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リタイアーのよもやま話

過去にしばられない

2011-01-08 11:02:07 | 若い時に読みたかった本

カンブリア宮殿(特別版)村上龍×孫正義

テレビ東京報道局編

日経プレミアシリーズ


という本を読んだのだが、あちらこちらにいい話しがあって、
喜んでいる。


この本を、読み返していたことろ、「はじめに」にも、
いい話しがあった。


野心を持つということは、どういうことか。彼なりの
定義である。

 


以下、その箇所である。


はじめに


収録の前に、ソフトバンクの株主を対象とした孫正義氏の
プレゼンテーションを聞きに行った。

2時間を優に超えるもので、未来へのビジョンをわかりやすく、
ときにユーモアを交えて語り続けるエネルギーに感嘆した。

だが、最後の30分、在日コリアンとしての生い立ちが語られ
はじめたとき、わたしはその話しに釘づけになった。

在日コリアンとして差別を受けたから、それを見返すという
単純なエピソードではなかった。

在日一世として生きた祖母の帰郷に同行した孫さんは、「幸福」
という概念に触れたのだ。

祖母が、日本から持ってきた端切れで作った服に喜ぶ韓国の親戚
たちを見て、孫さんは「人に笑顔と喜びを与える、これが幸福だ」
と思い、それを情報革命で実現しようと決意した。

わたしは、オーソン・ウェルズの映画『市民ケーン』を思い出した。

新聞王ケーンは、「バラの蕾」という謎の言葉を残して生涯を
終える。

映画はその言葉の謎を追っていき、最後に、養子に出される前の
ケーンが実家で遊んでいた子供用の橇(そり)「バラの蕾」と描
かれていたことを示す。

大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ時間を取り戻す
ことはできなかった。

単純に市民ケーンと孫正義がわたしの中でオーバーラップしたと
いうことではない。

子どもは誰でも、成長の過程で多くのものを失い、手放す。

母親との一体感、幼いときに描いていたさまざまな可能性、性格の
一部も手放すこともあるので、優れた役者はその頃のキャラクター
をカウンセリングで再獲得したりする。

作家としてのわたしは、小さいころに夢見ていたことを、小説と
いう虚構の中で再構築しようと試みる。

孫正義は、日本を代表する経営者となって、何かを取り戻そうと
しているのだろうかと考えたのだった。


だが、収録中、そういった物語が孫氏に限っては当てはまらない
ことに気づいた。

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

その強烈なエネルギーを支えているのは、現在をサバイバルする
ことと、未来への明確なビジョンだけで、過去は関係ない。

未来へのビジョンとは、あたかも本当に見てきたかのように未来に
ついて語ることだと、孫さんは明言した。

これまでこれほど明確にビジョンについて定義した人をわたしは
知らない。

小学校の卒業時の記念文集に「前進あるのみ」と記した少年は、
世界的経営者になった今でも、その言葉を忠実に守っている。  

以上。


この話しを読んで、松下幸之助の信条を思いだした。

また、マイクロソフトのビル・ゲイツやアップルのスティーブ
・ジョブズが、コンピュータにかけた若き日の情熱を思い出した。


先程の文章で、


子どもは誰でも、成長の過程で多くのものを失い、手放す。

人は、過去に失ったものを取り戻そうとしがちである。


しかし、実際は「大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ
時間を取り戻すことはできなかった。」


というのがあったのだが、

たいていの人間は、孫氏と違って、何らかの形で、過去にしばれ
ていると思う。

そして、それを取り戻そうとしているのは、まだましなほうで、
過去にとらわれるあまりに、いつまでも前に一歩も踏み出せない
ままにいることも多々あることだと思われるのだ。

また、時折、過去に失ったものを取り戻そうとするあまりに、
大なり小なり、「大富豪になったケーンだが、幼いころ橇で遊んだ
時間を取り戻すことはできなかった。」の通りになりがちだとも
思う。

時によって、拘りから生ずるエスカレートした信条は、自らを
崩壊させてしまうこともあるのではと思うのだが、どうであろう。

 

先程の文章では、こういうのもあった。

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

その強烈なエネルギーを支えているのは、現在をサバイバルする
ことと、未来への明確なビジョンだけで、過去は関係ない。

未来へのビジョンとは、あたかも本当に見てきたかのように未来に
ついて語ることだと、孫さんは明言した。

ということだが、どうしたら、このような境地に達することが
できるのか、羨ましいことだ。

このような文章も、若い日々に読まれるのが、望まれることだ。

 

孫正義は、いかなる意味でも過去に縛られていない。

過去に失ったものがあるにしても、それを取り戻そうなどとは
考えていない。

という生き方が可能だということを、知ることは大事なこと
かもしれない。

 


超一流

2011-01-07 23:24:06 | 若い時に読みたかった本

カンブリア宮殿(特別版)村上龍×孫正義 

テレビ東京報道局編 

日経プレミアシリーズ


という本を読んだ。

孫正義氏は、昔から関心のある企業家だった。それで、
できるだけ、彼の本は目を通すようにしてきた。

村上龍氏は、最近彼の本を読むようになって、何かと
興味がわくようになっていた。

村上氏の何かの本を読んでいた時に、カンブリア宮殿
という文字が出てきたことがあったので、今回、この
本を読んでみることにした。


内容的には、今まで読んだ本にもあったことであった
が、今回新鮮な印象を受けた箇所があった。

 

「ワンピース」に学ぶ仕事術に「野望を持つなら覚悟を
きめろ」という話があったのだが、今回、この本の内容と
重なりあうような気がして、おもしろいと思った。


彼は、今でいう電子辞書、現在の電子辞書の最初の原型。
人類初の電子辞書を作ったらしい。

そのことが、本に書かれているのだが、これが、凄いの
一言につきる話なのである。

ビル・ゲイツと寝そべって、語り合ったというエピソード
があったが、さもありなんという話である。

 

以下、抜粋である。

 


教授に時給を払う学生

 

村上 もちろんいろんな人の協力があったんでしょう?

孫  はい。基本的な特許というのは、作品がなくても、
      アイデアだけで取れるわけです。

      ですから、アイデアの基本コンセプトのところは、僕が特許
       出願まで、実は一人でやったのです。

      その特許を出願したあとに、今度は試作機を作らなければいけ
      ない。

      その試作機を作るのに、大学の教授とか、研究員の人たち、
      助教授など五、六人を集めて、プロジェクトチームを起こすん
      です。

村上 プロジェクトチームを起こすといっても、学生ですよね。

孫  はい。

小池 協力、すぐにしてくれました?

孫  例えばマイクロコンピューターのハードの設計者、チップの
      設計者では、誰が一番、有能な教授ですかと聞いて回るわけ
     です。

      ソフトのプログラムでは、誰が一番有能な助教授ですか、と
      言って、あっちこっちに電話しまくって、尋ねまくる。

       それで、これぞという人が見つかると、僕はこういう発明をして、
       特許も出願したと。

      ついては試作機を作って売り込みに行きたいのだけれど、試作機
      を作るのに、「先生、力を貸してください」と。

      もちろんタダでとは言わないと。

      「先生、時給はいくらですか」と聞いて、「お払いします」と。

村上 教授に?

孫  教授に。

村上 時給がいくらか、学生が聞く?

孫  ええ。それでその教授に、「ただ僕には、先生のような世界的
      に有名な先生に、いくらの時給をお支払いしたらいいのかわから
      ない」と。

村上 本当に有名な先生だったんですか、その人?

孫  もう世界的に有名な先生ですよ。

      それで、「僕がいくらと言って、失礼にあたってもいけないので、
      先生が自分で時給いくらと決めてください」と。

     「僕はネゴはしない」「言い値を払います」と言いましたよ。

     「一切のネゴはしないで言い値を払いますから、むちやな値段は
    言わないでください」と。

    そうして、その先生からまた他の教授を紹介してもらったりして、
    五、六人のチームを作っていくわけです。

     「ただ、僕は今、学生で留学生で、現金は手元にない」と言うん
      です。

     「だからこのプロジェクトを起こして、試作機が出来上がったら、
     僕がそれを売り込みに行きます。

     売り込みに行って、契約できたらお金が入るから、その入ってきた
     お全で払いますから、後払いになります。

     ただし、もしうまくいかなかったら、これはみんなの責任ですよね。

     うまくいかなかったら、お金は一円も入ってこないかもしれない。

      入ってこなかったら、先生に約束したお金は払えないから、あらか
      じめ了承してください」と。

村上 すごい話ですね。

孫  「うまくいったら先生の言い値どおり」うまくいかな
      かったら、みんなタダ働きです」と。

     「でもね、世界初の電子辞書を作るわけです」「しかも、スピーチ
       シンセサイザーで、発音までしてくれる」「これを作っただけでも
       人類のために意義があると思いませんか」と。

村上 19歳でそのようなプレゼンテーションを……。

孫  「それは先生にとっても、ああ、面白いプロジェクトを
        一つやったな、と思えるんじやないですか」と。

村上 「思えばいいじやないですか」と。

孫  そうしたら笑い出して、「お前も面白いやっちやな」
     「じやあ、まあ、やってみるか」となったのです。

小池 考えや熱意に押されたんじやないですか。

孫  だと思います。結果的には、先生がおっしやった金額を
      全額、お支払いできました。さらにちょっとボーナスも付けて。


小池 すごい。

村上 でもそれは、その先生たちが超一流だったからオーケー
       だったんですね。

孫  おっしやるとおり。

村上 たぶん一流、二流の人だったら「何言ってんだ、こいつは」
       で終わりですよ。

       超一流の人だけが「面白いやつだな」と思う。

 

 

人類最強の頭脳たちのボスに

 

孫  NASAのアポロのロケットに初めてマイクロコンピューター
      を搭載した設計者、その人なんです。

     ロケットにマイクロコンピューターを搭載して、マイクロコンピュータ
     ーでロケットをコントロールした。

    そのハードの設計者とプログラマー……。

村上 その方たちに、頼んだんですか?

孫  そうです。だから、もう人類最強と言ってもいいような
      頭脳の持ち主だちなんです。

村上 だからこそ、面白いやつだと思われたんですよね。

孫  このプロジェクトは、先生方には本当に喜んでもらった。

      そのとき、中心だった教授がこういうことを言われたんです。

     「わかった。僕もいろいろな新しいプロジェクトをやってきたけど、
       一つ条件がある」と。

    「プロジェクトがうまくいかなかった時の失敗の原因は、リーダーが
     明確でなかったことが多い」と言うんですね。

     方向性とかスケジュールとかに関して、誰がボスで、どういう
     指揮命令系統でやるかがはっきりしていなかった時は、たいがい
     失敗している。

     だから、今回の場合は、お前がボスだ、と。

     お前がボスで、お前が方向性、スケジュール、その他もろもろの
     ことを指揮命令するということならやろう、というのが条件でした。

     僕は学生でしたが、「わかりました。やりますよ」ということに
     なったんです。


以上。


本の中に、こういう箇所があった。

 

村上 でもそれは、その先生たちが超一流だったからオーケー
        だったんですね。

孫  おっしやるとおり。

村上 たぶん一流、二流の人だったら「何言ってんだ、こいつは」
       で終わりですよ。

       超一流の人だけが「面白いやつだな」と思う。


ここである。


実は、思ったのだが、孫正義氏が超一流だったから、超一流の
人間にたどり着いたのではないかということである。

 

また、話しの中に、こういう箇所がある。


「プロジェクトがうまくいかなかった時の失敗の原因は、リーーダーが
明確でなかったことが多い」と言うんですね。

方向性とかスケジュールとかに関して、誰がボスで、どういう
指揮命令系統でやるかがはっきりしていなかった時は、たいがい
失敗している。

だから、今回の場合は、お前がボスだ、と。

お前がボスで、お前が方向性、スケジュール、その他もろもろの
ことを指揮命令するということならやろう、というのが条件でした。

僕は学生でしたが、「わかりました。やりますよ」ということに
なったんです。

ここである。


教授をして、19歳の学生に、お前がポスだと言わせたのだが、
孫正義に対して、教授は何か感ずるものがあったのだろう。

教授も真剣勝負になっている。学生と教授との関係を超えて
対等の大人同士の話しになっているではないか。

教授にそういう事を言わしめた孫正義に、やはり、非凡なる
ものがあったのだろう。

その教授からの提案を、「わかりました。やりますよ」と
言ったところが、尋常な人間ではないということが表れて
いる。

教授からのこのような提案を、どう考えても学生ができるとは
思えない。

普通に考えて、一介の学生と、世界的な権威の教授が対等に
渡り合うことなんてあり得ない話だ。

自分たちの大学生の頃をふり返れば、信じられない話しである。

やはり、彼が、後日、ソフトバンクで世に出てくるのはしごく当たり
前のことだったのだろう。


ということで、今回のこの本を読んで、改めて、孫正義氏の
凄さを思い知ることになった。

このような本、できれば、中学3年か高校生の頃に読みた
かったものだ。

そして、できれば、今の若い人にこの本を読んでもらえたら
と思われてならない。

 


「一流」をつくる法則

2011-01-07 12:11:57 | 若い時に読みたかった本

「一流」をつくる法則

齋藤孝

新潮文庫


という本を読んで、爽快な気分になった。

いい本であった。

できうれば、中学3年の時、高校生の時に読みたかったものだ。


本の帯びには、こう書かれている。


歴史が証明した才能の錬金術!

生き残る組織は何が違うのか?

古今の「勝ち組」徹底検証!

とある。

そして、裏表紙には、こう書かれている。

 

勝ち残る組織には優秀な才能が必要だ。

しかし強い集団には個人の才能より先に、ある共通のシステムが存
在した。

殺しても生き返る猿飛佐助、漫画家の先鋭が集うトキワ荘、天才が
輩出した理化学研究所一一歴史に名を刻む古今の勝ち組を検証し
見えてきたのは、「基本技の共有」というコンセプト。

どんな時代をも生き抜く力の、意外な本質とは。

『天才がどんどん生まれてくる組織』改題。


以上。


内容を抜粋して紹介するのは、困難なので
目次を紹介したい。


第1講 猿飛佐肋は個性を超える 
第2講 ヨハン・クライフとカルロス・ゴーン 
第3講 世界的音楽家を輩出した斎藤メソッド 
第4講 奨励会というスーパー教育システム 
第5講 サッカー選手養成組織 清水FC 
第6講 宝塚音楽学校の密封錬金術 
第7講 藩校の教育力 
第8講 スター誕生‐・ 
第9講 漫画家の青春溶鉱炉 
第10講 週刊マンガ誌という怪物 
最終講義 「なにを研究してもいい」
       理研を育てた太つ腹キヤラ

解 説  江 上   剛


以上。


「ワンピース」に学ぶ仕事術に「野望を持つなら覚悟を
きめろ」という話があったが、現実の社会で、具体的な
方策はとなると、この本で紹介されていることになる
のだろうか。

いい本であると思った。

できれば、少年時代に読む機会が、あれば良かったのに、
と思われてならなかった。

 


小惑星探査機 はやぶさの大冒険

2010-12-30 22:19:27 | 若い時に読みたかった本


山根 一眞氏の「小惑星探査機 はやぶさの大冒険」を
読み終えた。

新聞の書評欄に載っていたので、興味がわいた。

著者の山根 一眞氏は懐かしい名前だった。

15年ほど前に、彼は、モバイルコンピューターを提唱していて、
そのような技術に、いたく感動した記憶がある。

それで暫くは、PHSを通して、ノートブックパソコンで
インターネットに接続できないか、パソコン通信はできないか、
なんてはまってしまった。

このようなムードが高まり、機材が揃うようになって、素人でも
できるようになった。

しかし、素人がこのような技術にはまっても、宝の持ち腐れの
技術で、結局、いつの間にか、興味が薄れてしまった。

番号が気に入ったせいもあるが、その時以来、ずーっと、PHS
の方は使っている。

わたしが、PHSを使いはじめた頃は、携帯よりPHSがもてはや
されたが、携帯の猛烈な進歩で、PHSは絶滅危惧種になりつつ
ある。

昔の勢いを知っているだけに、寂しい気もする。

PHSの前に、ポケベルを使っていたが、こちらの方は、絶滅
してしまった。

PHSが完全に絶滅するまでは、まだまだ拘ってみたいと思って
いる。

ところで、この「小惑星探査機 はやぶさの大冒険」いい本で
あった。

人間に、そして、日本人にこんなことができるか。なんて
いう驚きの連続であった。

そして、一つの仕事に、いろんな分野の協力が必要で、その
人材が、揃っているということも驚きであった。

いい時代に、立ち会えたような気がする。


読んでいるうちに、思ったことは、小学生の高学年、中学生
高校生にぜひ、必読書にしてもらいたいと思った。

科学離れの時代にあって、このような啓発力の高い本は、ぜひ
読まれてほしいと思った。

で、あとがき、読んで笑ってしまった。

というのは、この本は、理科離れの時代にあって、ぜひ、中学生
に読ませたいとのことで、書かれたというくだりがあったからである。

本当に、若い人に読んでもらいたいと思った。

 

読んで、すごい技術の連続であった。


その中で、印象的な箇所があった。

以下、抜粋。

 

奇跡か? 努力か?


M‐Vロケットによる「はやぶさ」の打ち上げの数年前、
「イオンエンジン」の開発や試験に取り組んでいた当時は、
子どもの保育園の送り迎えをしながらの日々だった。

その子どもたちもやがて成人式を迎える。

宇宙プロジェクトは、それほど長い年月にわたり情熱を維持
しなくてはならないのだ。

そして明日、ここに「はやぶさ」が帰ってくる。

この日を迎えることができたのは、奇跡なのか、偶然なのか、
努力のおかげなのか。

チ~ムの一人は「奇跡だ」ともらしていたが、國中さんは?

「うーん、奇跡だとはいいたくないですよね。やっぱり努力
でしょうね、努力です。

とても『おもしろかった』ので、みんな一生懸命努力したんです」
                           
いい言葉だ。

「おもしろい」という思いはとてもだいじ。

「おもしろい」とは好奇心をかきたてられることであり、それが文化
や文明の最大の原動力になってきた。

宇宙分野にかぎらす、日本の最先端の科学技術者たちも、モノづくり
にたずさわる人たちも、「おもしろい」からこそ努力をして世界一
の成果を手にしてきたのだ。

そういえば、「ターゲットマーカー」の開発を担当した准教授の
深井秀次郎さんが、「好奇心を持って、『あれができないか、こんな
ことができるはず』と、おもしろがる心が大切。

人工衛星や探査機、ロケットも、おもちやの開発と同じなんですよ」
と語っていたことを思い出した。

これが、宇宙科学研究所の力のもとなのだ。

はやぶさ」の地球帰還前日に、私たちが忘れかけていた大事な言葉
を國中さんからもらうことができた。

このひと言だけでも、私ははるばるウーメラまでやってきたかいが
あった。

だれもが「おもしろい」と感じてきたからこそ、「はやぶさ」は世界初、
世界一を実現できたのだから。


以上。

 

 


持ちたくない友

2010-12-29 22:44:45 | 若い時に読みたかった本

渡部昇一氏の「知的余生の方法」にあった
話である。


持ちたくない友

吉田兼好は『徒然草』の中で持ちたい友人について次のように
書いている。

「よき友三つあり。一つにはものくるる友、二つには医師、三つには
知恵ある友」中学から高校の古文の授業で習った覚えがある言葉だ。

こういう友はいい友達だ、という兼行流の友達のすすめだ。

彼がこれを書いたのがいくつの時なのかはわからないが、若いときな
らともかく、年齢を重ねてくると、特に六十歳前後になると、兼好とは
ちょっと違った視点で、人をとらえるようになってくるのではないだ
ろうか。

私などは、兼好とは違って「いい友」より「持ちたくない友とはどんな
人間か」と考える。

そして最初に浮かんできたのが、もうかなり前だが、経済評論家の
斎藤精一郎さんの結婚披露宴に出席させていただいた時のこと
だった。

この時、元通産省事務次官の佐橋滋さんがスピーチをした。

佐橋さんという方はすごい切れ者で、三本武夫さんが通産大臣の頃、
陰で、「佐橋大臣、三本次官」などと言われていたほど、通産行政を
一手に引き受けていた人だ。

この人が、「若いときには思想、信条が違っても、つきあえるものだ。

その違いがかえって面白く、議論を楽しむことができる。

けれども、年をとるとだんだん考え方の違う人とはつきあいたくなくなる
ものだ」といったような内容のスピーチをした。

確かににそうなのだ。

若い時には、考え方が違っていても、友達だからと、ある程度は我慢
してつきあえる。

右翼的な考え方をする者だろうが、左翼的だろうが、文字通り侃々
愕々にやるのがむしろ楽しがっかりする。

私も旧制中学の友だちと、ワイワイやったものだ。

意見の違いが、かえって自分の考え方をはっきりさせることもあるだろ
うし、相手の方がよく勉強していると気付くと「コノヤロー」と、自分も
より深く勉強するようになったりする。

若い時には、考え方の違いが、自分を高めることに役立つこともあるのだ。

けれども、年齢を経てくると、だんだん、基本的な考え方の違う人とは
つきあいたくなくなる。

我慢できなくなる。

一緒にいても面白くない。

だから次第次第につきあいがおざなりになってしまう。

日常的なものの考え方とか習價のことをいっているわけではない。

その人が長年培ってきた、基本的な思想・信条のことだ。

それが違う人とは友情を育めないのだ。

例えば、私は個人の私有財産については、大いに認める立場にいる。

これに対して、旧ソ連や毛沢東や戦時中の日本のように、私有財産を
敵視するような考え方をする人が、いまだに居る。

若い頃には、このような共産主義的な考え方をする同級生とも、田舎
に帰るとよく会ったりしたものだ。

しかし今は、会う気にはならない。

あるいは、かっては仲がよかった政治家がいる。

けれども彼が基本的には中国よりの考え方をするとわかってからは、
つきあわなくなった。

別に、会うたびに思想上の話をするわけではない。

ただの雑談の場合もある。

しかし、基本的な立場が違う人とは、一緒にいるだけで、気持ちが
ザワつく。

くつろいで話せない。

夫婦でつきあおうという気には、サラサラならない。

これが、今と若い時との友人関係の違いだろう。

年を取ってからの「ダメな友」の第一は、ペースになる思想・信条が
違う人なのである。

 

 

支払能力の差

二つ目は、収入の違う人。

収入というよりも、支払能力といったほうがいいだろう。

若い頃は、だいたいがみんな貧乏だから、そんなことは気にならなかった。

同じ大学に入学したのなら、まあ同じような経済状態だと考えていい
だろうし、多少の不足分はバイトか何かで補える。

ところが、年を取ってくるとそうはいかなくなる。

年齢と共に生活のレベルに違いが出てくるからだ。

すると、経済状態が、つきあいに大きく作用してくる。

例えば、ある人に夫婦ともども高い料亭に招かれたとする。

すると、こちらもそれに見合うお返しをしなければならない。

長くつきあっていくためにはそういうことが大切になるからだ。

ファミリー・レストランやそこらだと、大して気にせずともすむ
かもしれないが、一席が何万もするような料亭に招待されたとなると、
友人としてつきあっていくためには、それに見會ったお返しが必要だ
ろう。

財界の人に呼ばれて話をするとか、何かのお礼に呼ばれたというの
なら話は別だ。

あくまでも友人同士、あるいは夫婦同士、家族ぐるみのつきあいを
考えてみた場合だ。

このような時、こちらにお返しをするだけの経済的余裕がないと、
そのうちどちらからともなく疎遠になっていくものだ。

お互いに、なんとなく遠慮しなければならない気分になるからだ。

特に配偶者がいると難しい。

支払能力が友人関係に作用することに気付いたのは、五十歳を過ぎ
た頃だった。

ある時、夫婦である出版社が企画した二週間ほどの世界オペラの旅
に行くことになった。

ホテルももちろん一流のホテルで、ヨーロッパを中心に世界の最高級
のオペラ・ハウスを回るというツアーであった。

で、どうせなら誰か友達を誘ってみようか、と見回してみたら、誘える
ような友人は数えるぐらいしかいないことに気がついた。

オペラに興味がある、という条件を除いてもだ。

行けば、夫婦ともども二週間、まるまる楽しめる。

帰国しても、その思い出に華が咲き、つきあいがより楽しく、深まるの
はわかっている。

けれども、どうしても支払能力を考慮せざるを得ない。

となると、その範囲はかなり狭いものになってしまう。

そう考えた時、私は「なるほど、年をとってからのつきあいには、

こういう要素も加わってくるのか」と気付いたのだ。

これはちょっと特異な例なのかもしれないが、とにかく、経済状態が
あまりにもかけ離れていると、友人関係を続けていくのは難しくなる
ものだと思う。

そして面白いことに、同じようなことが同窓会にもいえるのだという。

 

知的レベルの高い友

三つ目に大切なことは、教養の差が大きいと、友達としてはつきあえ
なくなるということ。

個人としては教養がいくらあってもいいのだが、友としてつきあう場合
には、教参が邪魔になることはしばしばある。

こういった時、教養を押し殺してつきあうほど、面倒で面白くないもの
はない。

だから、そういったことを感じさせない人を、やはり友人としては持ちた
いものだ。

私の場合では、例えば谷沢永一さんなどがそうだ。

個人的にもウマが合う。

といって、彼とは若い頃からの知り合いではない。

最初に知り合ったのはもう五十歳を過ぎてからだったと思う。

しかも、私は英語学で、谷沢さんは目本の近代文学だから、本来なら
接点もあまりない。

にもかかわらず、最初にお目にかかった時から意気投合してしま
った。

両方とも本がむやみに好きだから、今では、話し出すと止まらなくなる。

話は尽きず、会えば夜の十二時ぐらいまで話したりする。

それがことのほか楽しいのだ。

しかも常に何らかの得るものがある。

このように、夜を徹して知的な会話のできる人が、友としては最適
なのではないだろうか。

だが、残念ながらなかなかそうはいかない。

若い頃、学校の帰りにコーヒーを飲みながら、一時間も二時間も楽しく
しゃべっていた友達に、今会ったとしても、かつての楽しさは味わえな
い。

むしろ、退屈で我慢ならないことの方が多いと思う。

年金がどうのとか、再就職先がどうの、あそこの飲み屋が美味いの
不味いのといったレベルの話ばかりだからだ。

これが退屈じゃないと感じるようなら、その人自身も退屈な人問になっ
てしまったということなのだ。

こちらが知的に成長すればする程、十年一日のごとく変わらない話に
は退屈以外の何物も感じない。

年金の話も、飲み屋の話も同じことだ。

人間、年齢に関係なく、知的興味を失ってはいけない。

そして、年齢を重ねれば重ねる程、夜を徹して知的レベルの高い
話ができる友、そういった楽しさを味わえる友を待ちたいものだと
思う。


以上。

 

吉田兼好の『徒然草』は、高校あたりだと思うが、習った記憶が
ある。

「よき友三つあり。一つにはものくるる友、二つには医師、三つには
知恵ある友」の言葉は、恐らく、社会人になって、一通り、読んだ
記憶があるので、その時に、知ったと思う。

個人的は、「一つにはものくるる友」については、今だに、
こんなにも有名な吉田兼好が、なぜこれを挙げたか、理解できない。

根拠はないが、イメージがあわない。

なんとなく、さもしいように思われてならないからである。

とにかく、似つかわしくないと思っている。

それにつけても、渡部氏の「持ちたくない友」については、
最初は、その発想にギョっとしたが、読んでみると、自分自身の
現状を理解するのに、役立っているのでなるほどと肯いてしまう
ところがあって、面白かった。

 

「持ちたくない友」

【ペースになる思想・信条が違う人】


【支払能力の差】
 二つ目は収入の違う人。
 収入というよりも、支払能力といったほうがいいだろう。


【知的レベルの高い友】
三つ目に大切なことは、教養の差が大きいと、友達としてはつきあえ
なくなるということ。

この三つを渡部氏は挙げている。

まったく、その通りだと、納得してしまった。

渡部氏は、これらの条件を満たす友人がいるということだろう。

大変羨ましい。

やはり、功成り名遂げる事ができた人は、こういうことが叶うのだろう。

さしたる才能もなく、何事も中途半端で凡俗な輩には、残念ながら、
これらの条件を満たす友人にめぐり合うことはないようだ。

どの本で、読んだか覚えていないが、50歳を過ぎたら、人間なんて
変わりようがない。というのを読んだ記憶がある。

また、ヒルティだったと思うのだが、35歳~50歳までは、人間は
変化していく可能性があり、50歳をすぎないと、考え方が定まらない
という内容みたいなのが、あったような気がする。

(ただ、これは、本のどこを捜しても見つけられない。)

それからすると、やはり、ある程度歳をとっていくと、人間は変わ
りようがなく、自分と違う人間と付き合うのは、鬱陶しくなるのかも
しれない。


ところで、特に肯いてしまったのは、【支払能力の差】についてである。

実は、わたし自身の退職後の生活において、その現実に直面した
からである。

現役時代は、皆そこそこの収入があるので、同窓の者同士でも、職場
の同僚にあっても、日頃つきあいのある者同士では、【支払能力の
差】については、意識することがない。

しかし、いったん退職すると、個々の差については、愕然とするもの
がある。

国民年金と厚生年金の差、民間と公務員の退職金の差、公務員の
共働きであったか、そして、親から譲り受ける資産があったか等に
よる退職後の生活の生活格差を目の当たりにして、愕然としてし
まう。

いかに、つきあいのあった友人であっても、国民年金組と厚生年金組
にあっては、非情な現実を突きつけられる。

言葉を失ってしまう。

いかに元同僚であっても、親からの資産のある者とない者との間の
生活格差には、愕然としてしまう。


蛇足だが、独身組と家族持ちとの間に、交わす言葉など見つけること
は、困難だ。わたしは不可能だと思っている。


「人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた
伝統的社会形態であるゲマインシャフトからゲゼルシャフト(Gesell
schaft)へと変遷していく」という考え方があったが、時代が下るに
つれて、社会は、ゲゼルシャフト化が進行し、個人主義が謳歌され、
個人の自己実現の追求がエスカレートするにつれ、個々の「思想・
信条」は肥大化し、「教養の差」も拡大してきた。

そして、とうとう、わたしたちは誰も共通項を持たない存在になった。

と同時に、わたしたちは、自分の存在を確認する術を失ってしまった。

わたしたちは、退職後は皆が、孤独になっていかざるを得ないという
想定していなかった現実に直面することになるようだ。

それにつけても、

今となっては、「若気の至り」としか総括できない左翼かぶれ
の学生時代、仮面引きこもりの読書三昧の人生、
父親が病気になったばかりに、貸家業になってしまった余生

どれもこれも、友人を持つ障害になってしまうなんて、皮肉な
ものだ。