渡部昇一氏の「知的余生の方法」という本を読んでいる。
若いころ彼の「知的生活の方法」という本を読んで、
かなり、影響を受けた。
その後、田中角栄氏の擁護論をぶち上げたので、彼には
興ざめしたことがあった。
というのも、その頃、わたしは、かなりマルクスに傾倒
していたからである。
ただ、就職してから田中氏の政治力については、興味が
あったので、彼のことをよく調べた。
主義主張が異なるわりには、その実行力については、
敬服するようになり、その面では、彼のファンになった。
彼が、国会議員に当選した頃の写真は、立場の違いを
超えて、本当にびっくりするほど、ほれぼれするいい男
であった。
男として生れて、あんなに輝いて見える時があるなんて
うらやましく思えてならない。
ほんの少しでもいから、あやかりたいものだ。
とは言うものの、残念ながら、娘の方は品が無くて、とても、
人間の品位では、親子とは思えないのは残念である。
本来なら、二世の方が、洗練され貴族的な方向に向かうはず
なのに。
娘の醜さを見なくて済んだのは、田中氏としては、幸いだっ
たかもしれないと思ったりしている。
ところで、渡部氏、その後、マスコミで売れっ子になって、
気色悪くなったが、久しぶりに、タイトルに惹かれて、
買ってみることにした。
さて、昔、読んだ佐藤一斎の『言志晩録』の中に、次のような
文があった。
少ニシテ学ベバ、則チ壮ニシテ為スアリ
壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ
老イテ学ベバ、則チ死シテ朽チズ
である。
この本を読んだのは、30歳前半のことだと思う。
これについて、渡部氏が本の中で、取り上げているが
その理解について、教わることがあって、感嘆して
しまった。
以下、抜粋してみたい。
ここで大切なのは、「壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ」なの
である。
壮年期には、みんか一生懸命に働いている。仕事の揚では常に学ぶ
ことがある。
だから壮年期によく仕事をしてきた人は、学び続けてきたという
自覚がある。
ところが、これが案外錯覚なのである。
壮の時、壮年時代というのは、その人の人生の中で、最も働き盛り
で、仕事も充実している時なのだが、だからこそ、ごまかされやすい。
仕事に打ち込んでいる時には、真剣になって仕事についての勉強も
し、新しい情報にもどんどん接する。
そして、勉強すればする程仕事も面白くなっていく。
だから、「学んでいる」と思い込んでしまうのだ。
だが、こうして一生懸命に働いて定年を迎え、ではこれから何を
やっていこうか、と考えた時、ハタと、何も学んでいなかったこと
に気づく。
やることが何も思いつかない。
仕事中に学んだことが、その会社や地位を解れた途端に、何の役
にも立たないことに気づく。
こういうことが多いのだ。
これでは、壮にして学んだことにはならない。
忙しく仕事をしているから、学んでいるように誤解しているだけで、
決して学んではいない。
仕事上の勉強を、自分自身の勉強と勘違いしただけなのだ。
「壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ」というのは、必ずしもそう
いう学び方のことをいっているのではない。
必しも仕事上での「学ぶ」を意味しているわけではない。
まずこのことに注意する必要がある。
退職後も活躍できる人とは
例えば、私はこれまで多くの編集者に接してきたが、定年で
編集の仕事を離れてから活躍している人が何人もいる。
~カット~などである。
こういう人たちは、現役時代に~カット~、素晴らしい業績を挙
げてきた。
編集という仕事は、時には、昼夜の別なく忙しいことのある
職種である。
普通なら、他のことに手を出す余裕などないけずである。
しかしこの人たちは、仕事とは別に、常日頃から自分の興味のある
ことを勉強し、それを蓄積してきたのだと思う。
だからこそ、定年となって自由になった途端に、自分の好きな
ことに腕を発揮できたのだろう。
また、元外交官のO氏の例を挙げたい。
「〝年齢は六十歳以上がよい……私自身、~カット~
現役中よりもいまのほうが、はるかによく物事が見える……〟
その通りと思う。
五十歳の現役時代のわたし(文の修正あり)と今の私では物の
見方が比べ物にならない」
これこそ「壮にして学んだ人」が古稀を越してから言える言葉
である。
外交官は必ず「少にして学んだ人」であり、しかも「壮にして」
各ポスト、各任地が変るたびに、新しい言葉の学習もふくめて、
学び続けなければならない職業である。
しかしそれでは一斎の言う「壮ニシテ学ベバ」には不十分である
ことが、O氏の発言からわかる。
~途中カット~
そういう日常の仕事以外の仕事を自らに課し続けるということが、
本当の意味で「壮ニシテ学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ」なのであろう。
新聞記者や雑誌記者などでも同じで、通常の仕事の他に自分の
興味のある分野をある程度、究めていった人が、退職後も活躍
している。
老齢になっても続けうる分野の勉強のもとは「壮」のうちにできる
のである。
お酒より「内発的興味」を楽しむ
どんな分野においても、こういう人は数多くいるのである。
彼らは皆、常日頃、何らかの形で、仕事以外の勉強を日々積み重ね
ている。
これが、定年後にあふれ出てくる。
「壮にして学ぶ」とは、こういうことなのだと私は思う。
もちろん、仕事上の専門分野について、自分の得意とする部分を深く
追究していくのもいいだろうし、全く別のことでもかまわない。
自分が興味を持ったものを、毎日毎日、少しずつでもいいから
勉強していく。
この小さな蓄積が、定年と同時に花開くことにつながるのだろう。
もちろん、好きなことをやるとはいえ、仕事をなおざりにする
などというのは論外だ。
実際、本末が転倒しているような人は、仕事そのものがうまく
行きにしない。
私は、こうした仕事以外の興味は、どんなことでも必ず人には
生まれてくると思う。
興味がわかないとしたら、自分の中でまだ気付いていないだけ
のことだ。
仕事で出会ったテーマでもよいし、仕事以外のことでも構わない。
自分が一番興味がわくことを見つけることが重要である。
私はこれを「内見的興味」と称した。
本書を読む方は、少しでも早く自己の「内発的興味」を発見し、
毎日毎日、少しずつでもいいから勉強していくとよい。
この小さな積み重ねが、将来、花開くのである。
少しでも早く自分の内なる知的欲求を見つけることが犬切である。
そして、私の経験則から言えば、仕事の後に晩酌でお酒を楽しむ
などよりも、自分の時間を「内見的興味」に応える勉強や訓練
に当てる方がずっといい。
そうすれば、今日は一杯などというささやかな享楽よりも、もっと
充実感のある、知的な刺激に富む余生を迎える素地ができてくるで
あろう。
早くその準備を始めることが必要である。
学者の間で囁かれている話では、晩酌が一番の楽しみとか、酒宴が
この世の楽しみになっている人は、きちんとした本を残せないとい
うのである。
以前に私は荒垣秀雄氏と毎年二度ほど食事を共にする機会を持った
ことがある。
この人は朝日新聞の「大声人語」の名コラムニストだった。
その荒垣氏がふとこう洩らされた。
「晩酌の習慣のある記者で本を書いた者はいないね」と。
ただし私は、晩酌をして幸福感を持って布団に入る生き方も、ひとつの
人生の美学であり、立派なことだと思う。
私の縁戚にも知人にもそういう人がいて、幸福そうな晩年であった。
私かここで言っているのは、もうひとつ別の幸福感、充実感を求めたい
人のためのヒントなのである。
また、仕事とは一見関係ないテーマでも仕事での経験が役立つことも
大いにありうるのである。
~カット~
現役時代の仕事と「内見的興味」とはつながることが少なくない
のである。
毎夜晩酌する時間を自分の「内発的興味」に費やせば、もっと
別の知的な、別の楽しい時間が広がっていくはずである。
余生に知的な沃野が広がる可能性があるのである。
「壮」の過ごし方をまちがえるな
私は上智大学で文学部の教師を長い間務めてきた。
私たちの職業は、定年後もいわゆる知的生活を続けていき
やすい職業である。
にもかかわらず、定年退職した途端に、木から猿が落ちたみたいに、
俯抜け状態になってしまう人が多い。
「ああ、終わったか」と、何もかも辞めてしまうのだ。
こういう学者は結構多い。
毎日怠らずに大学の授業をこなし、教室ではさも高等な講義を
しているように学生たちには思われていても、その実態は、
十年一日のごとく、作成したノートに従って講談をしているだけ、
という人が意外と多い。
学生を相手に講義をするとなると、その準備や何やかやで忙しい。
研究室には学生が質問に訪れたりする。
これにもいちいち答えなければならない。
年に何回かは学会などもある。
これが私たちの仕事なのだが、これをこなしていると、毎日ちゃんと
勉強している気になってしまう。
これが危ない。
こうしていつの問にか定年が来て、大学を去ってしまうとヽ何も
やることがなくて当惑してしまう。
講義や学校の仕事ばかりこなしてきたため、肝心要の、自分自身の
研究がおろそかになってしまった。
定年退職してそれに気がついても時すでに遅しというわけだ。
もっとひどいと思うのは、最終講義すらできない大学の教師が
いるということだ。
最終講義というのは、退職にあたり、自分の研究の話を、学生
だけではなく、卒業生や同僚や後輩教授たちを前に披露する
講義のことである。
自分はこれまでこういう考えで研究を続けてきたという報告でも
いいし、こういう先生についてこういう研究をやってきたという
思い出話でもいい。
あるいは、現状や未来への展望でもかまわない。
それにもかかわらず、これらのことが一つもできない文科系の
研究者がいる。
これは恐ろしいことだと思う。
彼らは、学生相手にしか講義をしてこなかったため、同じ研究者を
前にしては、怖くて話せない。
自分の業績のなさ、不勉強が、一目でわかってしまうからだ。
学生相手の講義ならいくらでもごまかせても、同僚研究者の
前ではごまかしがきかない。
ある有名な東大教授もそうだった。
~カット~
名前だけは有名だったが、その内実は何も研究してこなかったのだ。
講義をしたり、試験の採点をするのが自分の仕事で、それを十二分に
こなすのが勉強だと思っていたのだと思う。
楽しむ者にしかず
この「内発的興味」については、孔子の『論語』にこんな言葉がある。
「これを知る者はこれを好む者にしかず、これを奸む者はこれを楽しむ
者にしかず」
~カット~
ともあれ、この言葉は、真面目にやっていれば「知る」ことができる。
しかし「知ったこと」というものは実によく忘れるものである。
だが「好き」でやったことは身につくから忘れることも少ない。
そして孔子は、更に良いのは「楽しむ」ことだと言うのである。
孔子の場合は「知る」も「好む」も「楽しむ」も道徳である。
何か良いことかを知るだけよりは、良いことが好きだという方
がすぐれている。
それより更に良いのは良いことをしていること、つまり徳を
実践していることが楽しいことだと言っているのだ。
これは道徳だけの話でなく、学問一般でも、芸術の世界でも、
仕事の世界でも同じことであろう。
「楽しむ」境地にまで至ったかどうかは、定年後にわかると
思う。
知的生活を送れないインテリ
~カット~
残念ながら、多くの人がそうではない。
好きで英文学の教授になったからといって、英文学を
楽しむ境地にまでは達していない。
教授の地位を楽しむ者は大勢いるかもしれない。
学ぶことを楽しむ人は実は案外少ないのではないかという
印象を受ける。
楽しむ境地の人は、定年退職しようが転職しようが、ずっと
楽しみ続けている。
だから、何も問題はない。
しかし、大多数の、好きでやっているだけの人は、定年になった
途端に、何もやる気が起きなくなってしまいやすいのだ。
壮の時代ではなくとも、誰しも若い頃からあれをやりたい、
これをやりたいと思っていたことの一つぐらいはあると思う。
仕事で忙しく、仕方なくその欲求を抑えてきた人もいるだろう。
定年退職をチャンスだと考え、その抑えてきたものを復活させて
やればいい。
やりたいことを、思う存分やればいい。
楽しくて仕方がないことならば、犯罪行為でなければ何でも
かまわない。
楽しければ、知的な興味もどんどん湧いてくる。
それこそが「知的余生」なのである。
以上。
かなり、教わることが多くて、長い抜粋になってしまった。
「これを知る者はこれを好む者にしかず、これを奸む者はこれを
楽しむ者にしかず」
渡部氏がとりあげたこの言葉は、わたしは、わたしが30代前半
だと思ったが、中学時代の恩師の家を訪問した時に、恩師が
話されたのを今でも覚えている。
この言葉を、時折、思い出すことがあったが、今回のこの本の
中で、出会うことになった。
懐かしく思われる。
渡部氏は、「これは道徳だけの話でなく、学問一般でも、芸術の
世界でも、仕事の世界でも同じことであろう。」と言っているが、
勿論わたしもそうだと思っていた。
そして、そうありたいと思った。
であるが、残念ながら、今まで自分がやってきたことのなかで、
果たして「楽しむ」境地まで、達したものがあったか大変疑問
に思っている。
恐らく、わたしが仕事の面で、ぱっとしなかったのは、いつに
なっても、努力の言葉しか出てこず、勉める段階を超えること
ができなかったからだと思っている。
「楽しむ」境地まで、達することができなかったのは、すごく
残念なことだと思っている。
もっとも、わたしの人生で、楽しいと思った記憶があんまり
ないので、根本的に何かが間違っているのではと思っている
が、今まで、残念ながら、何とかしようと思っても、どう
しようもなくて、この歳まで、来てしまっている。
仕事以前の問題である。
わたしのどこで、どのようにして、間違ってしまったの
だろうと思ったりしているが、とりあえず年金を獲得
することができたので、良しとすべしではと思ったり
するが、やりは、何かとやりきれない思いをする。
ところで、渡部氏は、「ここで大切なのは、『壮ニシテ
学ベバ、則チ老イテ衰ヘズ』なのである。」と語り、
縷々論を展開しているが、このことについて、これだけ
の考察を展開されていて、いい本に出会えたと思った。
「老後 は皮相的な人生観に対する恐るべき判決である」
とヒルティは言ったが、ある意味で同じことを語って
いるのではと思ったりしている。
また、ドラッカーは
学ぶ事ができず、習得することができず、しかも
持っていなければならない資質がある。
他から得ることができず、自ら身につけていなけれ
ばならない資質、それが真摯だ。
とも言っている。
皮相的でないように、真摯であるようにと努めてきた
人生ではあったと思うが、どこにも、楽しめるものが
なかったのは、残念だが、これで、老後が若干
救われるものになれたらと祈るしかない。