汗握る疑似体験が出来れば1回限りの人生が拡大されたことになります。つまり本来なら1回しかない人生が横に拡大されたことになります。また、現在から出発して何万年もの過去や未来を描いたものに出会ったら「生」は限定された実存的な人生を越えて、遠く時空間の果てにまで拡がります。一人の人間の実存というものはその閉じ込められた「孤立」の壁を越えて巨大な人類全体にまで拡大することが出来ます。数百年、数万年、数億年まで生きることも可能になってくるのです。


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