卒業写真を久しぶりに、聴いている。
この曲は、30代の始め、自分の人生に
行き詰まりに、呻吟していた時に、職場
で突然流れてきた。
その時の曲は、ホルンが前奏で出てきた
アレンジであったが。
わたしの隣で、30代の先輩が堂々と、仕事
をしていたのを、横目にしながら、わたしは、
自分の能力不足を認めざるを得ない現実を突
きつけられていた。
資質・適性に欠ける、その上能力不足である。
わたしは、疲労困憊していた。
その時、わたしは仕事を止めるつもりで
いた。
ただ、その時に、仕事を止める手続きを
というのを知らなかった。
結局、職種替えをすることにして、転勤を
した。
今から振り返ってみると、止めなかったこと
は、正解だった。
この激変する社会に、あの時に止めていれば、
完全にドロップアウトしていたはずだ。
もともと人見知りの性格で、社会的適応力に
欠ける。今になってみれば、ヒヤッとする思い
だ。
勧奨退職という結末だったが、とりあえず、
第一の人生、ゴールまで辿りついたといえ
るのではないか。
もしあの時に、止めていれば、年金生活な
んて、あり得なかったし、今、ブログを書い
ていることもなかったし、バイクを乗って
いることもなかっただろう。
もちろん、わずかではあるが父親の資産を
管理する能力も培うことができなかっただ
ろう。
何度か、仕事をやめるかもいう気になった
が、辞めずにいれたことに、今頃になって、
感謝している。
「人込みに流されて変わっていく自分自
身」に歯ぎしりするたびに、この曲を聴い
てきた。
30代、40代、50代、そして、今。
しかし今や、私自身をねじ伏せたものは、
どこにいったのだろう。
タガが外れた状態の収拾のつかなくなった
時代、そのような情けない時代とそのよう
な時代に愛想を尽かすなさけない自分自身。
辿り着く先が、こうだと思えば、「人込み
に流されて変わっていく自分自身」に歯ぎ
しりしたのは、どういうことだったのだろ
う。
だいぶ前だが、新聞の死亡広告蘭に、わた
しの隣で、堂々と仕事していた先輩の訃報
が載った。
落ちこぼれの私は、まだ生きている。人生は
なんだろうという思いが、一瞬、頭をよぎっ
た。
重信房子は、
おみなえし揺れ咲く細き野道行く
なりたい自分になれただろうか
と、歌った。
彼女は、まだ、牢獄にいるのだろうか。
いま、老いて、子育てが上手くいって、
老いの不安に怯えない人生を享受できる
人は、どれほどいようか。
タガが外れた状態の収拾のつかなくなった
情けない時代に、みんなどう暮らしている
のだろう。
誰が、なりたい自分になれただろう。