とある本にあった話である。
理詰めで選択をしてはいけない
今付き合っている恋人に、「俺のどこが好き?」と
聞いたことがあります。
しばらく悩んだ末に彼女からは「わからない」という
答えが返ってきて、がっかりしました。こんな私ですが、
これは相当に凹みました。
今の彼女は、私が転落して億万長者ではなくなっても、
私のことを愛しているといって、ずっとそばにいてくれ
ます。私にとっても、本気で惚れた女性で、真剣に付き
合っています。
だからこそ、明確な答えが返ってこなくて残念だった
のです。
しかしながら、今になって振り返ってみると、過去、
真剣に好きになった恋人たちが、「あなたのここが好き
なの」と具体的に好きな理由を言っていた記憶がありま
せん。
一方で、遊びで付き合っていた女性たちに同じ質問を
すると、すぐに明確な答えが返ってきました。
「有名人だから」
「頭が良くて頼りがいのあるところ」
「経済力かあるところ」
本当に好きな人は、「どこが好きか」を説明できない
この分析がきっかけで、私はこのように考えるように
なりました。
遊び半分で付き合っていた女性たちは、私のことを条件
やステータス選んでいたのではないか。
反対に、私も遊びで付き合っていた女性は、「モデル
をやっていてキレイだから」「知性があるから」といっ
た条件やスペックで選んでいて、その理由も即答できま
した。
ところが、私が本気で好きになって付き合ってきた女
性たちに対しては、そういった明確な理由がすぐに浮か
んでこなかったのです。
本気で付き合っている相手は、条件やスペックではな
く、論理や言葉で説明できない直感で選んでいたのです。
これは自分がする仕事を選ぶときや、人生の選択をする
ときにも、当てはまるのではないでしょうか。
自分がやっていて幸せを感じる仕事というのは、条件
やスペックで決めた仕事ではなく、直感的に好きだと思
った仕事ではないでしょうか。
「給料が高いから」「儲かりそうだから」という理由
ではなく、なんだかやっていて楽しいといった、言葉に
できないワクワク感をもっか仕事こそが天職だといえる
のだと思います。
仕事を選ぶときは、素直に感情に従うのは犬切なこと
です。「なんとなく」という感情が意外に最強だったり
するのかもしれません。
近年、人間の仕事が機械やロボットに取って代わられ
る事象が多くなってきています。そんな時代だからこそ、
ロボットでない私たちは「なんとなく」という感覚をもっ
と大事にするべきではないでしょうか。
直感的に好きなものを選ぶ
以上。
わたしは、どちらかと言うと、物事を理詰めで考えた
がる。直感的な選択を信用しない質になっている。
だから、このような考え方を提示されると、戸惑いを
感ずる。
わたしの中に、「直感的な選択」と「感情的」「気ま
ぐれ」と同列となっているのかもしれない。
この本で、
今の彼女は、私が転落して億万長者ではなくなっても、
私のことを愛しているといって、ずっとそばにいてく
れます。
とある。
このような出会いがあるのだ。羨ましい。
それからすると、「婚活」というのは、そのような
ことから、まったく、なんの接点もないのは、皮肉だ。
この本の別の場所に、次ぎのような文章があった。
お金で、愛は買えない。
誰もがそう信じている。
だが、果たしてそうなのだろうか。
きっとお金で、愛は買える。人の心も買える。
だからこそ僕らは、お金で買えない、愛や心を
探している。
以上。
ところで、
お金で買えない愛や心は、どこへ行けば見つかる
のだろう。
お金で買えない愛や心は、どうしたら得られるの
だろう。
情けないが、わたしは良く知らない。
きっと、だれもよく分からない。だから、
「きっとお金で、愛は買える。人の心も買える。」
で、済まそうする。
マッカートニーは、こう歌う。
ダイアの指輪を買ってあげようか 欲しかったら
君が喜ぶならなんでも 買ってあげるよ
金ならいくらでもあるんだ でも 愛だけは買えない
なんでも君に上げるよ 愛してくれるなら
ぼくのできることなら 何でもするよ
金ならいくらでもあるんだ でも 愛だけは買えない
と歌ったが、大抵の人は、
ダイアの指輪を買ってあげようか 欲しかったら
君が喜ぶならなんでも 買ってあげるよ
金ならいくらでもあるんだ
なんでも君に上げるよ 愛してくれるなら
ぼくのできることなら 何でもするよ
金ならいくらでもあるんだ
こうやってしまうし、この方法しか知らない。