設計安藤忠雄氏による「近つ飛鳥博物館」にいってきた。
大阪府南河内郡太子町という場所にある。古代、難波から見て奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼んだのに対し、中間地点にある太子町は「近つ飛鳥」と呼ばれた。このあたりは峡谷地にあり、用明・推古・孝徳天皇陵や聖徳太子廟をはじめ、飛鳥時代の皇族や豪族が葬られたと考えられる多くの古墳が群集している。これらは古墳時代終末期の代表的古墳群として知られ、一体は「王陵の谷」とも形容されているとのこと。
この博物館で今、「発掘された日本列島2009――全国最新発掘調査から20遺跡を厳選――」と題して、約30000年前の旧石器時代から近代のヨコハマ異人館までの発掘調査20遺跡の展示会が開かれている。
展示品説明のヘッドフォンを借りて出土品を見て廻ったけど、やや欲張りすぎているのか、全体を理解するにはこちらの容量オーバー、結構疲れた。
各時代の発掘内容を洩れなく扱いつつも本命は古墳時代に力点がおかれ、ボク的には縄文時代に強い興味があるのだが、その一点に絞ればややピント不足の感あり。その点欲求不満は残ったが、丁寧な展示内容には満足。
実は大阪に住みながら、初めて訪れたこの博物館、建築物としても安藤さんの個性が溢れたもので、良し悪しの評価は別にして妥協しない姿勢は流石と思う。打ち放しコンクリートに抱かれた内部空間には器としての強さとともに、安らぎを感じさせる温もりがあった。記念に博物館の銘が入った赤ワインを買う。
立地周辺には竹内街道があり、多くの歴史的財産が散在している、まさに「歴史街道」なり。帰りに立ち寄った「竹内街道歴史資料館」の方には貴重な宝物をいただき感激している次第。熊野街道や紀州街道、そして竹内街道、踏破すべき街道がまた一つ増えた。
大阪府南河内郡太子町という場所にある。古代、難波から見て奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼んだのに対し、中間地点にある太子町は「近つ飛鳥」と呼ばれた。このあたりは峡谷地にあり、用明・推古・孝徳天皇陵や聖徳太子廟をはじめ、飛鳥時代の皇族や豪族が葬られたと考えられる多くの古墳が群集している。これらは古墳時代終末期の代表的古墳群として知られ、一体は「王陵の谷」とも形容されているとのこと。
この博物館で今、「発掘された日本列島2009――全国最新発掘調査から20遺跡を厳選――」と題して、約30000年前の旧石器時代から近代のヨコハマ異人館までの発掘調査20遺跡の展示会が開かれている。
展示品説明のヘッドフォンを借りて出土品を見て廻ったけど、やや欲張りすぎているのか、全体を理解するにはこちらの容量オーバー、結構疲れた。
各時代の発掘内容を洩れなく扱いつつも本命は古墳時代に力点がおかれ、ボク的には縄文時代に強い興味があるのだが、その一点に絞ればややピント不足の感あり。その点欲求不満は残ったが、丁寧な展示内容には満足。
実は大阪に住みながら、初めて訪れたこの博物館、建築物としても安藤さんの個性が溢れたもので、良し悪しの評価は別にして妥協しない姿勢は流石と思う。打ち放しコンクリートに抱かれた内部空間には器としての強さとともに、安らぎを感じさせる温もりがあった。記念に博物館の銘が入った赤ワインを買う。
立地周辺には竹内街道があり、多くの歴史的財産が散在している、まさに「歴史街道」なり。帰りに立ち寄った「竹内街道歴史資料館」の方には貴重な宝物をいただき感激している次第。熊野街道や紀州街道、そして竹内街道、踏破すべき街道がまた一つ増えた。
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