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リタイアーのよもやま話

「サボリ」が大目に見られなくなる

2013-11-15 21:15:30 | 社会

「いいね!」が社会を破壊する

楡周平

新潮新書

を読み終えた。


興味深い箇所があった。
以下、その文章である。

 「サボリ」が大目に見られなくなる

 それでは、大人の皆様、特にビジネスパーソン
諸氏に是非伺いたい。

 便利には違いありませんが、携帯電話を持って
いて、いいことばかりでしたか?

 私には、どうもそうとばかりは言い切れないよ
うな気がするのです。だって、最も基本的な機能
である「どこにいても連絡が取れる」というのは、
逆を言えば、連絡を取りたくない時にも連絡をつ
けられてしまう、ってことじゃないですか。

 携帯電話がなかった時代には、午前中の喫茶店、
二十四時間営業のサウナ、昼の映画館といった場
所でサラリーマンの姿をよく目にしんものです。
前夜遅くまで続いた接待の疲れを癒すため、ある
いは得意先回りの空いた時間に体を休めるためも
あったでしょうが、ノルマに追われる営業マンな
んて、問われるのは結果。辻棲が合えば、そんな
行為も大目に見る風潮が確かに存在していたよう
に思います。

 出張にしたって会社を出れば、こちらから電話
を入れない限り、車中では安心して弁当を食らい、
惰眠を貪ることもできました。海外出張に出かけ
ようものなら、連絡するもしないも本人次第。飛
行機のドアが閉まった途端、解放感に包まれ、体
調が瞬く間によくなっていくのを感じたものです。
「出張中」「海外に出ておりまして」「連絡がつか
ない」「連絡が取れ次第」というエクスキューズが、
当たり前に成り立っていたのです。

 ところが、今はどうでしょう。世界中のどこに
いても電話が入る。居場所だってリアルタイムで
特定されれば、携帯電話に記録されたナビデータ
で、その日の行動履歴が全て再現されてしまう。

緊急性の如何にかかわらず、連絡事項、果ては書
類に至るまで、何でもかんでも片っ端からメール
される。それも、受け取る本人が就寝中だろうと、
休暇中だろうと、二十四時間、三百六十五日、お
構いなしにー。

 かつては、会社を出ればとりあえず仕事からは
解放されたもの。自宅に電話をしてまでなんて、
余程の緊急事態。まして、休日、休暇中ともなれ
ば、完全にプライベートな時間を満喫することが
できたものです。嫌な上司、同僚はどこの組織に
も存在するでしょう。それでも我慢できたのは、
会話を交わすのも、顔を見るのも会社にいる間だ
け-そこを離れれば解放される。少なくとも、そ
うした環境が存在したからではないでしょうか。

 それが、いつでもどこにいても仕事は容赦なく
追いかけてくる。自宅だろうが、酒場だろうが、
デートの最中だろうが、携帯電話はひっきりなし
に鳴る。無視、あるいはサイレントモードにして
いても、着信服歴が残っている。メールボックス
を開こうものなら、そこにはメッセージの山。

 最近、若者、特に社歴の浅い社員の中に、新型
鬱と呼ばれる症状が多発していると聞き及びます
が、仲間うちで楽しいやりとりを行うツールだっ
たはずの携帯電話が、見たくもないメッセージを
運んでくる手先に変わる。かと言って、手放すこ
とは不可能だとなれば、そりゃあ鬱にもなろうと
いうものです。

以上。

わたしたちの世代には、懐かしい話しではなか
ろうか。

わたしが目の前で、携帯電話を見たのは、40代前
半のことだった。

同僚で、ボランティアグループの活動をしている
人がいて、事務局長をやっているものだから、頻
繁に職場に電話がかかってきたようだ。

職場に迷惑がかかるということで、携帯電話を購
入し、使っていた。

今から、20年以上前のことだから、けっこう大き
かった。

その後、インターネット元年の1996年を迎え、わ
たしも、「ネットに、万巻の書を読む」なんて、
メールのシグネチャーに書いては、気取って浮かれ
ていたのだが、時代は、猛スピードで、変容してき
た。

そして、完全についていけなくなった。

わたしのPHS遍歴である。

 

ASTEL   

A231   パナソニック

 

 

AD11   日本デンソー

 

 

 

AH-K3001V  京セラ



 

WS004SH     シャープ

 

WX340K   京セラ


わたしがPHSに拘った理由の一つがPHS
を使ってパワーブックからネットに接続
することだった。

最初のA231では、専門的な知識のある
人は、ネットに接続できたようだ。

残念ながら、この機種では叶わなかった。

AD11の頃から、環境が整って、素人でも
ノートブックから、ネットに接続できるよ
うになって、喜んだ記憶がある。

その後、トレードに使えるということで、
WS004SHに機種変更したが、これは、失敗だ
った。

大きすぎて、自宅に置きっぱなしで、携帯に
ならなかった。第一、デイトレをするつもり
がその時間が取れなかった。

結局、電話さえできればいいと、WX340Kに再
度機種変更した。

 

今は、十分に満足している。薄くて小さいの
で身につけていても、鬱陶しくない。

何しろ、人づきあいもないから、普段から
かかってくる人がいない。不動産屋からの
問い合わせが、たまにくる程度だ。もっと
も、この問いあわせに対応するのが、必要
だったせいもある。

 

今、この機種が壊れたらどうしようかと、
心配している。後継機が見当たらないのだ。

とても、スマートフォーンを使う気にならな
い。完全に時代の背を向けているようだ。

宝の持ち腐れなのだ。

時代は、「70億のボーダーレス時代」という
言葉があった。

第一の人生真っ只中にいる人たちは、大変な話
しだ。同情する。

この慌ただしさの中に、埋没する時代をスルー
できたのは、幸運だろうか?

すっかり忘れていたのだが、、「『サボリ』が大目に見られる」
時代があったことを、思いだしてしまった。

まだ、携帯電話もネットも想像できなかった時代。
ポケベルが、重宝されていた時代。

わたしは、南のとある島で残業して、バス停の食堂で、夕食を
とっている時に、この曲を聴いていたような記憶がある。


 井上陽水/少年時代

遠い、遠い昔のこととなってしまった。