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リタイアーのよもやま話

至福の時間

2011-06-16 10:08:26 | 生活

梅雨があけた。

昼間は、太陽が100万個もあるのではと
思われるくらい強烈な日差し。

地上は、光に満ちあふれ、地平線や水平線にいる
人の顔でも、見えそうなくらいだ。

木陰や建物の影に入ったつもりでも、乱反射の
陽光、雲に跳ね返った光で、ブロイラーに
されてしまいそうだ。

とは言うもの、朝、東の空が白くなり、太陽が
あがってくるまでの時間帯

冷やかで、途切れることなく吹き寄せる涼しげな
朝風の心地よさよ。

頭を洗い、シャワーでも浴びて、就寝中の寝汗を
洗い落として、この風に、身を委ねれば、それこそ
気持ちは、天にも昇る極楽の思い。

年に一度、この時期に突然現れる至福の時間が
やってきた。

一年の楽しみは、ここにぞある。


恋人を好きな理由が「わかる」と危険!?

2011-05-11 11:50:59 | 生活

ヤフーで、うろうろしていたら、興味深いのが、
出てきた。


以下、その記事。


恋人を好きな理由が「わかる」と危険!?


魅力が欠点に変わる「フェイタル・アトラクション」


昔から「美人は3日で飽きる」ともいわれるように、美男美女
でも安心してはダメ。魅力は常に欠点の裏返しとなることを心
得ておこう

「僕(私)のどこが好き?」――なんだか甘酸っぱい問いかけ
だが、カップルにとってはわりとありがちな質問だろう。

そこで、「真面目なところ」とか「ルックスが好み!」など、
具体的な回答をくれる人もいるだろうが、「わからない」
「ぜんぶ!」などと答えを濁す人だって少なくないはず。

相手のどこに惚れたのかがハッキリしないなんて、先行きが
心配になってしまうが…。

「いえ、そうともかぎりませんよ。心理学ではむしろ、相手の
“ここが好き!”というのが明確なカップルほど危険とのデータ
があるんです。

これはフェイタル・アトラクションと呼ばれる現象で、恋愛の
初期段階で感じる長所は、後に欠点に変わりやすい傾向がある
ためです」

そう語るのは、これまでに多くの恋愛指南系の著書を上梓して
きた内藤誼人先生だ。

ちなみにフェイタルとは「致命的な」の意で、アトラクションは
「魅力」。

つまり、人がパートナーに対して最も魅力を感じる部分は、その
まま恋愛関係における致命傷になり得るというのだ。

「実際にそれを裏付けるデータもあります。米カルフォルニア
大学の心理学者、ダイアン・フェルムリー氏が行った実験で、
恋人のいる301名の学生を対象に、相手の魅力的な部分をヒアリ
ングしました。

数カ月後、その中からすでに恋人と破局してしまった人を対象に、
別れた理由を尋ねたところ、その多くは相手の魅力の裏返しとも
取れる回答が得られたんです」

データによると、「一緒にいて楽しい」ことを魅力に挙げていた人が、
「いい加減でつまらない」という理由で別れたケースが22.8%で最多。

次いで、「頭がいい」が「教養のひけらかしが鼻につく」(17.1%)、
「ドキドキできる」が「安心できない」(10.1%)と解釈を変え、
それぞれ破局の理由になったという。

「ひとつの強烈な魅力というのは、両刃の剣なんです。

すごく好きだけど理由をひとつに絞れないというカップルの方が、
トータルで判断されているぶん、安泰といえるかもしれません」

恋愛感情に理屈なんていらない…といえば気取りすぎかもしれない
けど、あながち間違いではないのだ。

 


昔から「美人は3日で飽きる」ともいわれるように、美男美女でも
安心してはダメ。

魅力は常に欠点の裏返しとなることを心得ておこう。


以上。


この話に、若干似通う内容のことが書いてあった本を
読んだ。

子どもが欲しいために結婚したら子どもが原因で、
お金が欲しいために結婚したらお金が原因で離婚する
ことになる。

結婚は妥協するな。

〇〇さえあれば幸せになれると思っていると、〇〇
が手に入っても幸せにはなれない。

以上。

そうなると、どういうきっかけで、結婚するのかと
いうことになり、いよいよ、どうしたら、結婚できる
のかということになるのだが。


「なぜ、この人たちは金持ちになったのか」
トマス・J・スタンリー=著 広瀬順引=訳
日経ビジネス文庫

にあった内容では。


億万長者の結婚生活の成功を支える配偶者の資質
上位5位

1 正直
2 責任感がある
3 情愛豊か
4 有能
5 協力的

夫婦とも、同じような考え方のようである。


億万長者が配偶者となる人の資質の中で最初に
惹かれた点

上位5位

配偶者の資質

1 知性的
2 誠実
3 明朗
4 信頼できる
5 情愛豊か

以上。

となっているが、そのような相手を見つけることも
そう簡単ではないし、何よりも、自分自身がその
ようにあることも簡単ではない。

かけがえなのない人と出会うのも、パレートの法則が
働くのかな?

となると、幸せな結婚も選ばれし者たちにしか、実現
しないのかな?

どうなんだろう。

 


「死なない家」に住んでみた

2011-04-27 07:10:24 | 生活

とある本の特集にあった話である。


「死なない家」に住んでみた

山岡信貴(映画監督)


2006年の秋、僕と妻は三歳の息子を連れて、ある共同
住宅の見学会に興味本位で出かけた。

それが荒川修作とパートナーのマドリン・ギンズによる
「三鷹天命反転住宅」との出会いだった。

足を踏み入れた瞬間「うわあっ」と声を上げてしまった。

「うわあっ」としか言いようのない体験だった。

うっかり宇宙人の家に迷い込んでしまったような感覚。

その空間は、僕たちの知らない理屈でつくられていた。

部屋の内部は強烈な色で塗られている。
球形の部屋がある。

個室同士を隔てる扉や襖はなく、トイレにもドアはない。
斜めになった床がある。
かと思えば、玉砂利が敷かれていたり、小さな砂丘のよう
に凹凸のある三和土があったり。

息子はすっかり気に入ったようで、なかなか帰りたがら
なかった。

帰ってから妻に「どうだった? 住みたい?」と訊くと
「うん」と即答。

結局、家族三人一目惚れでこの共同住宅の一室に引っ越す
ことを訣めた。

しばらくは、遊園地に住んでいるような物珍しさと高揚感
のほうがまさっていた。

この家は「人間は死ぬ」=「天命」を覆すという意味で、
「天命反転」と名づけられているが、それは芸術家の作品
コンセプト、あるいは詩なのだろうとしか考えていなかった。

荒川修作という人の作品は、初期の絵画に始まり建築に至
るすべてが[常識ではそう言われているが本当にそうなのか?」
と疑問を抱くところから出発している。

彼の言葉や作品は、そんなにたやすく「常識」に着地するな、
とつねに僕たちに足払いを食わせる。

天命反転住宅という「死なない家」も、「人間は死ぬ」という
天命に疑問を投げかけ、つくられたものだ。

半年くらい経って、僕は自分の身体の変化に気づいた。

たとえば、年来苦しめられていた花粉症の症状が、引っ越
した翌春から一度も出ていない。

知らず識らずに身体の動かし方が変わったせいではないかと
思う。

荒川さんはつねづね、「名前もないような小さな筋肉を使って
いれば、免疫力が上がる」と言っていた。

たしかにこの部屋は、普段は滅多に使わないような筋肉を
使わざるを得ないように設計されているのだ。

調理中に換気扇を回そうと思ったら、いったんキッチン
スペースから出て小さな階段を上がり、玄関スペースまで
歩いていかないと、スイッチに手が届かない。

部屋の照明を点けるには、不自然な姿勢をとって、床から十
センチほどの低い位置についたスイッチに手を伸ばさなけれ
ばならない。

普通に生活するだけで、いつの間にかちょっとした運動や
ストレッチをしていることになる。

妻は、ここに越してきてから下の子を妊娠した。
洗面台の前の床が右から左に傾斜しているので、大きな
お腹で顔を洗うのが大変だとこぼしていた。

しかも家の中に段差が多いから、妊婦には苛酷な環境だ。

にもかかわらず無事臨月を迎え、陣痛が始まったため、
あらかじめ頼んであった助産師さんに来てもらった。
上の子を産んだときは陣痛が始まってから五時間かかった
ので、今度ものんきに構えていたら、助産師さんが
「もう生まれますよ」と血相を変えている。

まだ一時間しか経っていないのにと訝しんだが、間もなく
まさにつるんという感じの超安産で、二人目の子が生まれ
たのだった。

安産のためには妊娠中に身体を動かしたほうがいいと
言われるが、うちの妻にとってはここでの生活が
よかったのではないかと思っている。

ちなみに、下の子は歩けるようになった最初から、こぼこの
三和土の上で暮らし、生後1年あまりで足の裏に土踏まずが
できた。

 暮らし始めた当初は、「普通でない」電気のスイッチの
位置や、斜めの床で足が滑らないよう踏ん張らなければ
ならないことが、不便に感じられた。

だが、それもほんの一瞬。不思議なことに、すぐにそれが
楽しくなってくる。

むしろ「これが不便というなら、便利って何だろう?
快適と言われていることは本当に快適なの?」といった
疑問が湧いてきた。

また、小さな子どもがいれば、転ばないか、段差から
落ちないかとつねに緊張感を強いられるもする。
ぽーっとしながら、いつも子どもの気配に注意して
いる。

それは、厄介なことかもしれないのだが、日常に
とけ込んでしまえばさほど気にならなくなる。
むしろ人間の精神にはそういう「刺激」必要
なんじゃないかとまで思えてくる。

リモコン一つですべての電源をコントロール
できることが、本当に便利で快適な生活なのか。
バリアフリーな床、木目に統一された「ナチュ
ラル」な調度は、住まう人の健康や生きる喜び
に本当に結びついているのか。

この家で暮らしてしまった以上、僕は「否」と
しか答えられない。

4年間住むだけで、身体との関わりが深まって、
バランスが整い健康になった。もっと住み続け
ればもっと変わると確信する。

そして、こんな家で生まれ育った子どもたちが
未来をつくっていくとしたら、ひょっとしたら……。


以上。


大変、珍しく不思議な話なので、紹介したくなった。


荒川修作という人の作品は、初期の絵画に始まり建築に至
るすべてが[常識ではそう言われているが本当にそうなのか?」
と疑問を抱くところから出発している。

ということなのだが、これが、絵画や詩とか、実利に関係ない
話ではなく、住宅いうことで、個人の資産にかかるテーマなので
この主張の「凄さ」に、驚愕している。

こんなことを言って、実践できる人がいるのだ。
なんとも、凄い人がいるものだ。である。

 


年をとったものの御利益かもしれない?

2011-04-15 06:49:54 | 生活

旅の先々で、いろいろな人や出来事等とのかけがえ
のない出会いを繰り返して、旅が続けられるように、
人生という旅の最中、誰もが、移ろい変わりゆく日々に
時折、気に入った楽曲が、しばしの旅の道ずれに
なるものとして現れ、かけがえのない時間を作っ
ては、立ち去っていっているような気がします。

その時々、夢中になって聴いたはずの曲も、たいてい
の曲が入れ代わり立ち代わりであったことに、今に
なって気づいては、不思議な気分になります。

出会った日々が遠のき、忘却の彼方に消え去ったか
のように思えた曲が、時折、自分の日常に立ち返って
来ては、しばし、饒舌にも語りかけ、至福の時間と
なるのは、なんとも心地よく思われてなりません。

この至福の時間が時折、訪れるのは、凡愚の人生で
あったものの、年をとったものの御利益かもしれない?

わたしが送ったメールに対して、貴女は、メールを送り
返してくれたのだが、あのような文章で、わたしの
「あの時間」が受け止められているのかと、少しばかり、
戸惑ってしまった。

貴女の言葉で、表現すると、とうていわたしの脳裏には、
浮かびくることが不可能な、こんな難しい表現になるのか
ということに、実は、若干びっくりしている。

わたしたちの世代は、ある意味で、ストイックな方だった
のかもしれない。

かつての若者が、全てそうだったとは言えないはずだが、
多く世間を騒がした若者に、左翼を標榜するのが多かった
が、でなければ、実存主義に傾倒する者もいたように思う。

この若者の中には、時に、ジャズ喫茶で、コルトレーン等に
神妙に聞きいっていたような気がする。

貴女が、語ってくれた「言い回し」と「Summer Timeとか
Georgia On My Mind は好きです。」という言葉に、ジャズ
喫茶で、コルトレーンに親しみ、実存主義て傾倒していた
若者たちの「気配」が漂うのは、不思議でならないし、
それが、貴女であり、今日のことであることも、これまた、
不思議な気分である。

もっとも、昔、貴女が、女性のジャズボーカリストの
テープを聴いていて、びっくりしたのだが、そのこと
からすれば、さして不思議でないなと思われたりも
するのだが、それにしても、わたしのメールに、思い
がけない文章で返ってきたのに、驚きを感じてしまった。

 

 


怠惰を新たに定義し直そう

2011-03-15 23:29:42 | 生活

9時ー5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に
住み、ニューリッチになろう。

「週4時間」だけ働く。

ティシモー・フェリス著
田中じゅん訳

青志社

で、ティシモー・フェリスは、こう言っている。


以下、抜粋。

 

仕事を少なくしてもそれは「怠け」ではない

意味のない仕事は少なくしよう。

それは決して怠けることではない。

そうすればもっと自分自身の重要なことに集中
できるからだ。

これはほとんどの人に受け入れられない考え方だろう。

なぜなら、我々の仕事文化では、個々の生産力に
対してではなく、個人の献身的な犠牲に対して
報酬を支払うからだ。



では、怠惰を新たに定義し直そう。

「怠惰」とは、理想とはほど遠い現状に耐え、成り行きや
他人に自分の人生を決めさせること。

あるいは、オフィスの窓から傍観者のように時が過ぎ行く
のを見ながら、小金を貯め込むこと。

銀行口座にいくらお金があろうと、こうした状態が変わる
わけではないのだ。

忙しくなろうとするのではなく、生産性を高めることに
フォーカスしよう。

以上。

 

「怠惰」について、目の醒めるような「新たな定義」
である。


「我々の仕事文化では、個々の生産力に対してではなく、
個人の献身的な犠牲に対して報酬を支払う。」

意味深長な発言だが、あながち、的を外しているわけで
はない。

いずれせよ。

「怠惰」とは、理想とはほど遠い現状に耐え、成り行きや
他人に自分の人生を決めさせること。

あるいは、オフィスの窓から傍観者のように時が過ぎ行く
のを見ながら、小金を貯め込むこと。

なんていう話、身につまされるものがある。

おおいに、自省すべし。