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リタイアーのよもやま話

幸運

2018-01-07 21:40:06 | 読書

とある本にあった文章である。

ほんのちょっとの勇気と、誠実な態度が幸運を
逃がさぬコツである。

惹きつけられたのだが、

問題は、

いつ、勇気をだすのか、誠実な態度を
するのか。

が容易に判断できないことだ。

ところで、

別の本には、こういう文章があった。

「能力というのは、本人の性格を反映する。
精神が変化すれば、能力も変わるんだよ」

又、芥川龍之介はこうも語っている。
「運命は性格のなかにある」

結局、なんといっても、日頃の生活態度の
延長線上に、幸運を育まれるようだ。

いずにせよ。拗ねたり、ひねくれたりでは、
はじまらないということだろう?


ローマ皇帝

2017-12-17 22:44:24 | 読書

塩野七生のローマ人物語を読んでいる。

今、34巻目を読んでいて、目を引く文章が
あった。

以下、その文章である。

ローマの皇帝は終身制だった。

終身の最高権力者を不信任にしたければ、
ローマ帝国では殺すしかなかったのである。

ガリエヌスは不信任されたのである。

以上。

ローマ人物語を読んでいて、どうして、終身の
皇帝たるものが、よく殺されるのだろうと、不思
議でならなかった。

今回、この文章を読んでいて、なんとも、いい
ようもない。複雑な気持ちになってくる。

わたしの感覚では、終身というのは、天寿を
全うするまではという意味合いがあるが、
どうも、ローマ人ではそうでもないという
ことであるようだ。

皇帝という権力も、国家の功利主義的な
役割を果たせないとなったら、命が保証
されないとは、なんとも恐ろしいポジション
だ。

中国の皇帝との意味合いの相違に、
愕然とする。


〝命令〟してくれよ……

2017-12-11 23:22:40 | 読書

とある小説の一節だ。

 『ねえ……ブチャラティ……
オレ……どうすればいい? 

行った方がいいと思う? 
す、すごく怖いよ。

で、でも〝命令〟してくれよ……

〝いっしょに来い!〟って命令して
くれるのなら、そうすりゃあ勇気が
わいてくる。あんたの命令なら何
も怖くないんだ……』

以上。

小説の中にこのような文章が書かれる
なんて、物凄くインパクトがあった。

誰にでも、人の胸の内のどこかに、
このような弱さが潜んでいるのではな
かろうか。

このような弱さにきっと神というのは
必要とされるのだろう。

いや、この心理につけ込んで、神を
でっち上げたビジネスモデルを作り
司祭階級に上手い具合に納まった人
達もいたはずだ。

きっと、モーゼがそのはしりだと
私は思っているが。

それはそうと、このような心理を鼓舞
し、遭遇する困難に立ち向かわせよう
とするのが、リーダーの仕事だろう。

そう意味で、私はずっと記憶に残る
映画が2件ある。


まず1件目

インデペンデンス・デイ

以下、ウィキペディアを引用する。

独立記念日の7月4日、もはや人類
に打つ手なしと思われたが、ジュリ
アスとの会話でデイヴィッドがコン
ピューターウイルス
を宇宙人たちの

マザーシップに感染させ、バリアー
を一時的に無効化し、その間に全世
界で一斉攻撃する反撃作戦を思いつ
く。ホイットモア大統領もこの作戦
に全てをかける決断を下し、世界各
国に短波無線のモールス信号でその
計画を伝達して協力を取り付ける。

以上

このような状況で、ホイットモア大統
領が、作戦を実行するに当たって、
兵士を鼓舞する演説をする。

そのスピーチが、あまりにもかっこ
良かったので、ずっと心に残って
いて、今でも時折、思いだす。

2件目

ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還

これも、ウィキペディアからの引用で
ある。

だが、アラゴルンらはフロドが使命
を必ず成し遂げ、“一つの指輪”を
破壊しサウロンを完全に滅ぼすこと
だけを信じて覚悟を決め、「フロド
のために」と先陣を切るアラゴルン
がモルドールの黒門に挑むとき、す
べての兵士が彼の覚悟の後に続き、
敵の大群へと進撃するのだった。

以上。

膨大な敵兵を前に、確実に負け戦だと
いうことが分かっていながら、なお死を
覚悟して、戦い挑むよう彼自ら兵に檄
をとばしている。

その時のアラゴルンの演説があまりに
見事で、死兵化した集団となって、敵陣
に襲いかかっていった。

その時のアルゴンの演説があまりにも
見事だったので、今でもその感動をした
ことを記憶している。

リーダーが極限状態にあった時に、その
窮地を乗り越えていくために、仲間を鼓舞
するシーンがあまりにも見事で、この二つ
の作品は、ずっと記憶に残っている。

以来、何かのおり、スピーチする機会が
あった時、やはり、聞くものを奮い立た
せるスピーチをしたいものだと思うよう
になった。

もし、暇があったら、観て頂ければと
思っている。


定年バカ

2017-12-08 10:48:54 | 読書

 定年バカ

瀬古浩爾

SB新書

を読み終えた。


目次は次の通りである。

第1章 定年バカに惑わされるな

達人ヅラした偽物

定年からがおもしろいという輩

第2章 お金に焦るバカ

第3章 生きがいバカ

第4章 健康バカ

第5章 社交バカ

第6章 定年不安バカ

第7章 未練バカ

第8章 終バカ

第9章 人生を全うするだけ

以上

私も定年に関連した本をよく読んだ
ので、彼の本を読むと、ちと恥ずか
しい思いがする。

定年をテーマにすれば、本が売れる
という商売根性がもととなって、こ
のような本は書かれているそうで、
一度振り返ってみる必要があるとは
思う。

クールに斜に構えた視点の意見は、
定年をなんとかしろと、煽りがちな
社会的風潮にあって、その脅迫的な
圧力から、解放されるかもしれない。

そういう意味では、まだ読まれてな
い方には、一度本屋で本をめくって
見られたら、いかがでしょう。

ところで、
彼は、定年はだれにとっても初めて
の経験と言っている。

彼は幼稚園、小学校、中学校等、な
にもわからない場所にいきなり放り
込まれて、幼い頭といつの間にか形
成されていた性格だけで、なんとか
やってきたのである。

と、言っている。

しかし、大事な視点が欠けている。

それは、上り坂の人生と下り坂の
人生の違いを念頭においてないこ
とである。

定年に向かう人生前半は、成長志
向、未来思考の人生である。

勿論、ドロップアウトして、社会
に迷惑をかける人もいるのである
が。
普通は、未来は開けているはずと
いう期待感を誰もが密かに抱いて
いる。

なんとかなるんじゃないの。
である。

しかし、

定年後の人生は、死に向かって、
経済的無力感、社会的無力感、精
神的無力感、体力的無力感に苛ま
れる日々を過ごしている。

人生前半の経験は参考にならない
はずである。

彼は、

だれにとっても初めての経験と言っ
ている。

が、本当のところ、慰めにはならな
い。

彼は、彼なりに、うまくいっている
からと、思っているから、そのよう
な発言ができるのでは。

おそらく、作家で定年とは縁のない
身分のせいもあるはずだ。

これまた
斜に構えた気持ちで私は、受け止め
ている。

定年のない仕事の人が、定年で
右往左往する人を揶揄している。

時代の傍観者として、日々死にゆく
我が身を冷静に捉えられる人は、多
くはない。

ところで、

幸田露伴曰く。

三つの幸福があるという

惜福とは、

自分に与えられた福や運を
使い尽くすことなく、取っ
ておくこと

分福とは、

自分に来た福や運を
ひとり
占めせずに分け与えること

植福とは、

自分の子孫や後からくる
もののために福や運の
種まきをすること

老いて、このようなことができる人
は、定年後の人生に戸惑うことは
ないが、それだけの力量のある人は
限られている。

凡人の私は、次のような言葉が
相応しいと思っている。

くよくよしてもしかたがない。
どのみち予想したとおりにはなら
ないのだから。                  

オードリー・ヘプバーンの名言集
にあった言葉だ。

実は、いくつかの憂えたことが、
いつのまにか、状況が変化して、
消失してしまったことがあった
からだ。

また、自分の人生を振り返って
みても、そのような連続だった
と思い起こしているからだ。

現状況は、刻一刻変化していて
未来に立ち現れる現状況は、全く
違うものとして立ち現れる。

くよくよしてもしかたがない。
どのみち予想したとおりにはなら
ないのだから。

いい言葉であるが、これまた
想定外の人もいる。

予想した通りには、ならなくて、
想定外のことばかり、子孫楚歌に
陥っている人。

そう、件の小池氏の現状である。

舛添氏を蹴散らしたあの勢いは、
いまいずこ。

哀れでならない。

ところで、

また、次の言葉も気に入っている。

夢があろうとなかろうと、楽しく
生きている奴が最強。

よっぽど、経済的に切羽詰まった
状況でもないかぎり、周りから見
ても、いつも楽しげに生きている
生き方に優る生き方はないのでは
なかろうか。

こうも達観できればいいのだが。


コミュニケーション

2017-08-21 23:16:06 | 読書

とある小説にあった文章である。


ここでは、日常的な会話を交わすだけだ。

コミュニケーションというのは、会って
いる時間より、頻度が大切だと誰かが
言っていた。

江戸時代の同心への賄賂は、驚くほど少額
だったということだ。その代わり、頻繁に
渡したらしい。それが大切なのだ。

なんとなく、説得力があって、記録して
おくことにした。