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リタイアーのよもやま話

人は死ぬとき何を後悔するのか

2013-11-01 21:47:41 | 読書

人は死ぬとき何を後悔するのか

2500人を看取った医師が知る
「間際の心」

小野寺時夫
日の出ケ丘病院
ホスピス医兼ホスピスコーディネーター

宝島新書

 

最近、この本を読み終えた。

年ともに、このような本に目がいくように
なった。

前に、ブログで次のような本について、書い
たことがある。

死ぬときに後悔すること25

緩和医院 大津秀一
致知出版

 

あなたは考えたことがありますか?
死ぬときに人はどうなる10の質問

緩和医療医 大津秀一著
致知出版

これらの本を読んだ時も、いろいろと考え
させられたが、今回の本も多いに考えさせ
られるものがあった。

今回のこの本は、前回の本に比べて、事例が
深刻で、考えこんでしまった。

この本の帯の表には、次のような文章がある。

悔いの多い人生では安らかに眠れない。
現役ホスピス医が聞いた「後悔」の実例。
果たせなかった夢、お金・仕事への執着
「がん治療」の受けすぎ┄┄

以上。

 

また、その裏には、目次がある。

第1章 死を忘れた日本人
第2章 治療を後悔する人が多すぎる
第3章 家族が不運でなければ、幸運
    である
第4章 オンナとカネが人生を壊す
第5章 やりたいことは今すぐやる
第6章 死に際に後悔しないために、今
    できること

 

以上。

 

また、本の裏表紙には、次のような
ことが書いてあった。

外科医として5000人以上のがん治療に
携わり、ホスピス医に転身した小野寺
時夫氏。

これまで2500人以上を看取ってきた

小野寺氏が聞いた。死に際々の言葉

の数々。

「抗がん剤治療を受けなければよかっ
た」と語った50代の女性。

「治るのかどうか聞くべきだった」と
悔やむ会社社長。

計画していた「第二の人生」を果たせ
なかった60代男性の無念……。

「後悔のない人はいない」と小野寺氏
は指摘するが、後悔の強い人、後悔の
多い人は、安らかに死ねないと言う。


どうすれば死に際に後悔の少ない人生
を送れるのか。死と対峙しない現代
日本人に贈る必読の書。この先、長く
生きられないとわかったら、あなたは
どうしますか?

とあった。

この本の「はじめに」は、次のような文章が
ある。

さまざまな「死の間際の後悔」を知ることは、
よりより生へとつながります。

いろいろな「死を認められない理由」「死ぬ
時の後悔」を知ることは、よりよく生き、安
らかな死を迎えることにつながると思います。
この書は、私の〝遺言集〟と言ってもよいも
のです。

とある。

次に、その本の内容を一部を紹介したい。

 

妻の〝怖い死に顔〟は夫や子の大罪

 私の診療生活50年余りの間に、ゾッと
するほど怖い顔をして死んだ人が5人ほ
どおり、何年経っても頭から離れませんが、
私はそういう死に顔をさせた夫や妻、子

を心から非難せずにはいられないのです。

 

 私か受け待った眸臓がん患者、Oさん
(60代・女性)が亡くなった時、開いて
いる眼を私が指で何度閉じても、すぐ射
るように見開き、ゾツとするほど恐ろし
い死に顔でした。こんなに恐ろしい死に
顔を見たことがないと思ったのは、私だ
けではありません。夜10時頃に死体処理
をした若い看護師2人はその晩、病院の
すぐ後ろにある看護婦寮に帰らず、看護
師休憩室に泊まったのですが、「窓から怖
い顔の女性がスウツと入ってくる気がす
る」と怖がっていたのです。


 一人息子がまだ幼い頃に夫が急死し、彼
女は働きながら、再婚も断って子どもを育
て、一流大学を卒業させました。息子は一
流商社に入り、間もなく結婚して実家を出
ました。息子は母親の入院の時に姿を見せ
ただけで、その後全く病院に来ることがな
く、母親は時々見える息子の新妻とは口も
きかなかったようです。新妻によると、「息
子は出世コースに乗っていて、夜は接待な
どで帰宅は12時頃、休日も接待ゴルフで帰
宅が遅く、病院に来る暇がない」と言うの
です。入院中の2月もの問、息子は全く病
院に顔を見せませんでした。結局、息子が
2度目に病院に現れたのは、母親が怖い顔
をして亡くなった1時間後だったのです。

 この息子には子としての心情に重大な欠
陥があり、たとえ会社で昇進できても、最
終的に幸福な人生を送れるとは到底思えな
いのです。

 

親不孝にもほどがある

 肺がんを患うJさん(70代・男性)は、
生活保護を受けていました。ホスピスの4
人部屋に入院してきたのですが、Jさんの
息子さんが看護謀長に「夜中に何度もトイ
レに起きる人がいるので、父親を早く無料
個室に移すように」と、命令口調で何度も
要求したといいます。

 Jさんには認知症があり、いつも不機嫌
で、看護師たちも「コミュニケーションが
とりにくい」と嘆いていました。時々息子
さんが10分ほど面会に見えたのですが、来
る度に、エアコン、食事、介護などについ
ての要求が多かったそうです。息子と父親
との会話が全くなく、息子が来た後、Jさ
んが不穏状態になることがありました。私
が息子さんについて聞くと、「わしの子ども
だが、あいつは話にならん」と言って息子
さんを好きでないようで、役所に勤めてい
る以外のことは話しませんでしたが、何も
分からないほどの認知症ではなかったので
す。

 息子さんは新品の高級車でホスピスに来
ていました。10年ほど前、町工場経営のJ
さんの会社が倒産しました。やがて、Jさ
ん宅を息子さんが立派な住宅に建て替えて
住み、Jさん自身はアパート住まいになり
ました。

 「Jさんの余命は週単位かもしれない」
と医師が告げると、息子さんは「これから

1ヵ月間公式の休暇をとって介護にくる」
と返しました。しかし実際には1日おき位
にしか来ず、しかも10分と病室に留まる
ことはありませんでした。Jさんの死に顔
は認知症の人と違って、怒り不満を感じる
複雑な表情でした。

 役所勤めの息子さんが、うまく財産処理
をした可能性が考えられますが、真相は分
かりません。しかし、父親をアパートに住
まわせて生活保護にし、自分は立派な屋敷
の家に住んで、高級車で形だけの見舞いに
来る息子には、第三者であっても腹立たし
く、こういうことが成り立つ社会制度にも
腹が立つのです。

 

〝怖い死に顔々になる人の傾向〟

 莫大な数の人を看取ると、死に顔も単なる
死人の顔ではなく、それぞれに表情があるこ
とに気づきます。痛みなどの苦痛を充分とっ
てもらって、身辺のお世話をよくしてもらっ
た人の死に顔は穏やかです。

 前述の2人のような死に顔は珍しいのです
が、次の人の死に顔は穏やかでない場合があ
ります。

・身体的苦痛が長い閲続いた人

・手術や抗がん剤治療を受け過ぎた人

・最期まで死に抵抗する人、特に40代~50
代前半の人

・人生に不運、不満の多かった人

・遺族のことが心配でならない人

 余命が長くないと分かったら、安らかに死
ぬために、自分が死を迎える場所について、
よく考えてみてほしいと思います。


以上。

この書は、私の〝遺言集〟と言ってもよいも
のです。

と著者は、語っている。

わたしは、父親が寝たきりになり、病院通い
をしてきた。

最初の4年ほどは、母親が毎日通った。
わたしは、病院のリハビリがない日の夜、
病院に出掛け、土・日曜日は、母親と病
院に通った。

忙しくなると、それから、職場に戻って
残業をしてきた。

退職してから、病院の都合で、出入り禁止
になる以外は、母親は周5日、わたしは、
毎日通っている。



最初の病院で、股間が拘縮している患者に
であった。

一人は、男性、いつもおむつ替えをして,
痛いを思いをしているのだろう。人が側に
よってくるだけで、悲鳴をあげていた。
今から、拷問でも受けるかのような凄ま
じい悲鳴だ。

あと一人は、女性である。おむつ替えのた

びに、拘縮した股間を広げられ、やはり、
悲鳴をあげていた。

 

こうなると、寝たきりの病院であっても、
地獄で拷問されているようなものだ。

わたしの父親は、話すことができない。

その父親が、身悶えし、出せない声で
悲鳴をあげる。とてもじゃないが、耐え
られない。

わたしは、父親と折り合いが良かったと
は思わないが、それでも、このような
人生の終わりに、拷問で苛まれながら
泣いて、暮らすのは、見るに耐えない。

そういうことで、わたしは、毎日、病院
に通っている。体が拘縮してからは、手
遅れだからである。

病院に入り浸りの生活で、多くの患者の
不幸を見る毎日である。

たまに、見舞いにくるだけでは、見えな
い多くのことを見る。

 

だから、

この書は、私の〝遺言集〟と言ってもよいも
のです。

と著者は、語っているが

ことについては、同意して止まないのである。

かなり、引用をしてきたが、それは、わたしが
この本を薦めたい気持ちの表れである。

このような本は、高校2年くらいからは、読ん
で貰えたらと思っている。

もちろん、大学生にもなれば、必読書であって
ほしいと願っている。

もちろん、お互いの世代では、必読書だと思って
いる。

ブログで、

●あなたは「かけがえのない存在」
ではない

 

ということを書いたが、ひとつだけ、そうでも
ないという気がしている。

 

老いて、死に行く父母が、結婚して子どもを
育ててきて良かった。という思いを、抱いて、
人生の終末を迎えることができるかということ
は、人生を完成させる意味で肝要なことだと
思うようになったが、ここに、「かけがえの
ない存在」になれるか否かが、試されると思
うようになった。

誰もが、「かけがえのない存在」になり得る機会
は、用意されている。

子どもは、親の「かけがえのない存在」という
言い方があるが、実は、親が死に行く時にこそ、
本当の意味で、誰もが「かけがえのない存在」
になれる機会が待っているのだと思うように
なった。 

ただ、結婚して、子どもを持たなかったのは、
今になっても、遅いが、最大な親不孝になっ
たようで、断腸の思いをしているが。

今は、老い行く母親やと寝たきりの父親に、
子ども生んでいて良かったと思って貰え
たらと、願うばかりである。


面白い建物

2013-11-01 20:14:16 | 風景



つい最近の10月27日の日曜日、父親のリハビリを早めに切り上げ
用事を済ませた帰り、少し寄り道をして、路地裏を走っていた。

すると、突然面白い建物に出くわした。

車の前の部分を切り取り、家の一部分に利用している。

遊び心、たっぷりだが、人気がない。

なんとも不思議な気分になってしようがない。