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リタイアーのよもやま話

一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか

2013-11-19 20:24:00 | 読書

一神教の起源
旧約聖書の「神」はどこから来たのか

山我哲雄

筑摩書房

を読み終えた。

新聞の書評欄にこの本が紹介されていた。
「旧約聖書の『神』はどこから来たのか」なんて
書かれていたので、興味がわき隣のスーパーの本
屋で取り寄せた。

結論から言って、見事な本だった。
わたしが聖書に触れたのは、高校3年生の時だっ
た。以来、何かと「神」という概念については、
興味を持ち続けてきたが、マルクス主義に被れた
時に、宗教は「アヘン」だ。なんていう言葉に出
会ったら、それ以来、また興味は深まっていった。
そういうこともあって、今回のこの本は、わたしが
ある意味で待ち続けてきた本であった。

わたしの「問い」への、答えが見つかることになり、
大変嬉しいことだった。

待ち続ければ、いつか「答え」が出てくるものだ。

ちょっと、長くなるのだが、肝要な部分を、紹介
してみたい。引用が長くなるので、著者には、失
礼だが、本の宣伝だと思って頂きたい。

 

以下、「おわりに」、「いわゆる『出エジプト』」の
紹介である。

 

おわりに

 一連の「革命」による唯一神教の成立

 本書では、旧約聖書における一神崇拝の発展につ
いて、ほぼイスラエルとユダの歴史をたどりながら
跡付けてきた。これを全体として振り返ってみると、
古代イスラエルおける拝一神教の成立から唯一神教
の確立へという経過は、その歴史を通じて一連の信
仰上ないし思想上のさまざまな「革命」が繰り返さ
れ、積み重なる形で実現した、と見ることができる
ように思われる。

これを法則的な「進化」と呼ぶのは必ずしも適切で
はないが、生物の進化も、一度だけの突然変異で起
こるのではなく、それ自体としてはほとんど気付か
れないほどの小さな変異が無数に蓄積されて進むの
であるという。キリンの首は、ある時突然、長くな
るわけではないのである。

 イスラエルとユダの場合、それらはいずれも困難
な状況を克服し、逆境を突破して、共同体、国家、
民族の存続を可能ならしめるような、思想と信仰の
「革命」であった。前1300年頃以前には、そも
そもイスラエルという民族も存在していなければ、
ヤハウェという神も知られてはいなかった。しかし、
遅くとも前1200年の少し前までには、パレスチ
ナに「イスラエル」と呼ばれる部族連合的な共同体
が成立していた(メルエンプタハ碑文)。多様で複雑
な起源を持つこの共同体は、やがて共通の先祖に遡
る系図、共通の歴史伝承、同じ神の共有等を通じて
一つの民族としての性格を強めていく。

 「イスラエル」という名称から見て、この集団は、
最初は「エル」という神を共通の神として結束して
いたらしい。このエル崇拝が、すでに排他的な一神
崇拝の性格を持っていたかどうかは分らない。この
エルが、やがて外部から(出エジプト伝承の担い手
である集団によって?)もたらされたヤハウェとい
う強力な戦いの神と同一視された。この段階で、ヤ
ハウェ崇拝には排他的な性格が強まったと考えられ
る。

この経過の中で、単に従来の神との同一視が行われ
るだけでなく、従来の神(々)の自覚的放棄が決断
されるという事態もあったらしい。この時代は、エ
ジプトの支配権のパレスチナからの後退とその結果
としてのカナン都市国家同士の抗争激化、ペリシテ
人を含む「海の民」の侵入などに起因する政治的・
社会的な大変動、混乱の時期であった。そのような
不安定で困難な状況の中で、共同体全体がヤハウェ
のみを排他的に崇拝することは、イスラエルという
民族のアイデンティティを創出・維持・強化するた
めに「環境適合的」な作用を持ったと思われる。そ
れは、危機的な状況を克服し、共同体が存続するた
めの知恵でもあった。これが、いわば「第一の革命」
である。


 ただし、初期イスラエルの一神崇拝は、他の民族
の神々の存在は否定せず、ただ「イスラエルの神」
はヤハウェのみだという、民族神的拝一神教であっ
た。それはイスラエルの民族神、国家神はヤハウェ
のみであるというものであり、地域や家族の生活の
レベルでは、ヤハウェ信仰以前の宗教的慣習が色濃
く残されていた。

 サムエル記の記述にもかかわらず、イスラエルに
おける王国成立の歴史的過程はよく分からない。イ
スラエルとユダが、列王記に描かれるように統一王
国から二つに分裂したのか、それとも別々に成立し
たのかについても、現在の状況では確言できない。
しかし、王たちを含む人名の検討などから、そのど
ちらの国においてもヤハウェが唯一無二の国家神、
王朝神であったことは確かである。

このうち、特にユダ王国においては、ヤハウェとダ
ビデ王朝の結び付きが極めて緊密であった。

 前九世紀から前八世紀にかけて、北王国イスラエ
ルではフェニキアとの同盟を通じてバアル崇拝が蔓
延し、南王国ユダではアッシリアの国家祭儀の導入
に触発されて宗教混淆的傾向が強まった。このよう
な信仰の危機ともいえる状況下で、従来のヤハウェ
専一信仰を守るために戦ったのが、エリヤやエリシ
ャなどの預言者たちであった。特に、前八世紀の文
書予言者たちは、イスラエル、ユダとヤハウェの間
の民族宗数的な絆を一旦断ち切り、従来の民族主義
的拝一神教の枠を超えて、異邦人勢力を用いてイス
ラエル、ユダを罰する世界神としてのヤハウェの観
念を生み出した。いわばこれが、「第二の革命」であ
った。前七二二年のイスラエル北王国の滅亡は、そ
のようなヤハウェの裁きの実現と解釈された。

 前七世紀後半になると、申命記運動の担い手とヨ
シヤ王は、地方聖所の廃止と祭儀集中、異教的要素
の粛清という国家的、政治的手段を通じて、ヤハウ
ェのみの排他的崇拝を復興し、強化しようとした。
これにより、地域のレベルでの非ヤハウェ信仰的要
素も排除されることになった。


また、この運動を通じて、ヤハウェとの契約の観念、
申命記法、十戒、「シェマの祈り」などが確立した。
これを[第三の革命]と見ることができる。ただし、
この段階でも、神観はあくまで拝一神教的なもので
あった。

 

 ヨシヤ王や申命記運動の奮闘にもかかわらず、こ
の信仰「革命」はヨシヤの非業の死によって頓挫し、
その後ユダ王国は滅亡し、生き残りの人々の多くが
バビロン捕囚となる。この前六世紀の破局的事態は、
捕囚民に未曾有の信仰の危機と動揺をもたらした。
それはバビロンの神々の勝利として、またヤハウェ
の敗北や無力さの露呈と解釈されるおそれがあった。
しかし、申命記運動の継承者たちや捕囚時代の預言
者たちは、あるいはこの破局をイスラエルの罪の結
果として意味づけ、あるいは不可能を可能にするヤ
ハウェの全能を描くことで、この信仰の危機を克服
しようと努めた。ここに[第四の革命]がある。

 このような国家の滅亡と捕囚という極限的な状況
の中で生じた一連の「第四の革命」に続いて、それ
とは質的に異なる、ある意昧で人類宗教史上最大の
思想的・信仰的革命が起こった。それが、ヤハウェ
以外の神の存在を原理的に否定する、第二イザヤに
よる唯一神観の宣言である。ヤハウェ以外に神は一
切存在しない。
これが、いわば「第五の革命」である。そこには、
神というものについて考える枠組み(パラダイム)
の転換があり、「逆転の発想」がある。重要なことは、
それが国も王も土地も神殿も失い、絶望の淵に追い
込まれた捕囚民の間から、無力な民に力を与え、絶
望を希望に変える起死回生的、一発逆転的な究極の
論理として語り出されたということである。


アクエンアテンの場合とは異なり、それは独裁的な
支配と権力を補完し維持するための論理ではなかっ
た。それは、最も非力な集団が絶望的な状況を克服
し、生存と信仰を維持するための「生き残り」のた
めの論理であった。


 唯一神教は不寛容で攻撃的か?-イスラエルの
場合


 本書の「はじめに」で、一神教は不寛容で攻撃的
かどうか、という問題を提起した(17~18ペー
ジ参照)。これまでの考察に基づき言えることは、少
なくともイスラエルの場合、唯一神観の歴史的起源
に関してみれば、それは攻撃性とも暴力性とも無縁
のものだった、ということである。

もともとイスラエルもユダも、古代オリエント世界
の辺境に存した弱小国家に過ぎず、権力や覇権とは
ほとんど縁がなかった。その小さな国家が滅び、新
バビロニア帝国の圧倒的な支配のもとで「ヤハウェ
の民」が最も非力で悲惨な境涯にあった時に、彼ら
の中から唯一神観は生まれた。

ここに、旧約聖書の唯一神観の逆説性がある。たし
かに第ニイザヤはヤハウェ以外の神々の存在を否定
したが、それは自分たちの信念と宗教的価値観を他
の人々に押し付けるためではなく、むしろ絶望の支
配する逆境に抗して自分たちの信仰と共同体を守る
ためであった。それは、弱い者が生き延びるための
知恵であった。

 

 その後のユダヤ教

 第ニイザヤの唯一神思想は、「ゴルディオンの結び
目」を断ち切るような行為であったが、同時に[コ
ロンブスの卵]でもあった。すなわち、この時代以
降の旧約聖書文書のほとんどでは、第ニイザヤの説
いたような意昧での神の唯一性が当然で自明なこと
とされている。「モーセ五書」中の祭司文書において
も、「第三イザヤ」(イザヤ書五六~六六章)、「ハガ
イ書」、「ゼカリヤ書」、[マラキ書]といった後期預
言書においても、「歴代誌(上下)」や「エズラ記」、
「ネヘミヤ記」などの後期の歴史書においても、「箴
言」、「コヘレトの言葉」、「ヨブ記」という知恵文学
においてもこのことは同様である。

 

 ただし、注目に値するのは、それら後期の文書で
は、第ニイザヤや申命記四章に見られるような仕方
で、神の唯一性が自覚的に主題化され強調されるこ
とはほとんどないということである(せいぜい、ゼ
カ一四9、マラ二10を参照)。むしろ、周辺(ペル
シア、ヘレニズム、さらにはことによるとエジプト)
の異文化からの新たな影響もあるのだろうが、この
時代以降になると、ヤハウェと並ぶさまざまな霊的
存在について、よりとらわれのない仕方で頻繁に語
られるようになる。例えば神に挑戦する存在、少な
くとも神の意志とは異なる意向を持つ超自然的存在
としての「サタン」(本来はヘブライ語で「敵対者」
という意味の普通名詞)が登場し(ヨブ一~二章、
代上二一1、ゼカ三1ー2)、知恵が「万物に先立っ
て造られた」神の初子として擬人化され(箴八22―
31)、「ガブリエル」(ダ二八16、九21)、「ミカエル)
(ダニ一○13・21)といった固有名詞を持つ「(大)
天使」や、さらには「天の雲」に乗って到来する「
人の子のような者」(ダ二七13)が重要な役割を果

たすようになる。この傾向は、旧約聖書に取り入れ
られなかったユダヤ教の黙示文学や、二〇世紀中葉
に発見された「死海文書」(クムラン文書)ではより
いっそう顕著になる。

 

こうして見ると、自分たちの神の唯一性を意図的に
強調した第ニイザヤや、それと類似した唯一神観を
示す捕囚期以降の少数の箇所は、旧約聖書の中でも
孤高を保っているように見える。

 

 エルサレム神殿がローマ軍によって破壊された後
七〇年以降のラビたちのユダヤ教においても、神の
唯一性は厳格に保持された。中世のユダヤ教神学者
モーゼス・マイモニデス(一一三五~―二〇四)は、
「ユダヤ教の信仰の十三原則」を定めたことで有名
であるが、そこでも「万物が創造主に造られたこと」
に次ぐ第二の原則として、「創造主の唯一性」が挙げ
られている。しかしながら、同じ中世のスペインや
ドイツで発展したユダヤ教神秘主義のカバラでは、
神の属性として、①「王冠(ケデル)」、②「知恵(ホ
クマー)」③「理性(ビーナー)」、①「慈愛(ヘセド)」、
⑤「正義(ディン)」、⑥「美(ティフェレット)」、⑦
「不滅(ネツアフ)」、⑧「威光(ホード)」、⑨「基底
(イェソード)」、⑩「王国(マルクート)」の一〇の
「スフィロート」(「数」の意)が区別され、それらの
相互関係から、さまざまな神学的命題が説明された。
ここには、唯一の神の中に多様な側面を見ようとする
視点が示されている。

 

以上。

 

いわゆる「出エジプト」

(抜粋である)

 

 ところで、旧約聖書は、出エジプトをあくまで
イスラエル民族全体の体験として描き(民一~二章
等参照)、その規模は「壮年男子だけでおよそ六十
万人」(出一二37)であったとしている。


家族を加えれば、数百万規模の民族大移動だったと
いうことになろう。また、旧約聖書はそれが神ヤハ
ウェの偉大な力を示す奇跡的な救いの業であったこ
とを強調する(出七~一二章、一四~一五章)。

「神の救い」や「奇跡」ということは度外視すると
して、出エジプトがイスラエル民族全体の共通体験
だったとする旧約聖書の観念も、歴史的事実に立脚
するものではあり得ない。後に見るように、ヨシュ
ア記が物語るような、イスラエル民族が外部から一
団となってパレスチナに侵入したという事態を示す
痕跡は、まったく存在しない。「イスラエル」とい
う民族集団は、パレスチナ自体の中で、起源を異に
するさまざまな集団が、何段階かにわたる複雑で漸
進的な過程を通じて相互に結合し、民族的自己同一
性(アイデンティティ)を獲得することによっては
じめて形成された、というのが真相のようなのであ
る。

 エジプトの史料を見ても、前一三世紀前後に大量
の奴隷の脱出があったり、大規模な民族移動があっ
たという事態を示唆する記録は、少なくとも今のと
ころ何一つ発見されていない。もし何百万人もの人
間が同時に移動したとすれば、通過した後に一連の
破壊の跡や大規模集団の宿営の跡、大量の土器の散
乱など、考古学的な痕跡も残るだろう。そのような
ものもまったく発見されていない。したがって、歴
史的に考え得るのは、出エジプト伝承のもとになっ
た出来事が、実は文書記録にも残らず、考古学的痕
跡も残らないような小規模な出来事であった、とい
うことである。ただし、それがどの程度の規模(何
十人規模? 何百人規模? 何千人規模?)であっ
たのか、彼らがどんなコースでエジプトからカナン
に向かったのかについては、今ではまったく分から
なくなっている。後のイスラエルは、出エジプトを
自分たちの民族全体に関わるヤハウェの偉大な救い
の業と信じたが、それはエジプトにとっては、国
家の記録に残す値打ちもない、奴隷の一部の逃亡
(出一四5参照)といった些細な事件に過ぎなかっ
たのであろう。それを、後のイスラエル民族は、自
分たちの民族全体の共通体験として再解釈した。そ
してそれを、自分たちの神ヤハウェの卓越した救い
の力を示す象徴的な出来事として語り伝えていった
のである。

以上。

かなり、長くなったがこの本の肝要な箇所である。

多くの研究者の努力があって、この本ができあがっ
たようである。

何十年も待ち望んでいた答えに、このような専門家
の方々のおかげで、辿り着けたようである。このよ
うな方々に感謝したい。

ただ、著者の意図に反する解釈をしている。著者が
「性善説」であればわたしは「性悪説」というスタ
ンスに立ちたい。

それは、著者の姿勢にたいして反するような解釈
をするというものであり、著者に、失礼だが。

自分の著書から、自分の意図に反する解釈をする
読者がいるというのは、本人にとっても、あまり
いい気持ちはしないと思ってはいるのだが。

勿論は、わたしは、ズブの素人なので、邪論で
ある。

 

マルクスの弁証法的唯物論は、ヘーゲルの客観的
観念論があって、生まれたものだ。

詳しいことは忘れたが、ヘーゲル死後の青年ヘー
ゲル派の活動の有り様に、苛立って、自分こそが
ヘーゲルの後継者だと、言い放ったことがあった
ようだ。もちろん、記憶がおぼろげだ。

自分の言い訳をするのに、マルクスやヘーゲルを
引き合いにするのは、不遜な行為であるが、悪意
はない。

人の褌で相撲をとってみたい。

1 もともと、ヤハウェは、エジプトから逃げ出
した奴隷が担いだ「戦争の神」である。

  「創世記」で、天地創造などをしたことになっ
ているが、後世のでっちあげである。

 

2 ヤハウェという神をかついでエジプトから奴
    隷が脱走し、「イスラエル」と呼ばれる部族連
    合的な共同体である郷里へ逃げ帰った。

    彼等は、エジプトという国を見て、郷里をひと
    つの国にまとめ上げようという野心を抱いた。

    エルという神を信じていた共同体に、ヤハウェを
    強引に持ち込み、共同体における宗教的主導権
    を握り、ついに、国家を成立することができた。


3 著者は古代イスラエルおける拝一神教の成立から
  唯一神教の確立へという経過は、その歴史を通じ
  て一連の信仰上ないし思想上のさまざまな「革命」
  が繰り返され、積み重なる形で実現した、と見る
  ことができるように思われる。と、まとめで書いて
  いたが、わたしは、これをかなり、曲解したい。 

    「革命」という書き方は、彼のスタンスとして、
    そうなるしかないが。

   わたし的には、「革命」ではなく、「詭弁」である。
   ヤハウェは、詭弁を使い、自分の弱みを誤魔化す
   ために、自分の民を恫喝し、自分の権威を押しつ
   けた。バビロンの捕囚となった時に、ヤハウェは、
   自分が負け組となった時に、それを国民に知られ
   たくないために、バビロンをして、イスラエルを
   懲らしめたと詭弁を使い、自己保身にはしった。

   バビロンが崩壊する兆しが見えてきたら、そのバ
   ビロンは、滅ぼされると言いふらし、どこかの神
   を利用して、滅ぼした。なんて。

   そして、自国の民に恩きせがましく、救ってやっ
   たから、俺以外の神は存在しないなんて、オオボ
   ラをほざいた。


   とうとう、天地創造なんて、俺(ヤハウェ)がや
  ったのだと、とんでもないことを言い出した。

   あまたいる神の中の一人でしかなかった戦いの
   ヤハウェは、宇宙を創ったなんて、大嘘をついて、
   イスラエルを牛耳ろうとした。

   なんてことはない。旧約聖書ってのは、エジプト
   から逃げ帰った奴隷がとにかく一国一城の主にな
   りたくて、ヤハウェをいじ繰り回して、自分の野
   心を遂げようとしただけの話をとっもとらしく、
   飾りたてただけのことなのだ。

  時間が過ぎ、いつのまにか、一部の野心家の陰謀
  は 忘れさられて、まるで、不可侵の書物であるか
  のよ うに後世の人間がいじ繰り回し、嘘に嘘を重
  ねて、 魑魅魍魎の世界になっている。

  山我哲雄氏にしてみれば、自分の本から、とんでも
   ないことを言ってくれたものだと、不愉快かもしれ
   ぬ。

   残念ながら、凡俗なわたしの頭脳では、人の頭脳で
   相撲をとることしかできない。

  しかし、この本は、良い本である。見事な本だと思う。
   わたしのような 解釈をする必要はないが、ぜひ多くの
   人に読んでもらえたらと思った本である。

    桎梏となった宗教から、われわれは解放されなければ
    ならない。