鷲田小弥太の「定年と幸福」を少し読み返し
ていたら、次の文章があった。
以下、その文章である。
高齢社会を生きる人間にとって厄介なのは、
別に大きな権力にあずかったわけでもなく、
望む自己愛を実現したわけでもない人間(男)
が、定年後、「何ものでもない」状態のまま20
年~30年も生きるということにある。
こういう状態で誇りをもって生きることができ
るか、という問題を突きつけられているのだ。
以上。
定年後の生活の「不都合な真実」である。
わたしの後輩(同級生の弟)が、参議院選挙に出
馬して頑張っている。
わたしの今の締まらない生活からすると、信じら
れない話しである。
自分の分をわきまえない発言かもしれないが、生き
るエネルギーが枯渇ぎみな己と比較して、ご苦労さ
んなことだ。敬服してしまう。
ポスターでみると、なんとも老成した面持ちだ。
定年後、「何ものでもない」状態のまま20年~30年、
なんとも恐ろしいことだ。
かといって、猛スピードで変転していく時代に、何
者になりうるのだろう。
新聞を目を皿のようにして見ても、わたしの心昂る
ものは皆無だ。
不本意なる第一の人生、挽回したいものだ。
しかし、どこを見渡しても、なりたいものがないの
だ。
定年後、「何ものでもない」状態のまま20年~30年、
恐ろしいことだ。
はてさて、どうしたものだろう。