9時ー5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に
住み、ニューリッチになろう。
「週4時間」だけ働く。
ティシモー・フェリス著
田中じゅん訳
青志社
で、ティシモー・フェリスは、こう言っている。
以下、抜粋。
「関心」や「活力」は景気のごとく循環する
1日に24時間働いて、15年間続けたら退職する
という条件で1000万ドル〔約8億3000万円〕
支払うと言われたら、その仕事を引き受けるだろうか?
もちろん無理だ。
できるわけがない。
続けるのは不可能だ。
それと同じように、大抵の人が定義する「キャリア」
とやらも続くわけがない。
休を壊すまで、もしくは、もう永遠に働かずに済む
くらいのお金を稼ぐまで、1日8時間以上同じ仕事
をし続けるなんてことは無理なんだ。
そうでなければ、どうして仏の30代の友だちはみんな
ドナルド・トランプやジョアン・リバしスを混ぜた
ように老けて見えるんだ。
ゾッとする。
フラペチーノをがぶ飲みしながら、信じられない
仕事量をこなして燃え尽きてしまった若年寄り
たちではないか。
生きるためには活動と休息の期間が交互に必要だ。
もちろん成功するためにもだ。
能力、関心、精神的忍耐はすべて月の満ち欠けの
ように強くなったり弱くなったりする。
プランはこれに従って立てる。
ニューリッチは自分の人生のところどころに「ミニ
リタイアメント」をはさもうとする。
ほかの連中は、退職後にやってくる「黄全期」の
ために回復と癒しの時間を取っておこうとする。
もっとも成果が上がるときだけ働いていれば、人生
はより生産的に、より楽しくなるのだ。
生産性も楽しみも一度に手に入れられるという
ことだ。
私はというと、今2か月の仕事の合間に1か月の海外
保養と集中トレーニング(タンゴ、格闘技など何も
ありだ)を計画している。
以上。
現役時代、この著者には悪いが、とんでもない
ことを考えたものだ。
それは、こうである。
24時間営業、年中無休で、10年くらいぶっ続けで、
何か集中して取り組めば、凡愚のわたしでも、何かしら
もっともらしいことができるようになるのではないか?
である。
もちろん、これは、かなり文学的表現だ。
心意気をくんでもらいたい。
何かしたら、まともなことができるようになりたかっ
たのである。
彼はこう言っている。
生きるためには活動と休息の期間が交互に必要だ。
もちろん成功するためにもだ。
能力、関心、精神的忍耐はすべて月の満ち欠けの
ように強くなったり弱くなったりする。
プランはこれに従って立てる。
私はというと、今2か月の仕事の合間に1か月の海外
保養と集中トレーニング(タンゴ、格闘技など何も
ありだ)を計画している。
以上。
どうして、このような生き方ができるのだろうか。
羨ましい気もするが、残念ながら、わたしには
不可能だ。
2か月の集中では、何かしらの業を身につける
自信はない。
少なくとも、3年ほどは、集中しないと、できな
いと思っているからである。
一週間も、頭をほったらかしにしていたら、これ
をもとのリズムに戻すのに、ものすごいエネルギー
を必要とする。
彼は、ニューリッチを提唱している。
このような生き方をするものらしい。
残念だが、ついていけない。
自分がやってきた仕事でこのようなことは、
現実問題として、不可能だった。
しかし、このようなある種の貴族的労働者が
闊歩する時代がくるようだ。
労働者の真の格差社会の到来だ。
それは、そうとして。
退職したんだ。
彼の言わんとしている。
「生きるためには活動と休息の期間が交互に必要だ。
もちろん成功するためにもだ。
能力、関心、精神的忍耐はすべて月の満ち欠けの
ように強くなったり弱くなったりする。
プランはこれに従って立てる。」
このような考え方、大いに、参考にしたいものだ。
このような贅沢な考え方が、今だからこそ試すことが
できる。
現役時代には、とうていできない話だ。