とある本の特集にあった話である。
「死なない家」に住んでみた
山岡信貴(映画監督)
2006年の秋、僕と妻は三歳の息子を連れて、ある共同
住宅の見学会に興味本位で出かけた。
それが荒川修作とパートナーのマドリン・ギンズによる
「三鷹天命反転住宅」との出会いだった。
足を踏み入れた瞬間「うわあっ」と声を上げてしまった。
「うわあっ」としか言いようのない体験だった。
うっかり宇宙人の家に迷い込んでしまったような感覚。
その空間は、僕たちの知らない理屈でつくられていた。
部屋の内部は強烈な色で塗られている。
球形の部屋がある。
個室同士を隔てる扉や襖はなく、トイレにもドアはない。
斜めになった床がある。
かと思えば、玉砂利が敷かれていたり、小さな砂丘のよう
に凹凸のある三和土があったり。
息子はすっかり気に入ったようで、なかなか帰りたがら
なかった。
帰ってから妻に「どうだった? 住みたい?」と訊くと
「うん」と即答。
結局、家族三人一目惚れでこの共同住宅の一室に引っ越す
ことを訣めた。
しばらくは、遊園地に住んでいるような物珍しさと高揚感
のほうがまさっていた。
この家は「人間は死ぬ」=「天命」を覆すという意味で、
「天命反転」と名づけられているが、それは芸術家の作品
コンセプト、あるいは詩なのだろうとしか考えていなかった。
荒川修作という人の作品は、初期の絵画に始まり建築に至
るすべてが[常識ではそう言われているが本当にそうなのか?」
と疑問を抱くところから出発している。
彼の言葉や作品は、そんなにたやすく「常識」に着地するな、
とつねに僕たちに足払いを食わせる。
天命反転住宅という「死なない家」も、「人間は死ぬ」という
天命に疑問を投げかけ、つくられたものだ。
半年くらい経って、僕は自分の身体の変化に気づいた。
たとえば、年来苦しめられていた花粉症の症状が、引っ越
した翌春から一度も出ていない。
知らず識らずに身体の動かし方が変わったせいではないかと
思う。
荒川さんはつねづね、「名前もないような小さな筋肉を使って
いれば、免疫力が上がる」と言っていた。
たしかにこの部屋は、普段は滅多に使わないような筋肉を
使わざるを得ないように設計されているのだ。
調理中に換気扇を回そうと思ったら、いったんキッチン
スペースから出て小さな階段を上がり、玄関スペースまで
歩いていかないと、スイッチに手が届かない。
部屋の照明を点けるには、不自然な姿勢をとって、床から十
センチほどの低い位置についたスイッチに手を伸ばさなけれ
ばならない。
普通に生活するだけで、いつの間にかちょっとした運動や
ストレッチをしていることになる。
妻は、ここに越してきてから下の子を妊娠した。
洗面台の前の床が右から左に傾斜しているので、大きな
お腹で顔を洗うのが大変だとこぼしていた。
しかも家の中に段差が多いから、妊婦には苛酷な環境だ。
にもかかわらず無事臨月を迎え、陣痛が始まったため、
あらかじめ頼んであった助産師さんに来てもらった。
上の子を産んだときは陣痛が始まってから五時間かかった
ので、今度ものんきに構えていたら、助産師さんが
「もう生まれますよ」と血相を変えている。
まだ一時間しか経っていないのにと訝しんだが、間もなく
まさにつるんという感じの超安産で、二人目の子が生まれ
たのだった。
安産のためには妊娠中に身体を動かしたほうがいいと
言われるが、うちの妻にとってはここでの生活が
よかったのではないかと思っている。
ちなみに、下の子は歩けるようになった最初から、こぼこの
三和土の上で暮らし、生後1年あまりで足の裏に土踏まずが
できた。
暮らし始めた当初は、「普通でない」電気のスイッチの
位置や、斜めの床で足が滑らないよう踏ん張らなければ
ならないことが、不便に感じられた。
だが、それもほんの一瞬。不思議なことに、すぐにそれが
楽しくなってくる。
むしろ「これが不便というなら、便利って何だろう?
快適と言われていることは本当に快適なの?」といった
疑問が湧いてきた。
また、小さな子どもがいれば、転ばないか、段差から
落ちないかとつねに緊張感を強いられるもする。
ぽーっとしながら、いつも子どもの気配に注意して
いる。
それは、厄介なことかもしれないのだが、日常に
とけ込んでしまえばさほど気にならなくなる。
むしろ人間の精神にはそういう「刺激」必要
なんじゃないかとまで思えてくる。
リモコン一つですべての電源をコントロール
できることが、本当に便利で快適な生活なのか。
バリアフリーな床、木目に統一された「ナチュ
ラル」な調度は、住まう人の健康や生きる喜び
に本当に結びついているのか。
この家で暮らしてしまった以上、僕は「否」と
しか答えられない。
4年間住むだけで、身体との関わりが深まって、
バランスが整い健康になった。もっと住み続け
ればもっと変わると確信する。
そして、こんな家で生まれ育った子どもたちが
未来をつくっていくとしたら、ひょっとしたら……。
以上。
大変、珍しく不思議な話なので、紹介したくなった。
荒川修作という人の作品は、初期の絵画に始まり建築に至
るすべてが[常識ではそう言われているが本当にそうなのか?」
と疑問を抱くところから出発している。
ということなのだが、これが、絵画や詩とか、実利に関係ない
話ではなく、住宅いうことで、個人の資産にかかるテーマなので
この主張の「凄さ」に、驚愕している。
こんなことを言って、実践できる人がいるのだ。
なんとも、凄い人がいるものだ。である。