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リタイアーのよもやま話

「GDP」と5番街の異変 

2013-12-26 06:47:07 | 社会

ヤフーのニュースである。

「GDP」と5番街の異変 
若者たちはどこへ行ったのか


例年クリスマスが到来すると、目抜き通り
のマンハッタン5番街は騒然とした雰囲気
に包まれる。大みそかのアメヤ横町さなが
らに足の踏み場がなくなるほど、買い物客
や観光客が密集するのだ。

 5番街はしゃれた服飾品店で知られる。
例えば、美男美女の店員がそろう米衣料の
アバークロンビー&フィッチ。高価な衣料
品を売っており、同社のロゴが書かれたT
シャツを着るのが若者たちにとって一種の
ステータスとされる。「金持ちは偉い」
「競争に勝つ」というニューヨーク気質の
発露である。

 ただ、今年の年末商戦では、異変が起き
ている。アバークロンビーをはじめ、19
80~2000年頃に生まれた「ミレニア
ム世代」を客層とする高級ブランド店への
“入り”が悪い。例年に比べて値引き商品
が増えているのにだ。

 実際、アバークロンビーは先だって発表
した決算で収益見通しの悪さを告白した。
若者たちはどこへ行ってしまったのか?

 「作品を楽しんでください」。司会役が
挨拶すると、若者たちが「イヤー!」と呼
応した。窓の外はみぞれが降る悪天候。天
井のしっくいがむき出しの会場は8階にあ
り、昇降機が故障しているのに100人は
優に集まっただろうか。

5番街から西へ徒歩20分、ハドソン川そ
ばにある暗がりの倉庫街。芸術家支援のア
ートビートがこのほど開いたお披露目会に、
5番街での“異変”の謎を解く鍵が隠され
ている。

 アートビートはウェブ技術を生かして社
会に若手の芸術家を紹介する新興企業だ。
ネットワークに参加した写真家、彫刻家、
音楽家らを呼んで定期的に品評会を開く。
参加するのは、芸術家志望だけでなく、芸
術の“消費者”たる資金に余裕のある若者
である。

 若者らは個展を鑑賞し、無料で配られるワ
インを飲み、趣味や最近読んだ本について歓
談する。聞いてみると、収入源を持っている
中間層で、「自己表現は買うものではなく、
分かち合うもの」という価値観だ。

 「幸福の尺度が揺らいでいるのです」。南
アフリカのプレトリア大学で社会科学を教え
るロレンゾ・フィオラモンティ准教授が解説
してくれた。准教授は、「国内総問題」とい
う著作を年初に出版している。

 「国内総問題」を英語に記して頭文字を
取ると「GDP」となる。プロダクト(生
産)をプロブレム(問題)に置き換えるこ
とで、同じ略称を用いる代表的な経済指標
「国内総生産」を揶揄(やゆ)した。「豊
かさの代名詞だった1人当たりGDPが幸
福度の物差しとして通用しなくなっている」
というのが同書の趣旨である。

GDPは1930年代に米国で発案された。
消費、投資、純政府支出、純輸出から構成
され、米国が大恐慌から脱し、戦争を遂行
するための生産力を測る物差しとして使わ
れた。重宝されたのが80年代で、旧ソ連
の経済が疲弊して米国の国力が勝っている
ことを証明するために、米中央情報局(C
IA)が積極的に引用した。

 ただ、貨幣換算できる要素に注目してい
るため、衣料会社が売れもしない在庫を生
産したとしてもGDPはかさ上げされる。
一方で、主婦(夫)業、環境問題など計量
化できないサービスは勘案できない。芸術
家の卵たちの無料個展や、そこでの会話で
生み出される満足度もしかりである。

 ウォール街で株価が最高値を更新し、国
際通貨基金(IMF)が米国の予想経済成
長率を上方修正する。GDPもニューヨー
クでは金融危機前を上回る水準まで戻した
が、「5番街の異変」を観察する限り、ミ
レニアム世代にとっては関係のない話のよ
うだ。
(ニューヨーク駐在編集委員・松浦肇)

以上。

興味深く読めた。

以下、その箇所の抜粋である。

若者らは個展を鑑賞し、無料で配られるワ
インを飲み、趣味や最近読んだ本について
歓談する。聞いてみると、収入源を持ってい
る中間層で、「自己表現は買うものではなく、
分かち合うもの」という価値観だ。
 「幸福の尺度が揺らいでいるのです」。南
アフリカのプレトリア大学で社会科学を教え
るロレンゾ・フィオラモンティ准教授が解説
してくれた。准教授は、「国内総問題」とい
う著作を年初に出版している。

GDPは1930年代に米国で発案された。
消費、投資、純政府支出、純輸出から構成
され、米国が大恐慌から脱し、戦争を遂行
するための生産力を測る物差しとして使わ
れた。重宝されたのが80年代で、旧ソ連
の経済が疲弊して米国の国力が勝っている
ことを証明するために、米中央情報局(C
IA)が積極的に引用した。



ウォール街で株価が最高値を更新し、国
際通貨基金(IMF)が米国の予想経済成
長率を上方修正する。GDPもニューヨー
クでは金融危機前を上回る水準まで戻した
が、「5番街の異変」を観察する限り、ミ
レニアム世代にとっては関係のない話のよ
うだ。


以上、抜粋。

若者の価値観に変化があるというのも面白
いが、GDPに関する秘話も面白く読めた。

ところで、次の

営利団体が慈善活動? 欲望渦巻くウォー
ル街で「裏の国連総会」が人気の理由

という記事があったが、面白い動向である
ある。

時代は、どこに向かうのだろう。興味深い。

 


「サボリ」が大目に見られなくなる

2013-11-15 21:15:30 | 社会

「いいね!」が社会を破壊する

楡周平

新潮新書

を読み終えた。


興味深い箇所があった。
以下、その文章である。

 「サボリ」が大目に見られなくなる

 それでは、大人の皆様、特にビジネスパーソン
諸氏に是非伺いたい。

 便利には違いありませんが、携帯電話を持って
いて、いいことばかりでしたか?

 私には、どうもそうとばかりは言い切れないよ
うな気がするのです。だって、最も基本的な機能
である「どこにいても連絡が取れる」というのは、
逆を言えば、連絡を取りたくない時にも連絡をつ
けられてしまう、ってことじゃないですか。

 携帯電話がなかった時代には、午前中の喫茶店、
二十四時間営業のサウナ、昼の映画館といった場
所でサラリーマンの姿をよく目にしんものです。
前夜遅くまで続いた接待の疲れを癒すため、ある
いは得意先回りの空いた時間に体を休めるためも
あったでしょうが、ノルマに追われる営業マンな
んて、問われるのは結果。辻棲が合えば、そんな
行為も大目に見る風潮が確かに存在していたよう
に思います。

 出張にしたって会社を出れば、こちらから電話
を入れない限り、車中では安心して弁当を食らい、
惰眠を貪ることもできました。海外出張に出かけ
ようものなら、連絡するもしないも本人次第。飛
行機のドアが閉まった途端、解放感に包まれ、体
調が瞬く間によくなっていくのを感じたものです。
「出張中」「海外に出ておりまして」「連絡がつか
ない」「連絡が取れ次第」というエクスキューズが、
当たり前に成り立っていたのです。

 ところが、今はどうでしょう。世界中のどこに
いても電話が入る。居場所だってリアルタイムで
特定されれば、携帯電話に記録されたナビデータ
で、その日の行動履歴が全て再現されてしまう。

緊急性の如何にかかわらず、連絡事項、果ては書
類に至るまで、何でもかんでも片っ端からメール
される。それも、受け取る本人が就寝中だろうと、
休暇中だろうと、二十四時間、三百六十五日、お
構いなしにー。

 かつては、会社を出ればとりあえず仕事からは
解放されたもの。自宅に電話をしてまでなんて、
余程の緊急事態。まして、休日、休暇中ともなれ
ば、完全にプライベートな時間を満喫することが
できたものです。嫌な上司、同僚はどこの組織に
も存在するでしょう。それでも我慢できたのは、
会話を交わすのも、顔を見るのも会社にいる間だ
け-そこを離れれば解放される。少なくとも、そ
うした環境が存在したからではないでしょうか。

 それが、いつでもどこにいても仕事は容赦なく
追いかけてくる。自宅だろうが、酒場だろうが、
デートの最中だろうが、携帯電話はひっきりなし
に鳴る。無視、あるいはサイレントモードにして
いても、着信服歴が残っている。メールボックス
を開こうものなら、そこにはメッセージの山。

 最近、若者、特に社歴の浅い社員の中に、新型
鬱と呼ばれる症状が多発していると聞き及びます
が、仲間うちで楽しいやりとりを行うツールだっ
たはずの携帯電話が、見たくもないメッセージを
運んでくる手先に変わる。かと言って、手放すこ
とは不可能だとなれば、そりゃあ鬱にもなろうと
いうものです。

以上。

わたしたちの世代には、懐かしい話しではなか
ろうか。

わたしが目の前で、携帯電話を見たのは、40代前
半のことだった。

同僚で、ボランティアグループの活動をしている
人がいて、事務局長をやっているものだから、頻
繁に職場に電話がかかってきたようだ。

職場に迷惑がかかるということで、携帯電話を購
入し、使っていた。

今から、20年以上前のことだから、けっこう大き
かった。

その後、インターネット元年の1996年を迎え、わ
たしも、「ネットに、万巻の書を読む」なんて、
メールのシグネチャーに書いては、気取って浮かれ
ていたのだが、時代は、猛スピードで、変容してき
た。

そして、完全についていけなくなった。

わたしのPHS遍歴である。

 

ASTEL   

A231   パナソニック

 

 

AD11   日本デンソー

 

 

 

AH-K3001V  京セラ



 

WS004SH     シャープ

 

WX340K   京セラ


わたしがPHSに拘った理由の一つがPHS
を使ってパワーブックからネットに接続
することだった。

最初のA231では、専門的な知識のある
人は、ネットに接続できたようだ。

残念ながら、この機種では叶わなかった。

AD11の頃から、環境が整って、素人でも
ノートブックから、ネットに接続できるよ
うになって、喜んだ記憶がある。

その後、トレードに使えるということで、
WS004SHに機種変更したが、これは、失敗だ
った。

大きすぎて、自宅に置きっぱなしで、携帯に
ならなかった。第一、デイトレをするつもり
がその時間が取れなかった。

結局、電話さえできればいいと、WX340Kに再
度機種変更した。

 

今は、十分に満足している。薄くて小さいの
で身につけていても、鬱陶しくない。

何しろ、人づきあいもないから、普段から
かかってくる人がいない。不動産屋からの
問い合わせが、たまにくる程度だ。もっと
も、この問いあわせに対応するのが、必要
だったせいもある。

 

今、この機種が壊れたらどうしようかと、
心配している。後継機が見当たらないのだ。

とても、スマートフォーンを使う気にならな
い。完全に時代の背を向けているようだ。

宝の持ち腐れなのだ。

時代は、「70億のボーダーレス時代」という
言葉があった。

第一の人生真っ只中にいる人たちは、大変な話
しだ。同情する。

この慌ただしさの中に、埋没する時代をスルー
できたのは、幸運だろうか?

すっかり忘れていたのだが、、「『サボリ』が大目に見られる」
時代があったことを、思いだしてしまった。

まだ、携帯電話もネットも想像できなかった時代。
ポケベルが、重宝されていた時代。

わたしは、南のとある島で残業して、バス停の食堂で、夕食を
とっている時に、この曲を聴いていたような記憶がある。


 井上陽水/少年時代

遠い、遠い昔のこととなってしまった。

 


50代男性社員 あだ名は「伝書バト」

2013-09-26 21:33:03 | 社会

ヤフーの記事である。

 

50代男性社員 あだ名は「伝書バト」
〈AERA〉

dot. 9月26日(木)7時11分配信

 最近ではメディアでもワーキングマザーに
ついて取り上げることが多く、職場で厳しい
目を向けられているのは働く母親…かと思い
きや、どうやらそうとも言い切れないようだ。

アエラが会社勤めの20~50代を対象に「使え
ない社員」について調査したところ、全世代
が共通して挙げたのは「50代男性」だった。

ある企業ではこんな「お荷物社員」を抱えて
いるという。

大手メーカーA社の首都圏の支店。50代前半の
男性本部長のあだ名は「糸電話」「伝書バト」。
いつもぼーっと席に座っていて、たまに「調整」
の名目でいそいそと本社に出かける。現場の社
員はこう思っている。彼は何のためにいるのか?
ある女性社員(27)は言う。

「年配社員が就くポストをなくさないためだけ
にある、いわば『ポスト維持のためのポスト』。
仕事はほぼすべて本部長より下の上司だけで回
っているし、むしろ彼のせいで現場が混乱しま
す」

 というのも、本部長は本社に行くと要求をす
べてのんでしまい、支店には「伝える」だけ。
現場の状況を考慮し、本社の無理な要求とすり
合わせて交渉するのが「調整」ではないのか。

 それだけではない。ある時、人事異動が予定
日を2日過ぎても発表されなかった。異動を伝
えるのは本来、本部長の仕事だ。痺れを切らし
た本部長のすぐ下の部長が、人事異動発表のメ
ールを作って本部長に送った。

「このメールを部署内に転送してください」

 そのメールを見た本部長は「部長が代わりに
メールをみんなに送ってくれた」と勘違いし、
さらに数日放置。結局、本来の発表日から5日
以上経ってからようやくメールが回ってきた。

前出の女性社員は言う。

「バブル前後に採用された50代ぐらいの男性は
本当にお荷物。給与が高いのに、利益を生み出す
仕事をしない。働かないだけならまだしも、彼ら
が『働いているフリ』をするごとに私たちの仕事
が増えていくんです」

 

以上。

 

なんとも、やりようのない記事である。こんなに、
書かれては、50代の男性は、身の置き所がな
いではないか。

 50代男性社員の妻や子どもたち、両親も、肩身
の狭い思いをするのだろうな。

自分たちのことでなくて、ほっとしているが、こんな
に書かれては、辛いな~。

もっとも団塊の世代もいろいろと揶揄されて、イラッ
としたこともあるのだが。

それでも、このような取り上げ方でなくて、逃げ
ようもあった。

こんなに、書かれては、退職の送別会で、どんな
送別の言葉が語られるのだろう?

きたるXデー、辛いな。

 


脱線事故

2013-09-25 06:24:51 | 社会

ヤフーの記事である。

 

<JR北海道>レール異常新たに170
カ所 基準誤って検査

 JR北海道がレール幅の拡大など多数の

異常を放置していた問題で、JR北海道は
25日未明、新たに7路線で約170カ所
の異常があったと明らかにした。レール検
査の際、誤った基準を適用していたという。

同社は「異常放置ととられても仕方ない」
と釈明。これにより、「異常放置」は、これ
まで明らかになった97カ所を大きく上回
り、260カ所を超すことになった。

(毎日新聞)

 

以上。

 

最近、脱線事故があって、話題になり、いろ
いろと調査するうちに、異常放置の実態が露に
なった。


ここまで、酷いと、これまでの事故は、職務専
念義務違反の常態化になっているとしか言えな
い。

これまでの事故は、業務上過失で法的責任を問
われたのか、気になるところだ。

また、他のJRが、どうなっているかも気になる
ところだ。


問題は、これが、民営化のツケか、単なる現場
の職務怠慢か。労使の馴れ合いか。どうなんだ
ろう。興味深いものがある。

 


中国では、およそ3人に1人は「標準語」が通じないことが発覚

2013-09-12 22:19:43 | 社会

ヤフーの記事である。

中国では、およそ3人に1人は「標準語」が
通じないことが発覚

 中国メディア・新華網は10日、中国において
一般的に通用するとされる共通語「普通話」で
コミュニケーションが取れない中国国民の人口
が4億人を超えるとする同国政府の発表を報じ
た。

 記事は、同国教育部が先日、全人口の30%に
あたる4億人が「普通話」で交流することがで
きないうえ、コミュニケーション可能な話者で
もその大部分が「普通話」能力が低いとするデ
ータを発表したことを紹介した。また、特に農
村や辺境地域、少数民族地域において「普通話」
の普及が立ち遅れているとする見解を示したこ
とを伝えた。

 中国には北京語、上海語、広東語などに代表さ
れる方言が各地方に存在し、発音が大きく異なる
ため各方言間の意思疎通はほぼ不可能とされる。

また、同国内には55の少数民族が存在し、多く
の民族が独自の言語持っていた。各地域間、各
民族間における意思疎通をスムーズにするために、
1955年に政府が北京方言の発音体系と、白話文
の文法を組み合わせて作った共通語が「普通話」
だ。

 「普通話」の普及は中国の憲法にも規定され
るほどの国家的なプロジェクト。全国の学校で
その教育が行われているほか、1998年からは毎
年「普通話普及週間」を設けて普及に努めてい
る。ただ、現状では『「普通話」をマスターす
れば13億人と話ができる』というのは単なる理
想に過ぎないようだ。(編集担当:今関忠馬

 

以上。

興味深い記事である。

 

わたしは、テレビを観ていて、時折、感心する
ことがある。

テレビで、よく各地域の人々の発言が放映され
るが、日本全国どこの地域の人の話しでも、お
互いが理解できる。

時折、このことにいたく感心する。

 

わたしの集落は、本集落があって,その本集落から
離れて、寄留民が住んでいた。今では、都市化して、
かつての面影はなくなっている。

しかし、わたしの子どもの頃は、その本集落の
人と寄留民では、言葉が違っていた。

本集落は、百姓で、寄留民は都落ちした士族と
なっていた。


わたしの母親は寄留民の子孫で父親が本集落
の出身である

母は、戦争がなかったら、父親と結婚していな
かったと言っている。

ということで、言葉はまったく違っていた。

わたしの小・中学校は8つの集落の子供たちが
通学していたが、その集落ごと言葉が違ってい
た。

高等学校に進学すると、当時は三つの村が校区
となっていて、他の村は、離島を抱えていた。

だから、同じ共通語を喋っていても、地域訛り
のある生徒の話しは理解できなかった記憶があ
る。

後日、上京した時よりも、高校進学の時の方が、
広い世界に出た。という感想をもっていた。

ある意味で、言えば、合衆国のイメージがある。


あの時代から、40年以上たって、話し言葉に
ゆるやかな統一感が生まれてきた気がする。

今では、テレビもラジオも1億2千万の日本国
民が、一斉に試聴し、言葉の壁の意識しない生
活をしている。

わたしは、時々、テレビを観ながら、この事実
に驚く。

子どもの時の記憶からすれば、本当に信じられ
ないことだ。

これは余談だが、時折、思うことであるが、江戸
時代の各藩が文書で意思疎通できていたというこ
とである。

あんなに交通が不便であった時代に、日本全国支
配者においては、意思疎通が可能だったのだ。

そういう意味では、日本はアジアで異質な存在では
と思っている。

それは、さておき、中国であるが、統一した言葉
を持ち得ないということは、近代国家としての資
格要件に欠けるのではと、思ってしまったがどう
だろう。

なにしろ、国会が作れないではないか。

もちろん、日本が共通語を獲得するために、地方
の文化を圧殺してしまったきらいがあるが。

いずれにせよ、今の中国に、国家意志の確認が
できないではないか。

いろいろと、考えさせられる記事である。