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リタイアーのよもやま話

歴史とはなにか

2017-01-03 23:04:44 | 読書

歴史とはなにか

岡田英弘

文春新書

文芸春秋

 だいぶ前になるが、読み終え
た。

読んだ結果は、ショックだっ
た。

あまりにも、わたしの中で待
ち望んでいた内容だったから
だ。

前に、

仕事に効く教養としての「世界史」
出口治明

について、いろいろと感想を書
いたが、こちらの出口氏は、教
養人してのポジションで、独創
的な著書を出してくれた。

しかし、こちらは、正真正銘の
知識人、インテリゲンチャの著
書である。

こちらの書もぜひ多くの人に読
んでもらいたいと願う作品であ
る。

アインシュタインは、

常識とは、18歳までに積み重なっ
た、偏見の累積でしかない。

と言ったのだが、

この本は、わたしの既成概念に
待ち望まれた一撃を与えてくれ
た。

本当は、その凄いところを紹
したいのだが、あまりにも
膨大
になるので、目次を紹介
する
ことにした。

以下、その目次である。

歴史とはなにか 目次

第一部歴史のある文明、歴史
のない文明 

歴史の定義 

歴史は、人間の住む世界の説
明である/人間は、時間を直
接認識できない/歴史を成り
立たせる四つの要素


歴吏のない文明の例

インド文明は「歴史のない文
明」である/イスラム文明も、
基本的に「歴史のない文明」

だ/歴史は、自分の立場を正
当化する「武器」になる/
「歴史のない文明」アメリカ
は、現在と未来にしか関心が
ない/歴史のないアメリカ文
明の人間関係


中国文明とはなにか 

自前の「歴史」という文化を生
んだのは、地中海文明と中国文
明だけだ/司馬遷が創った中国
文明の歴史の本質は「正統」の
観念/中国文明の歴史観は、世
界の変化を認めない/現実とか
けはなれた「正統」の歴史観/
隋も唐も遊牧員の征服王朝/中
国人は世界でもっとも優秀な民
族であるという「思想の由来」
/モンゴル人の天命論は「君主
たるべきものはチンギス・ハー
ンー人」/元朝は、どこにも中
国的な要素が残っていない王朝

地中海文明とはなにか
 

地球上で最初の歴史を書いたヘ
ロドトス/二つ勢力が対立し、
最後に正義が勝って終わる歴史


日本文明の成立事情

日本文明は、七世紀に中国文明
から独立して生まれた/『日本
書紀』が主張する独自の正統/
鎖国が日本のアイデンティティ
を作った/日本人の歴史認識の
混乱は、明治維新からはじまっ

第二部 日本史はどう作られた

神話をどう扱うべきか 

歴史はかならずしも古い時代の
事実ではない/『日本書紀』は、
天皇という君主の正統性を保証                          するために作られた/『古事記』
は、江戸時代に本居宣長が新し
く作り直したもの/天皇のルー
ツ探しが流行し続ける理由はな
にか/神武天皇から応神天皇ま
での歴代天皇は七世紀の創作/
モンゴルの神話『元朝秘史』/
騎馬民族征服王朝説は、完全な
るファンタジー

「魏志倭人伝」の古代と現代

「魏志倭人伝」が『三国志』
にある理由

隣国と歴史を共有するむずか
しさ 

なぜ、中国は沖縄を自国の領土
だと主張するのか/韓半島の古
い時代の歴史は、ほとんどが創
作である/自己の正当化は、歴
史のおちいりやすい落とし穴で
ある

第三部現代史のとらえかた 


時代区分は二つ 

世界は一定の方向に発展してい
るのではない/時代の区分はむ
かかしといま、古代と現代の二
分法しかない

古代史のなかの区切り

十三世紀のモンゴル帝国から、
世界史がはじまる

国民国家とはなにか
 
国民国家とはなにか/フランス
革命は、「王の財産」をだれが
相続するかの闘い/国民軍を作
るために立憲君主制が発明され
た/「国民国家」と「民主主義」
がかかえる矛盾/天皇陛下が姿
をあらわせば、それは日本の歴
史そのもの/日本が簡単に国民
国家に転換できた理由はなにか
/十九世紀末まで、中国という
国家も、中国人という国民もな
かった/日清戦争で負けて、清
帝国は日本をまねて近代化しよ
うとする/現代中国は、日本型
の国民国家をめざしている/
「朝貢」は、宗主国と保護国の
あいだの関係ではない/「天下」
から「国民国家」へ/国民国家
の終焉

結語

だれが歴史を書くか


以上。

付き合いにくい東アジアのお隣
さんに、やり込められないため
にも、多くの人に一読すること
を薦めたいと思った。

特に、大学生には必修副読本と
して取り上げていただきたいも
のだ。


仕事に効く教養としての「世界史」

2016-12-07 23:45:13 | 読書

12月7日(水)
仕事に効く教養としての「世界史」
出口治明
祥伝社

を読み終えた。

実は、その前に
仕事に効く教養としての「世界史」II
 戦争と宗教と、そして21世紀はどこ
へ向かうのか

出口治明
祥伝社

を読み終えている。

順番が逆になった。

彼の本は、これらの本の前に

「全世界史」講義 I古代・中世編
: 教養に効く!人類5000年史

「全世界史」講義 II近世・近現
代編:教養に効く! 人類5000年史

等を読み終えている。

よくぞ、これらの本を書いてくれた。

と、感謝している。

特に、今回読み終えた

仕事に効く教養としての「世界史」
については、私の長年の西洋史に
ついての多くの疑問を解消してくれ
て、感謝している。

わたしは、中学の頃は、西洋の大
航海時代の自伝にワクワクした思
い出がある。

高校では、皆が受験課目ではないと
馬鹿にし、隠れて他の教科のアルバ
イトと私語で喧騒に満ちていたが、
世界史が好きだったし、倫理社会に
も興味を持っていた。

学生運動の余韻が残った70年代前
半は、マルクス主義に夢中になった
し、若干、ヘーゲルにも興味を持ち、
「歴史哲学」を読んでみた。

中3年で、受験勉強に明け暮れた日
々にあって、哲学という言葉に惹か
れたことがあったせいもあるかと思
う。

私自身が、西洋音楽に親しみを持っ
たし、印象派の美術にも魅了されたの
で、わたしの歴史観は大いに、西洋
中心主義の歴史観に染まりきって
いた。

しかし、どうしも、世界史の流れに
多くの疑問がわいてしようがなかっ
たが、その答えを、出口氏の著書で、
知らしめられることになった。

約40年以上にも、抱き続けてきた
蟠りを解くことができた。

本を読み続けて、その問いが何十年
も経って、解いてくれる本が現れる。

解けないはずの「問い」の答えが、
高齢者の仲間入りをする歳になって
見つかった。

ゲームオーバーかとも思いたくなる
歳に。

幸運だと感謝している。

彼の本に、

人生の教養が身につく名言集

出口治明
三笠書房

というのがある。

その中の
4章

より賢く生きるための名言集

ゼロから勉強しない。
巨人の力を借りる

というところに、

「巨人の肩に乗っているから、
遠くを見ることができる」

ベルナール・ド・シャトル

というのがあった。

「古典」のことを言っているのだが

今のわたしには、

わたしの問いに答えてくれた歴史
関係の本を書いてくれた出口治明
氏が私の「知の巨人」だと、彼に
感謝している。

かなり、個人的な思い入れだが、

仕事に効く教養としての「世界史」
は、高校3年生の必修副読本にし
てもらいたいものだと思った。

彼の歴史関係の本は、大学生の
必修副読本にしてもらえたらと
いう気持ちで一杯だ。

高齢者の車の暴走事故が多発し、
高齢者の自家用車保有に、訝し
げな雰囲気がかもしだされる
今日この頃、侘しい思いが
胸に沸き起こる。

車を取り上げられることが、
どんなにか、高齢者の
生きる力を削ぐことになる
のか。

という切実なものがある
のだが。

今、生きる力が萎えそう
だ。


 


礼儀

2016-10-14 23:09:53 | 読書

モーム語録にあった言葉である。

礼儀正しさは愚者が自分の愚鈍を隠す
外套である。

とても、辛辣な言葉である。

礼儀については、次のような言葉もあ
った。

礼儀だけでも、世の中は渡っていける。

最初にこの言葉を知った。その後、モ
ームの「礼儀」を知った時、その辛辣
さに、たじろいでしまった。

彼が言ったようなことは、確かに現実
にあり得ると思うので、否定はしない。

しかし、普通は、そのような人がいて
も、露骨な言い方をする人は、あまり
いないと思うのだが。

モームの言葉尻をとらえると、才能が
あれば、教養のかけらもなく傍若無人
でも赦せるのかと、反論は出てくると
思うが、そこら辺は、どうだろう。

と思ったが、意外とそうでないことを
見つけてしまった。

一人ほくそ笑んでしまった。

別の箇所で、彼はこう語っている。

大概の人間は何と醜いのだろう!
せめて埋め合わせに愛想よくしたら
いいものを、誰もそうしないのは
残念だ。

である。



どんなに野心があっても、意欲があっ
ても、才能を持たない人間が、世渡り
するに、逃げ道があっても赦される
のではという意味で、

礼儀だけでも、世の中は渡っていける。

と諭された方が救われるのではなかろ
うか。

礼儀正しさは愚者が自分の愚鈍を隠す
外套である。

と言われては、身の置き所のなくなる
人もけっこういるのではと思うのだが
どうだろう。もちろん、わたしのこと
も入っているのだが。

ただ、この言葉、モームが言うから
市民権を得るのだと思う。

モーム語録を読んで、こんなに複雑で
屈折した人間がようも世に名を知らし
めるようになれたのだと、不思議で
ならない。

そう意味では、何冊か持っているが、
ラ・ロシュフコー箴言集を思いだす。

モーム語録にしてもラ・ロシュフコー
箴言集にしても、あくが強すぎて、
読むのに、体力を要する。

年をとったせいである。

今は、そのような気持ちで、生きな
くてもいいのではと思う方である。

モームは、語っている。

人間は、揺り籠から死の床に至る
まで、けちで、卑しく、間抜けで、
無知で、様々な迷信の奴隷に
なり、心狭く、身勝手で、残忍だ。

このようなことを語ったモーム、
これらの人々を相手にして、彼は、
小説家として身を立てのだが、
そこら辺を彼は、考えたことは
なかったろうか?

「類は友を呼ぶ」って言葉があっ
たが、彼は自らの不幸を回避
することを考えたことはなかった
ろうか?

わたしも、少しばかり、彼に
辛辣な言葉を投げかけたく
なった。


どうせなら、このような音楽で、
美しい時間を満喫した方が
日々を楽しく過ごせるのでは。

モームの語録を読むと、このよ
うな考えは思いつかなかった
やに思われるが、どうだろう。

地位も名誉も得たはずだが、
ちと不幸な性格だ。

 

 

 

 

 


「どうしてと嘆いても、それでも、何ともならんだ事が┄┄あったな」

2016-10-10 22:06:24 | 読書



中沢桂「初恋」

しばし、綺麗な時間に、我が身を
浸して┄┄。

さて、今、畠中 恵の
「しゃばけシリーズ」を読んでいる。

そのなかの「ひなこまち」にあった
文章である。

高僧のつぶやきである。

寛朝が、ふと弟子を見た。

 「世には、ままならぬ事も多い。
秋英、例えば僧であるお前に、も
し好いたおなごが出来、親しい仲
になったら、大問題になるだろう?」

 たとえ大層真面目に、相手を思っ
ていたとしてもだ。

 「へっ、そうなんですか?」
 妖達が、戸惑っている。

「そ、それは勿論」

 秋英が、少し顔を強ばらせ、手
の上にある菓子を見た。江戸で女
犯を犯した僧は、日本橋で晒され
る刑が待っており、その後、破門
・追放になる。寛朝など身分のあ
る僧だと、もっと厳しい罰もあり
得るだろう。

「真っ当な気持ちから出た事でも、
どうにもならぬ事がある。
どうしてと嘆いても、
それでも、何ともならんだ事が┄┄
あったな」

そこで言葉を止めると、寛朝は、
いつになく優しく言った。

「やれ、桜が咲いて散るまでは短い。
故に、色々考えてしまうな」

若だんなも顔を、淡い色の春の花
へと向けた。

この、高僧の寛朝の言葉を読んで、
遠い昔にタイスリップした。

いつも、この言葉を、何度も何度
も繰り返し呟いたことがあったか
らだ。

あり得ないことだが、「生まれか
わったら」なんて言葉が胸をよぎっ
た。

時折、今でも、この言葉を呟くこと
がある。そして、薄れゆく遠い昔に
タイムスリップする。

 

遠い昔、とある職場にいた時、



この曲が流れた。

暫く、この歌声を繰り返し、聴いて
いた。

その後、少し時を経て、この
曲を作曲したビギンが録音したオー
ケストラバージョンを聴くようにな
った。

ビギン版は、違うアレンジで、間奏
のオーケストラの演奏が、胸を掻き
むしるような切なさとやるせなさを
湧き起こして止まなかった。

これは、個人的に、名盤思っている
が、その表現がすごすぎて、売れな
かったかもしれない。

心理状態によっては、首を吊りかね
ない狂おしい情趣だった。

買ったCDは、どこへいったのだろ
う?

その演奏を聴きながら、

「真っ当な気持ちから出た事でも、
どうにもならぬ。
どうしてと嘆いても、
それでも、何ともならんだよな┄。」

と、繰り返し繰り返し、呟いていた。


遠い昔の話だ。

 


多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない

2016-10-05 20:40:01 | 読書

ネットにあった話である。

 

塩野七生氏は、その著書「ローマ人物語」

で、カエサルの言葉として、紹介している。

 

人間ならば誰にでも、現実のすべてが見える
わけではない。 多くの人は、見たいと欲す
る現実しか見ていない*1

 

である。

調べてみると、この文章に対応する原典

がないそうだ。

 

ただ、典拠と想定される文章は次のようで

あるそうだ。

 

fere libenter homines id, quod volunt,
 credunt.

ほとんどの場合、人間たちは、自分が望ん
でいることを喜んで信じる*3

 

ところで、
塩野氏の文章とカエサルの文章の違いを

どう評価していいのかは、素人としては、
意見を呈しがたい。

しかし、塩野氏の文章について、このよう
な分析をする人がいるのは、彼女の才能
に圧倒されるわたしには、驚きで学問的
な深みの意味において感謝を評したい。

この二つの文章のニュアンスの違いを
わたしはどう評価していいかは分からな

いが、素人として、どちらの文章も活か

して、人間の理解を深める一助としたい。

余談だが

今、ローマ人物語の23巻を半分ほど、読
み終えている。


そのなかに、次のような文章があった。

カエサルの言葉である。

 「上に立てば立つほど、言行の自由は
制限されざるを得ない」

このような言葉を舛添氏に捧げたいものだ。

舛添氏は、自分が望んでいることを喜んで
信じる。

そして、それが、庶民の感覚と如何に、ず
れているか、理解できなかった。