ヤフーのニュースである。
65歳以上、最多の23.3%=80歳以上は866万人―総務省推計
「敬老の日」(19日)を前に総務省が16日発表した高齢者推計人口
(9月15日現在)によると、65歳以上の人口は前年より24万人増え
2980万人、総人口に占める割合は0.2ポイント増の23.3%と、
いずれも過去最高を更新した。
80歳以上の人口は前年比38万人増の866万人、割合も0.3ポイント
増の6.8%と、こちらも過去最高。
2010年の国勢調査速報値などを基に推計した。65歳以上の男性は
1273万人で男性人口に占める割合は20.5%、女性は1707万人で女性
人口に占める割合は26.0%。
家計の状況をみると、世帯主が無職高齢者である世帯の月平均実
収入は18万8406円、実支出は22万6533円で3万8127円の赤字。
世帯主が高齢者である2人以上世帯の平均貯蓄額は2275万円と、株価
下落などの影響を受け3年連続で減少した。
世帯主が高齢者の世帯でインターネットを使って購入した商品や
サービスの年間支出は10年が1万7112円。02年の5748円から約3倍に
増え、ネット利用の進展がうかがえる。
以上。
65歳以上、最多の23.3%。
この数字への到達、意外と早いような気がする。
わたしたち団塊の世代及び昭和25年生が、65歳以上になったら、
どれだけのパーセンテージになるのか、気になるものだ。
なんともおぞましい気分になる┄┄。 自分のことだが。
定年後の生活について、いろいろと本も出版されるようになった。
老いる覚悟 森村誠一=著 ベスト新書
には、こういうのがあった。
定年後、第二の人生のスタートラインに立って、「これから
自由にしなさい」といわれたとき、そこには、「何をしても
いい自由」と、「何もしなくてもいい自由」がある。
「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現したり、新しい
ことに挑戦することである。
会社、組織での人生のしがらみを捨てて、未知の分野に進む
覚悟である。
たとえば、学生時代に留学をしたかった人は留学をすれば
いい。
趣味の蕎麦打ちが高じて退職金を全部つぎ込んで自分の店を
持ち、世間の人に本当のうまい蕎麦を食べてもらうのもいい
だろう。
仏門に入り修行して僧侶になるのもいい。
要は現役時代にできなかったことを実現することが「何をしても
いい自由」なのである。
「何もしなくてもいい自由」とは「何をしてもいい自由」と
ちょうど正反対で、社会とかかわりを持たず一日中ひとりで
テレビを見て暮らすような、本当に何もしないことである。
夢を叶えるでもなく、新しいことにも挑戦しない。
日々をあるがままに過ごすことをいう。
どっちを選んでもいいよといわれると、「何もしなくてもいい
自由」を選ぶ人が多い。
会社、組織を退職した人、特に一流会社の、いい地位で定年を
迎えた人は、「何もしなくてもいい自由」を選びがちである。
誰も計画を立てたり、命令をしてくれる人間がいなくなり、
ひとりでは何をしていいのかわからなくなってしまうのである。
昨日まで一緒に働いてきた上司や同僚あるいは部下がいなく
なる。
出勤してタイムレコーダーを押して自分の席に着けば、周りに
同じ組織の仲間がいたのに、それが退職すると誰もいなくなる。
何をするにしてもひとりでやらなければいけない。
組織を辞めれば孤独になるということが、現実的にわかって
いなかったのである。
何十年も会社という組織の中で一生懸命働いてきたのだから
無理もない。
それまでは、会社のポリシーの奴隷であった。会社に忠誠を誓い、
ポリシーに縛られている人を、わたしは[社奴」とよんでいる。
しかし「社奴」から放たれた人のほとんどが途方に暮れる。
何をしていいのかわからない、どこに出かけていくのかも
決められない。
長年放っておいたので、家庭にも居場所がない。
リタイアして年金生活をおくっているわたしの仲間も、
やはり、何もすることがない人のほうが、多い。
しかし、家にはいられないので、仕方なく、ひとりで街に出て
時間を潰している。
本当に何もすることが見つけられない人は、電車の環状線に
乗っている。
環状線に一日中乗り続けて、本を読んでいる。
自分ひとりでは何もできずに、仕方なしに「何もしなくても
いい自由」を選ばざるを得ない悲劇。
「タイムイズマネー」を地でいっていたエリート社員が、時間を
潰すために、一日中電車に乗っているなどと、本人たちも想像
できなかったであろう。
以上。
こう語っていたが、
わたしが、日々、見かける高齢者は、
夢を叶えるでもなく、新しいことにも挑戦しない。
日々をあるがままに過ごす「何もしなくてもいい自由」を
選ぶ人を多く見かける。
もしかすると、「何をしてもいい自由」を享受している
人達は、わたしの視界にはいないということかもしれ
ないが。
高橋歩氏は、こう言った。
やりたくない事を日常的にやってると、
本当やりたいものが見えなくなっちゃう。
そのうちに、金をやりたい事に使う度胸も
なくなっちまうぜ。
以上。
と言ったが、
大概の人間は、出来そうなことで、生活の糧を得ようと、
つまり、食べるために、生きている。
長い職業生活にあって、本当にやりたいことを考えることが、
いつしか、できなくなってしまったのかも。
高橋歩氏は、
出来そうなことの中から探してるうちは、
きっと何も見つからないぜ。
と言ったが、
なんせ、できそうなことしかやらない癖が身について
しまっているので、いつも堂々巡りの人生ばっかし、
繰り返しているような気がする。
森村氏、これから、老人のサバイバルが始まる。
なんて言ったが、これから、膨大な高齢者が街に溢れる。
人生の評価において、人生の第二幕をいかに生きるか。
主体的に判断し行動できる資質や能力の有無を問われ、
自助努力を叱咤される厳しい時代になりそうだ。
何しろ、本当の意味で、自由に考えたことも、行動した
ことも大方の人間は、ないのもだから。
本当の自由を手にしても、どうしていいか分からない。
いや、本当の自由が何かも判断できない。勇気もない。
誰かに言われなければ、自分が自由であるということを
確信できない。
それは、パラドックスだ。それでは、自由ではない。
だから、自由は、やっかいだ。