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リタイアーのよもやま話

人が輝き続けられるのは

2012-06-15 20:57:40 | 人生

とある本にあった話しである。

その話しを抜粋してみた。

以下、その内容である。


人が輝き続けられるのは成長し続けている間だ。

最も強烈な輝きを発する瞬間は、何かを成し遂げる
直前なのだ。

何かを成し遂げようと決断した瞬間から輝き始め、
成し遂げる直前にその輝きはピークに達する。

つまり生涯輝き続けようと思ったら、常に何かを
成し遂げようとし続ける必要がある。

そのためには最初に設定したゴールは〝次なるゴール
ヘ向けたスタート〟になっていることだ。

ゴールとスタートは永遠に繰り返されるものであっ
て、どこかで終了ということはない。

生きている限り輝き続けたいのであれば、ゴールと
スタートの繰り返しを楽しむことだ。


ゴールとスタートを繰り返し続けるコツは、嫌いな
ことを我慢してやらないことだ。


本音で好きなことだからゴールとスタートを繰り
返していくことができる。

本音で好きなこととは、生涯かけてでも深堀して
知りたいと思うことだ。

継続できることが好きなことであり、継続できないこ
とは好きなことではない。

世間体に縛られて無理に好きになったふりをしている
人は、途中で必ず挫折する。

それは挫折が正しいのであって、無理に続けていると
途中で「ポキリ]と折れてしまう。

「本音で好きなことをする!」と決断することが継続
するコツなのだ。

「やめろ」と叱られても、隠れてついやってしまって
いることを思い出そう。

ついやってしまっていることだけで人生を埋め尽くし
た人が、継続できる人だ。

「そんなに好きなことばかりやっていてはいけません]
と最初のうちは批判されても、成果が出始めると周囲
の評価は一変するから面白い。

どんなことでも継続している人は、セクシーになって
人からもお金からももてるようになる。


あなたが好きなことは、
「つい」やってしまったこと。


以上。

非常に示唆されるものがある文章である。

この本の読者は、20代を前提としている。

このような本に出会っていたら、わたしの人生も少しは、
違うものになっていたのではと、20代でこの本を読んで
いる読者が羨ましい。

退職して、大方の人が、日々、所在投げに生きている。
余った人生をもてあましている?

はてさて、わたしたちが、輝くことができるのか?

著者は、言った。

「やめろ」と叱られても、隠れてついやってしまって
いることを思い出そう。

はてさて、何だったんだろう?

著者は、言った。

継続できることが好きなことであり、継続できないこ
とは好きなことではない。

さてさて、それって、何だったんだろう?

老いて、輝けるのだろうか?

 


サッカーの岡田武史氏が語った

2012-05-07 21:30:58 | 人生

とある本の中で、サッカーの岡田武史氏が語った
話だ。

以下、その文章である。

 選手個人にしてもチームにしても、調子が悪くなった
とき、過去のよかったときや黄金時代に単純に戻ろうと
いう発想だと、絶対うまくいかないですね。

元に戻るんじやなくて、もっと先へいくんだ、もっと高い
ところを目指すんだという気持ちでいかないと、後戻り
したままになってしまいます。

以上。

非常に含蓄のある話と、説得力を感じた。

この話は、サッカーのようなスポーツの話だけでなく、
人生でも、そうではと、思ったからである。

人生の途中でもそうであるし、わたしたちのような定年組
の人間にとっても、示唆するものがあるのではと感じられ
たからである。

ところで、余談である。

テレビで加藤茶と高橋ジョージとラサール石井が年の差結婚
について話していたのだが、興味深い内容があった。

それは、若い奥さんが、旦那の過去の栄光には、まったく興味
・関心がないということだった。

おそらくたいていの男性にとっては、過去の華やかな時代とは
捨てがたいものだ。

だから、何かと、過去のいい思いをした時代のことを反芻して
生きていくことが、多いかと思う。

しかし、年の差結婚をした女性にとっては、男性の過去の栄光
ではなく、今、目の前にいる男性とこれから何かができそうと
いうことで、それなりに、期待して、一緒になるのかなと、
感じ入った。

そういう意味で、過去の栄光に執着するのではなく、これから
何かができる。という、可能性を求めることが、人生肝要かと
感じ入ってしまった。

余談だったが、何かしら共通するものがあるのでは、独断を
した。


生涯未婚の男性、2割を突破

2012-05-02 22:33:52 | 人生


生涯未婚の男性、2割を突破…30年で8倍
読売新聞 5月1日(火)8時5分配信

 50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合である
生涯未婚率(2010年時点)は、男性20・1%、女性
10・6%と、初めて男性が2割台、女性が1割台に達した
ことが30日、わかった。

 政府が6月初めに閣議決定する2012年版「子ども・
子育て白書」に盛り込まれる。

 1980年時の生涯未婚率は、男性2・6%、女性4・5
%で、今回は30年前より男性が約8倍、女性が2倍以上に
増えた計算。男女共に90年頃から生涯未婚率が急上昇して
いる。

 年代別の未婚率を見ると、25~29歳では、男性71・
8%、女性60・3%だった。30~34歳は男性47・
3%、女性34・5%。35~39歳は男性35・6%、
女性23・1%。

以上。


この手の話になると、辛い。

なんせ、自分自身もこの数値に入っているのだから。

ところで、昨日の話であるが、テレビでは、団塊の世代
のリタイア生活が話題になっていた。

年40万円で、家付きの土地を借りて農業を楽しんでいる。

家を改装し、孫たちの来訪を楽しみにしたり、仲間を集め
て楽しむために使うそうだ

このような生活、仕事も子育ても、そして、夫婦仲も順調で、
十分な年金等も確保できているからできる話であるので
わたしたちの世代の勝ち組という人たちだろう。

すごく、羨ましくてしようがないのだが、残念ながら、後悔
先に立たずである。


さて、今日のテレビで放映されたニュースである。


35~44歳で親に依存300万人 「パラサイト中年」急増
(毎日新聞)

毎日新聞によると、35~44歳の6人に1人(約300万人)が、
未婚のまま親と同居している事が総務省統計研究所のまと
めで分かった。

90年代に指摘された当時20~30代の「パラサイト・シングル」
の多くが、中年世代になっても依存を続けているとみられる。


以上。

このような話は、前々からあった話で、わたしの元職場の
同僚でも、自分の子どもたちが、フリターになるのでは
いう人もいたが、自分の子どもが経済的に独立できる目処
が立たず暗澹たる思いで、退職生活を余儀なくされている
方々もいるかもしれぬ。

契約社員とかフリーターでは、仮に親が死んだとしても、
その財産を相続し難いそうだ。

なにしろ、固定資産税とか修繕費とか出て行くのだし、
親が若い時に建てた家だったら、リフォームが必要だ。

だから、親の家の相続もしようがない。

後日、想定もしなかった人生の展開に、慌てふためく
ことになるかもしれない。

テレビで、昔話が語られ、

一人では食べていけないが、二人だとやっていける。

とあった。

わたしも、そのようなことを聞いたことがあったが、
ネットで検索したら、ヒットしない。

もう死語になってしまったのだろうか。

実際問題は、コンピニはお一人様用の品揃えが増えた
とか、また、お一人様相手の商売が、増えたとか、
テレビで見たことがある。時代は、お一人様の隆盛だ。

一人では食べていけないので、二人で頑張ろう。なんて
風潮ではない。

現実問題、契約社員の身分では、生活のメドがたたない。

また、婚活では、収入が決めてになっている。
二人だったら、食べていける。なんて、話にはならない。

のが、今の世相だ。

ところで、

苫米地英人氏は、「宗教の秘密」で、

現代の欧米では、特に若い世代では、キリスト教は
本気で信じられていません。

現代の欧米人、さらに言うとその影響を受けている
世界中の人々は、別の宗教を新たに信仰しています。

  それが「お金教」です。「資本主義教」と言って
もいいですし「経済教」と言ってもいいでしょう。

2012年現在、もっとも強い「言語束縛」を行って
いる宗教は、お金教なのです。

と語った。

苫米地氏は、

実は、人は言葉の世界に縛られています。

私たちは言葉というフィルターを通して世界を見て
いるのに過ぎません。

言葉はあなたにとって何が重要かを決めている。

こうも言っているが、

おそらく、わたしは、「自己実現教」も最大級の宗教
の一つではないかと思っている。

おそらく、現代人は、「お金教」と「自己実現教」に
駆り立てられて生きていることかもしれぬ。

誰もが、自分自身のことで、精一杯だ。

だから、自分自身に拘り過ぎて、疲れ果ててしまって
いるかもしれない。


「歳をとる毎に1年が加速度的に早くなる」2つの理由と対策

2012-04-24 22:21:43 | 人生

ネットにあった記事である。

このテーマは、若いころから、何十年も興味を持って
いたテーマである。

いろいろな心理学者の説も、読んできたが、それが、
なかなか腑に落ちない。

 


「歳をとる毎に1年が加速度的に早くなる」2つの理由と
対策


2007年が終わったと思ったら、早くも1月の後半に
突入である。

 「年取ると1年が短くなる」なんてことを中年のおじ
さんが言っているのを、若い頃に聞いたことが何度か
あったが、気がつくと自分がその年になっているのである。

 あっという間に娘も社会人になり、結婚して私の孫が
出来、会社をリタイヤして、「リアルな大人のセカンド
ライフ」が始まってしまうのだろう。

 さて、なぜ年をとるに連れて1年が早くなるのだろう。 
一般に下の二つが言われいてる。

<年齢分母理論>

 10歳の1年: 1年/10年 = 10.0(%)

 40歳の1年: 1年/40年 =  2.5(%)

 つまり、10歳のときより20歳の時の1年の速度は2倍、
10歳のときより40歳の時は4倍の速さで進むことになる
のだ。

 この理論だと、どんなに充実した生活を送ろうが、どんな
努力をしようが、年が経つに連れて加速度的にはやくことに
なる。 

なんとも恐ろしい論理ではないか。


<アクティビティ量理論>

 年をとるに連れて、1年に起きた新しいチャレンジ、新しい
発見、新しく覚えたことが減っていき1年は短くなっていくと
いう考え方だ。

 プロ野球選手が20歳から29歳まで一つの球団にいて、
30歳でメジャーに行ったとすると、メジャーに行った最初
の1年間は20歳代の10年間にも相当する長さに感じる
わけだ。

 そういえば、私も以前の会社にいたときの30歳からの
6年間に比べ、Lotus社に転職して、何もかもが新しい世界
に入った37歳からの6年間の方があきらかに長かった。

 楽しく熱中していると時間が短く感じると言うが、それは、
その時間を過ごしている間の感覚である。 多くの新しい経験
をした時間は充実した長いものに感じるのだ。

 この考え方であれば、これからの10年間も工夫次第で充実
した時間を長く楽しめることになる。 希望が沸くではないか。

<自論=新しい出来事量÷年齢>

 私は、

 「1年間の新しい出来事量/年齢」

 ではないかと考えて生きている。

 先に書いたが、新しいチャレンジを何もせず、だらだらと
ぬるま湯の中ですごした中学3年間よりも、37歳でLotusに
転職した後の私服で出勤、外人当たり前、若く新しい企業風土、
柔軟な企画会議、3ヶ月毎の業績評価という新しい世界で過ご
した3年間の方があきらかに長く充実した期間であった。

 しかし、同程度の充実度であれば、年取った1年間の方が
数段時間が早く進むのも事実である。 

10歳の時に比べれば40歳では、4倍の新しいチャレンジを
行うことで同程度の時間をすごせるわけだ。


 さて、私も50歳が見えてきた、10歳代の時の5倍の新しい
チャレンジを行い、そのチャレンジを自分の大きな目標に絞り、
時間を2倍効率的に使う技術を身に付けて、これからの人生を
長く充実したものにしたいものだ。


以上。

 

今回、面白いと思ったのは、

<年齢分母理論>

 10歳の1年: 1年/10年 = 10.0(%)

 40歳の1年: 1年/40年 =  2.5(%)

この考え方である。

実は、わたしもこの考え方に似たことを思いついたことが
あった。

経験則なようなものとしてである。

今から、20年ほど前の話だ。

40歳を過ぎた頃なので、そのような経験則を思いつけた
のだろう。

この記事では、最終的に、前向きな説を選択したのだが
わたしは、全く逆な受け止め方だった。

極めて、悲観的な受け止め方である。

わたしは、確か次のように考えたと思う。これは、なにも
科学的でないし、実際には、わたし個人の感想である。
一種のモデルである。

10代の10年間:1年/1=10年
20代の10年間:1年/2=5年
30代の10年間:1年/3=3.3年
40代の10年間:1年/4=2.5年
50代の10年間:1年/5=2年
60代の10年間:1年/6=0.16年

だから、人生というのは、
10代の少年が、遠い未来の退職の時を考えると
60年あるのだが。

ふり返ると、22.96年で、約23年ということに
なろうか?

なんて、考えられたりして、ゾーッとしたものだ。

こんな思いつきを、若い者に、お節介にも、捲くし立て
たことがあったことを、今回、思い出してしまった。

以来、私自身も、かなり切羽詰まった生き方をして
きたようにも思える。

しかし、現実は、人生、瞬く間の間の話であったと、
思うのは、退職をした者にとっての共通の思いでは
なかろうか。

凡俗なわたしでありながら、そのようなこともあって
切羽詰まったというか、生き急ぎをしてきたつもりで
ある。

仕事人間として。

しかし、退職してみると、人生前半のことは、リセット
しなさいという提言の多くを聞くにつけ、
「酔生夢死」の人生となんら変わらない結果かという
気になったりせんこともない。

多くの高齢者の所在投げな様を見て、人生「胡蝶の夢」
かと、気落ちせんこともない。

しかし、わたしは、とある著者の考えに組したいと
考えている。

その本を探したのだが、どこにいったか探せない。

細かいことは、忘れたが、

60歳までの第一の人生は、退職後「一人で生きていく力」
を身につけるための修行である。

のような話であった。なんとか、その本を探し出して、正確
に確認したいのだが。

だから、わたしは、退職時に、現役後輩が、余った人生を
消化する第二の人生みたいな同情めいた雰囲気には、実感が
わかなかった。

わたしは、退職の挨拶の時に、小説は上下巻のうち、下巻に
山場があって、下巻の方が面白い。わたしの第二の人生は、
その小説の下巻のように、面白かれと思っている?。と。

なんて、挨拶したが、理解はできなかったかもしれない。

もっとも、退職して、数年は自分が、仕事をしていないと
いう現実に納得できず、苛立ちの毎日だったし、今でも
現役時代の内容の夢を見ているのだから。送別会で、挨拶した
通りには、そう簡単にうまくいかなかった。

やっと、そのような葛藤が納まるのに、5年あまりかかっ
てしまった。

今は、第二の人生こそ、本物の人生で、第一の人生は
その下準備と助走期間だと、考えることにした。

例えるのは、失礼だが、

日本地図を作った伊能忠敬やトロイの発掘をしたハインリッヒ・
シュリーマンのように、人生後半のために、人生前半がある。
 
なんてなったら、人生は最高ではないか。

もっとも、わたしは、童心にかえって、どれだけ「遊び呆け」て
楽しく過ごせるかで、やっていきたいが。

ちょっと、他言できることではない。反感や嫉妬が、実は
怖い。


堀田力氏は、言った。

子どもの頃、もっと遊ぶ時間が欲しかった。
勉強に追われて、進ぶ時間が足りなかった。仕事中は、土、
日も結構仕事に奪われた。したいことに取り組むエネルギー
も不足していた。

自分がしたいことを、ほかに考えるゆとりがなかった。

と。

まったく、堀田氏に同感して、びっくりしている。

高田渉氏は、こう本に書いた。


やりたくない事を日常的にやってると、
本当やりたいものが見えなくなっちゃう。

そのうちに、金をやりたい事に使う度胸も
なくなっちまうぜ。

と。

だから、この言葉に出会った時には、ショックだった。

なんとも、これまた、自分のこれまでの人生でも
あったような気がする。

しかし、凡俗な自分自身が、常に、過剰にストィックで、
背伸びしていなければ、ドロップアウトしてしまうボー
ダーライン上の人間だったのでは。

と言う自己評価もしているので、辛い現実である。

自分自身の人生をふり返ってみるに、結局、必要悪・
必要偽善で了解するしかないと、そして、これらの
ことの見返りとして、森村氏の言う「老後」を得る
ことができたのだと。

 

 

高田渉氏の本に、はげまされている。


本当は、選択した結果に、大きな意味はないのかも
しれない。

なにかを選んだにしても、結果の良し悪しは誰にも
わからない。

大事なことは、なにを選ぶのか、ではなく、選んだ
後、どう生きるか、だ。

物事を明るく受け止めて、ひたむきに頑張れる人は、
なにを選んだとしても、結局、「これを選んで
よかった」と笑うのだから。

 


すべては、今、ここにある。
今、何をするかで、過去の意味も変えていける。
今、何をするかで、未来も新しく創っていける。
すべては、今、ここにある。

 

「オレに出来るかな?」
なんて考える以前に、何がやりたいか。
出来そうなことかの中から探してるうちは、
きっと何も見つからないぜ。


夢は逃げない。
逃げるのは、いつも自分だ。


老いの矜持 潔く美しく生きる

2012-03-22 14:11:17 | 人生

老いの矜持 潔く美しく生きる

中野孝次 著

青春出版社

いくつか興味深い話があった。

 

26 諦念なしに幸福は得られぬ

 

 【 個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなけれ
ばならないということを、だれも理解しない。】
                        
 (『ゲーテ格言集』新潮文庫)

 およそ人類が生んだ最も多才な天才詩人といわれたゲーテ
にして、なおこの言葉がある。天才といえども諦念を学ぶこと
から出発したのだ。

 世の中にはよく何にでも手を出し、それもこれもそこそこに
うまくやりとげてみせる人がいるが、そういう人間で一流に達
した人をわたしは見たことがない。

器用貧乏というのは、結局生活に何もやりとげられぬディレッ
タントのことだ。

 一事に専念するとは、他のすべてを断念してこそ可能なので
ある。世界レベルのスキー選手になるためには、幼い時からスキ
ーにすべてを捧げた生き方をし、他は全部諦めて、その中で技と
体力を磨きつづけなければならない。マラソンだって、水泳だっ
て、野球だってそうだろう。


俳聖といわれる芭蕉もそうだった。『笈の小文』という文章の
中でこういうことを言っている。古文で読みにくいからわたしの
訳でいう。

  -披が俳諧というのを好んでから、もうずいぶんになる。

そしてついにこれを生涯の仕事としようと決意するに至った。
が、それでもあるときは倦いて、こんなものを捨ててしまおうと
思ったこともあった。

またあるときは同業の人々に勝って名誉を得ようとも思ったことも
あり、あれやこれやの欲望や思いが胸の中にこもごも湧いてきて、
少しの間も心が安らかであったことはない。

ときには世間に出て立身出世しようと願ったことさえあった。が、
結局は俳諧が好きでそれを離れることができず、今日までついに
無能無才の身のままこの一筋につながって生きて来たのであった。

 この最後のところが、

 「つひに無能無芸にして只此一筋に繋る。」
 という一行である。

 わたしは中年になって芭蕉のこの言葉を知ったとき、そのきびし
さに鞭打たれるような思いがしたものであった。そして以来この
言葉は、わたしの気持がよそに浮かれ出ようとするとき、わたしを
元に戻す働きをした。

 

 


  【しかし、あきらめにも、また、幸福の獲得において果たすべき
役割がある。その役割は努力が果たす役割に劣らず矢かすことの
できないものだ。】
                      
 (『ラッセル幸福論』岩波文庫)


 すべては自分を受け入れることから始まるとわたしが言うのは、
すべてを与えられて生れて来た人間なぞ存在するわけがないから
である。

誰にも必ず欠乏がある。かつて古代中国の皇帝は、権力も富も、
およそ人間の望みうるすべてを所有していたが、その皇帝でも
なお死を免れることはできなかった。

秦の始皇帝は、脅迫と莫大な報酬をもって四方に不老不死の薬を
求めさせたが、その旅の途中に死んだ。
 不老不死だけではない。才能、財産、名声、健康、収入、美貌、
その他何事にあれ、一人の人間に全部が与えられることはない。

そして人はいつか必ず自分に欠けているものに気づくものである。

だが、ないものはないのであって、どうあがいても得られない。
 そのときどうするか?

 与えられたままの自分を受け入れる必要が生じるのは、その
ときだ。

自分に与えられなかったものを、与えられないといって悔みつづ
けたのでは何事もできない。

与えられなかったものは断念せねばならぬ。

 もっと金持ちの家に生れてくればよかったのに、と貧乏な家に
生れた子は必ず思う。
が、いくらそう思ってもどうにもならぬと悟ったとき、貧しい家
に生れたという事実を受け入れる。すべてはそこから始まるのだ。
貧しいなら貧乏から這い上ろう。美人に生れつかなかったのなら、
この醜い自分を生かして美しくしてみせよう。これが人間の意志
の働きであり、そう決意したところから自分の人生が始まるので
ある。

  与えられたものだけに満足している人生は、自分の人生とは言え
ぬ。
 そして、自分に欠如しているもの、与えられなかったものに気づ
くとき、人は一方で必ず自分だけに与えられたものを発見する。

学校のできなかった子は、代りにおそろしく手の仕事にたけて
いるかもしれない。

数学の才能のない子は、代りに絵を描くことや、文章を作ること
に抜群の才能を見せるかもしれない。

そういう、自分の好きなこと、自分に恵まれた能力を発見する
とき、他のすべてを断念してもこの道一筋に生きようという決意
が生まれ、自分の人生が始まるのだ。

 

 

6 自分を受け入れる

  【人々は自分から脱け出し、人間から逃げたがる。ばかげた
ことだ。天使に身を変えようとして動物になる。高く舞い上が
るかわりにぶっ倒れる。(略)自分の存在を正しく享受すること
を知ることは、ほとんど神に近い絶対の完成である。】

 (モンテーニュ 『エセー』岩波文庫)

 世の中にはどうしても自分を受け入れられない人がいる。
自分をあるがままに認めることができないので、たえずぶつくさ
いう。

ーーどうして自分の脚はこんなに短いのだろう。なぜ自分は恰好
よい姿態を恵まれなかったのだろう。

ああ、こんな自分なんか、いやだ、いやだ。そんなふうに年中
自分に不平を言っている人間は案外に多いものだ。

 そういう人は、なんとかして自分以外の者に変身したい願望を
抱く親から恵まれた黒髪を染めて外国人のような髪にしてみる。
背の低さを苦にして十センチもある足駄のような靴をはく。

ばかげたことだが、そういうちょっとした外見の変貌によって、
自分から脱だしたような錯覚に酔う。

 こういう自己を受容できない人間は、どこまでいっても不満を
持ち、不平を言いつづけ、決して幸福になることができない。

そして自分の不幸の原因をつねに他人あるいは環境のせいにして、
責任が自分にあると認めない。こういう不平家はどうしようもない。

 自分を受け入れるということが、すべての始まりだ。

親が生んでくれたあるがままの自分をありかたく受け入れ、それを
出発点として、自分というものを精一杯に生かすこと。

自分にない才能を羨むことなく、自分に与えられた才能を十全に
生かし、繁らせること。それが人間の責任だ。この責任を果たさ
ぬ人はついに自分の人生を生かすことができない。

 
  わたしも、若い時分はなかなか自分をあるがままに全部受け
入れることができなかった。

自分はなぜこんな貧しい家に生れてきたんだろう、なぜもっと
恵まれた所に生れなかったんだろう、なぜこんな国に生れて
しまったのか、などと絶えず不平不満を抱き、ちがう自分を夢
みていた。

 だが、そんなふうにしているかぎり結局わたしは何一つする
ことができなかったのである。

自分を受け入れられぬ者に本当の自信は与えられない。そして
自らを信じない者には、社会でこれと認められるような価値ある
行為は決して出来ない。

だんだんにそういう事情がわかってきて、初めてわたしは、いか
に才乏しく、能が低くとも、このあるがままの自分を受け入れよ
う、ここから自分の人生を導きだそう、と覚悟を定めたのだった。

 そのことがしかし難しく、なかなか出来ないからこそ、モンテ
ーニュは『エセー』の最後で、

  ー自分の存在を正しく享受することを知ることは、ほとんど
神に近い絶対の完成である。

 と、最高級の言葉で讃えたのであろう。披はつづけてこう言って
いる。

 「われわれは自分の境遇を享受することを知らないために、他人
の境遇を求め、自分の内部の状態を知らないために、われわれの
外へ出ようとする。

だが、竹馬に乗っても何にもならない。なぜなら、竹馬に乗って
も所詮は自分の足で歩かねばならないし、世界でもっとも高い
玉座に昇っても、やはり自分の尻の上に坐っているからである。

 もっとも美しい生活とは、私の考えるところでは、普通の、人間
らしい模範に合った、秩序ある、しかし奇蹟も異常もない生活であ
る。」

 これこそ人をして自分の人生を生きることへと促し、力づけて
くれる言葉だ。

 自分自身になれ。これが昔から賢者や哲学者が生きる心得の第一
としてきたことだった。

自分から逃れだそうとばかりしている者は、よくよくこのことを
考えねばならぬ。


以上。

ここにあげてみた文章は、「ゲーテ」、「ラッセル」、
「モンテーニュ」、「芭蕉」の語ったことである。

歴史に残る彼らが、このような悩みを持っていたなんて、
不思議でならないが、興味深い。


それはそうと、年をとると、このようなことが、しみじみ
と分かるようになるのではと思った。

できれば、若いうちに、理解できれば、人生の寄り道も
少なくて済むはずだが、かといって、学校教育で教えるの
も苦しいものがある。

子どもたちの人生も、様々だ。下手にこの手の話をやり
出せば、子どもたちの心理的影響がどれほどのものに
なるか検討がつかない。

うまくいっている子どもは、順境すぎて、絶望してしま
う。
教師なんて、大方は、平々凡々の人生だ、この手の話を
すると、逆境にある子どもは、反発してしまう。

大事な話だが、下手をすると、一番聞いてほしい子ども
の人生に止めをさしてしまいかねない。

偉人の人生の知恵は、なかなか書いた人の意志にそぐ
わず伝わってほしい人に伝わらない。

でも、老いてなお、いまだ悩み続けている人にとって、第二
の人生如何にと、思わん人にとっては、何がしか示唆して
くれるものがあるのでは?


ところで、この本で、次のような箇所があって、なんとも
考えさせられてしまった。


30  幸福な生活

だれでもみんな、商売のため、職業のためだったら、大いに
努力する。ところが、ふつう自分の家に帰って幸せであるため
には何もしないのだ。

(アラン『幸福論』岩波文庫)

著者は、「アランのこの言葉は、どの国人よりも日本の男に
あてはまりそうだ。とくに今から10年以上前の、会社人間と
か、仕事人間と呼ばれる人種が大勢いたころの日本の勤め人
にぴったりだ!」

と言われたら、耳が痛くで、しようがない。

なんのことはない、自分のことでもあるし、自分の父親の
姿でもあるからだ。

全く、似通わぬ人生だったが、わたし自身が、結局、親父
に反発しながら、同じことを繰り返していたということ
だろう。

気づくのが、かなり遅すぎだのだが。

 

ここまで

とはいうものの、老いてはじめて、親の人生も考えられる
ようになったのは、悪くはない。

結局、今で言えば、両親とも、欠損家庭の一人っ子同然
だったから、自暴自棄になって、人生を放り出すことが
なかったのは、評価すべきではと。

このアランの言葉を知る前に、だいぶ前にビジネス本に
あったことで、表現は違うが似通った話に出会った。

それは、時間に関する話である。

時間には、二つある。

一つは、ビジネスの時間、二つめは、家庭の時間それは、
異質であり、使い分けなければならない。

詳しい言葉づかいは、忘れたが、大体このようなもの
だったと思う。

この文章に、接した時に、とても、ショックを覚えた。

ビジネスの時間は、効率優先、合理的、効果的、を
優先する時間で、家庭の時間は、それとは、真逆の
質を持つ時間だというのである。

わたしは、この本で言われるまで、時間というのを
このように考えたことがないので、びっくりした。

思えば、そのような切り換えがいかない家庭で、いろ
いろな不幸が起こるのだろう。

よく聞いたのだが、教師や警察官の家庭で、問題が
起こる。

そういう意味では、最近、はやりの「育メン」というの
は、多いに大事にされるべきかも知れない。

もっとも、このような家庭も、あと何十年も経って、
子どもが成人にしてみなければ、客観的な評価はでき
ないだろうとも思うのだが。

いずれにせよ、わたしたちの世代は、

「末は、博士か大臣か」「一家の大黒柱」とか、

唱歌「ふるさと」の

志を 果たして いつの日にか 帰らん
山はあおきふるさと  水は清き  ふるさと

唱歌「仰げば尊し」の

  互いに睦し  日ごろの恩
   別るる後にも、やよ 忘るな
   身を立て 名をあげ  やよ 励めよ
   今こそ  別れめ  いざさらば

で、育った。

なにしろ、

男は閾を跨げば七人の敵あり(おとこはしきいを
またげばしちにんのてきあり・かたきあり)で、
育ったのだ。

心の底のどこかで、このような価値観が巣くった
まま、高度経済成長時代、内需優先から外需優先の
時代、そしてバブル時代、失われた10年を経て
きたのだ。

すべてが、アナログの時代から、デジタルの時代に
質的に切り替わっていった。

そう、ある意味で、「シュトルム・ウント・ドランク」
(疾風怒濤時代)だったと思う。

だから、アランに揶揄されるような、輩が大勢排出して
しまったのではと、弁解じみたことを考える。

最近、年金で高齢者の取りすぎと、ニュースになって、
肩身の狭い思いをしているが、このような歪な努力と
人生の末に、勝ち取ったものであることは、忘れては
困ると、自己弁護してみたい。

第一の人生は、終了した。大きな代償も払って、たどり
着いたような気がする。

第二の人生で、それを取り返してみたいものだ。