最近、モーツァルトのレクイエムをよく聴く
ようになった。
指揮は、カラヤンである。
前々から、バッハのフーガの技法が聴ける
ようになって、びっくりしていたが、なんと
はなしに、この曲を聴いてみる気になった。
たまたま、カラヤンの演奏があったので、聴
いたのだが、予想外にも心地よく聴けて、び
っくりした。
若いころだったら、とても、聴く気にならな
かった曲が、今、心地よく響く。
不思議でならない。
変な話だが、この曲を聴きながら、佐伯泰英
の小説を読んでいる。
レクイエムとこの小説の接点は、全くないが、
音楽は心地よく聴けるし、小説の方は寝るの
が惜しいほど、楽しい。
肘突き背もたれのある椅子にふん反り返り、
ベッドに足を放り投げ、心地よく響く音楽を
聴きながら、時がすぎるのを忘れて、小説に
耽溺している。
なんとも、贅沢な時間なこと。
それにしても、レクイエムが心地よく響いて
くるなんて、なんて不幸な時代なんだろう。
若いころ、革命という言葉が、輝いてみえ
た時代があったなんて、嘘のようだ。
こんなにたがの外れた時代、重信房子は、
牢獄でどう思うのだろう。聞いてみたい
ものだ。