人が生きる目標が個人の「幸福」の追求でありその大義を「正義」と呼ぶならば、世の中には個人の「正義」が人の数だけ存在することになる。環境保護を叫ぶ欧州少女にも、涙しながら投石するマスク姿の香港青年にも、ついでに言えば自己的な米暴走老人にも、楽器箱に入って出国するオッサンにも、個人的な「正義」は存在するのだ。
一方、ボク達人類・ホモサピエンスは、集団生活を営むことで、十万年にわたり種の存続を可能にしてきた。集団生活を維持するには時々に即応した社会規範が必須になり、「正義」にも個人的なものと社会的なものの2種類がでてきた。相反するものであっても、個人的正義と社会的正義の複眼を働かせて生きることが、「真の幸福」への道だと悟ってきた、ハズであったのだけど。
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