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リタイアーのよもやま話

ムダな贅沢と意味のある贅沢

2012-11-22 11:41:02 | 生活

岡野雅行氏の著書に、興味深いことが書いてあった。

以下、抜粋してある。


  ムダな贅沢と意味のある贅沢

 結局、ムダな贅沢なんてしたって、楽しくないんだ。
それならば、意味のある贅沢をするほうがいいとは思わ
ないか。

 俺の場合は、超一流のものに触れるという贅沢を楽しん
でいる。

 たとえば、あるブランド品が超一流として世間に知られ
ているなら、そこには何かきっと技術的な秘密があるはず
だという探究心が、技術屋の俺としては頭をもたげてくる
んだね。

 世間をうならせ、納得させるものである以上、それをつ
くった職人なり企業なりが相当の力を注いだ結果がその評
価だと思うんだ。

 わかりやすい例でいうと、背広にしても超一流と呼ばれ
かなりの高額であるものなら、吊しの既製品とはどこかが
違うはずなんだ。

使っている生地が違うとか、ボタンが宝石だというんじゃなく
て、縫製なり、型取りなり、そこには職人のすごい技術が込め
られているんだ。

 それを知るには、見たり、手に取るだけではダメなんだ。
実際につくってもらって、自分で着てみて、初めて実感できる。

 それを知るためには、贅沢だけどそういう背広を実際に買わ
ないとわからない。

 ただ贅沢するんじゃないよ。そういった超一流は耐久性におい
ても、そこらの安物とは違う。

長持ちするから一石二鳥だよ。結果的には得だったりする。

 モノと違ってサービスだってそうだよ。実際に金を払って経験
してみないと、そのサービスの良さ、行き届いてる部分はわから
ない。

パンフレットを見ても、どこがすごいのかわからないことが多い。
けれどもその文字にできない細やかさを提供してくれるのが、超
一流なんだ。

パンフレットにあるということは、マニュアル化されていると
いうことだから、その程度のサービスでしかない。

 むしろ人間相手のサービスなんて、どんなことが要求される
かわからない。

それをいとも筒単にこなしてしまうのが超一流と呼ばれるサー
ビスなんだ。

 マニュアル化された瞬間に、その技術は標準になってしまう。

 俺だってそうだよ。こんなものがつくれますってパンフレット
にのせた瞬間に、実は興味を失ってしまう。

パンフレットに書けないようなものを、挑戦してつくってしま
うのがおもしろいし、それが俺でなきゃできない技術なんだよ。

 そういった超一流のものに実際に金を払って経験しないと、
自分も超一流にはなれない。

サラリーマンだってそうだよ。二流の世界にどっぷりつかって
いると、いつまでたっても人間が上のクラスに上がっていかな
い。

奢りだからと立ち飲みにしか連れて行かない上司と飲んでいる
のもいいが、成功を目指すなら、奮発して一つ上の世界を経験
したほうが間違いなくその後の役に立つ。

 相撲でも他の競技でも、弱い相手といくら練習したって強く
ならない。

歯が立たないような相手に胸を借りて初めて、こちらの技術
も上がっていくんだよ。

 身銭切って、超一流のものに触れてこそ、自分も超一流の
階段を上がっていけるんだ。

 ただし気をつけることが一つある。何にも考えずに高級品を
買っても、それは成金趣味で、単なるバカだよ。

これ見よがしに高級品を身に着けているだけで、イヤな野郎と
思われるだけだよ。

自分の財布から身の丈以上の高い金を払うんだ。これは自分を
ブラッシユアップするための授業料なんだよ。

だから払った金以上のものをちゃんと学ばないと、金をドブに
捨てるようなもんだ。

 そこのところちゃんとわかったうえで贅沢しないといけない
よ。

 


安物を買って心まで安物になってはいけない

 

 新聞やニュースを見ていると、デフレだデフレだと騒いで
いるね。

 生産技術が進んだり、流通の方法が変わったりして、いろ
いろとコストカットができてきたおかけで、製品の値段が下
がっていっているんだ。

それは悪いことだとは言わないよ。

しかし本当はそれも考えもんだよ。

 安くなった代わりに失ったものがいっぱいあるはずなんだ。

 消費者もそんな安売りになれてしまって、良いものを知らず
に育ってきている。

 お茶を飲むには100円ショップの湯呑みで十分だ、茶碗も
すぐに割れるから100円のもので十分だ、という考えもわから
ないこともないが、それが自分の基準になってしまったら、世間
に出てから苦労するよ。

 何よりも、心が安物になっちまうんだな、毎日の生活すべて
が安物ですまされていると。

 米の美昧さや、食事のありがたみってものが、安物の茶碗
食べてるとわからない。

  食後のお茶も、ちゃんとした湯呑みで楽しまないと、気持ち
もホッとしないよ。心がしだいにささくれていくんだ。

 安物買いの銭失いとよく言うけど、その通りで、ホンモノを
買わなきやいけない。

 その一方でで女の子なんかが、よくヴィトンだの、やれエル
メスだのと言うけれど、本当の価値をわかって言ってるのかね。

笑い話なんだけど、ある若い女性がルイ・ヴィトンにキャリー
バッグを買いにいったんだ。そうみんながゴロゴロと引いている、
車輪のついたカバンだよ。応対したヴィトンの店員はなんて言っ
たと思う?

 「ウチではご自分で荷物を持たれるお客様向けのトランクは
つくっておりません」だって。

 たしかにそうだよ。ルイ・ヴィトンの本来の客層は、自分で
トランクを運ぶような人たちじゃないんだよ。

誰か必ず荷物を持つお付きがいたり、ボーイに運ばせるクラス
の人たちだから、自分で引っ張っていくようなことは想定して
いないんだ。

 そういうことを知ったうえでモノは買いにいかなきやいけない。
ブランドにはちゃんと歴史と由緒があるんだ。それも知らずに
少し金を持ったからって、ブランドモノを買い漁るなんて、本当
に恥ずかしいよ。

 ちなみにルイ・ヴィトンのトランクなんかは本当に丈夫にでき
ていて、値段は高いけど持ちがいのある品物だよ。結果的に長持
ちする。
 昔はみんな船旅だったから、完全防水で、水にも浮くようにつく
られていたので、船が沈んでも、それにつかまれば浮いていられる
という伝説があるくらいだ。沈没した船から回収されたヴィトンの
トランクを開けたら、中身は何一つ濡れてなかったというんだね。

 職人がちゃんと仕事をしているモノというのは、そんなものだよ。
こんなのに金を使わないとダメだね。


以上。


「人生は、自分が触れたのもになる。」と誰かが言っていたが、

岡野雅行氏も同様なことを言っているようだ。

 

身銭切って、超一流のものに触れてこそ、自分も超一流の
階段を上がっていけるんだ。

 ただし気をつけることが一つある。何にも考えずに高級品を
買っても、それは成金趣味で、単なるバカだよ。

これ見よがしに高級品を身に着けているだけで、イヤな野郎と
思われるだけだよ。

自分の財布から身の丈以上の高い金を払うんだ。これは自分を
ブラッシユアップするための授業料なんだよ。

だから払った金以上のものをちゃんと学ばないと、金をドブに
捨てるようなもんだ。

 そこのところちゃんとわかったうえで贅沢しないといけない
よ。

と、言っているが、大いに学べるものがある。

そして、安物買いについて、次のように、興味深いことを
言っている。


安くなった代わりに失ったものがいっぱいあるはずなんだ。

 消費者もそんな安売りになれてしまって、良いものを知らず
に育ってきている。

 お茶を飲むには100円ショップの湯呑みで十分だ、茶碗も
すぐに割れるから100円のもので十分だ、という考えもわから
ないこともないが、それが自分の基準になってしまったら、世間
に出てから苦労するよ。

 何よりも、心が安物になっちまうんだな、毎日の生活すべて
が安物ですまされていると。

 米の美昧さや、食事のありがたみってものが、安物の茶碗
食べてるとわからない。

  食後のお茶も、ちゃんとした湯呑みで楽しまないと、気持ち
もホッとしないよ。心がしだいにささくれていくんだ。

と語っているが、

安物買いで、本物を知らなくなるというのは、恐いことだし、
心が安物になったり、ささくれたりしては、人生も人格も
貧しくなってしまう。

かえって、買えないが本物に憧れたほうが、いいかもしれない。

贅沢、安物買い、難しいもののようだ。


自分の財布から身の丈以上の高い金を払うんだ。これは自分を
ブラッシユアップするための授業料なんだよ。

いい話しである。


上品さは金では買えない

2012-09-07 21:41:50 | 生活

文芸春秋スペシャルの「老後の楽園」という季刊誌を
読んでいたら、妙にインパクトのある文章が目についた。


「上品さは金では買えない。」である。


そしたら、別の読み終えた本の内容を思いだした。


以下、抜粋。

 安物買いの銭失いとよく言うけど、その通りで、
ホンモノを買わなきゃいけない。

 その一方で女の子なんかが、よくヴィトンだの、
やれエルメスだのと言うけれど、本当の価値をわか
って言ってるのかね。

  笑い話なんだけど、ある若い女性がルイ・ヴィ
トンにキャリーバッグを買いにいったんだ。

  そうみんながゴロゴロと引いている、車輪のついた
カバンだよ。

  応対したヴィトンの店員はなんて言ったと思う?

 「ウチではご自分で荷物を持たれるお客様向けの
トランクはつくっておりません」だって。

 たしかにそうだよ。ルイ・ヴィトンの本来の客層
は、自分でトランクを運ぶような人たちじゃないん
だよ。

  誰か必ず荷物を持つお付きがいたり、ボーイに運ば
せるクラスの人たちだから、自分で引っ張っていく
ようなことは想定していないんだ。

 そういうことを知ったうえでモノは買いにいかな
きゃいけない。

  ブランドにはちゃんと歴史と由緒があるんだ。

  それも知らずに少し金を持ったからって、ブランド
モノを買い漁るなんて、本当に恥ずかしいよ。

 ちなみにルイ・ヴィトンのトランクなんかは本当に
丈夫にできていて、値段は高いけど持ちがいのある
品物だよ。結果的に長持ちする。

 昔はみんな船旅だったから、完全防水で、水にも
浮くようにつくられていたので、船が沈んでも、それ
につかまれば浮いていられるという伝説があるくらい
だ。

  沈没した船から回収されたヴィトンのトランクを
開けたら、中身は何一つ濡れてなかったというんだね。

 職人がちゃんと仕事をしているモノというのは、そん
なものだよ。こんなのに金を使わないとダメだね。


以上。

この本の内容を読んで、一人で、笑ってしまった。

わたしが若いころは、ヨーロッパのブランド品の
そのような事情が分からなかった。

かなり、年齢がいってから、このような話しを
ちょくちょく聞くようになった。

この本の話しは、その中でも、極めつけで、なるほど
と感心してしまった。

一流品を買うにしても、手を出してはいけないもの
があるようだ。


「上品さは金では買えない。」という話しだったが、
昔読んだ本の内容を思いだした。

それは、上流階級と下流階級の違いは、話し言葉で
わかる。ということだった。

本の内容はこうだった。おおよそ。

上流階級の人は、下品な言葉も上品な言葉もたくみに使い
分けられる。ということだった。

その時、なるほどと感心した。わたしなど、自称中流
階級としたいのだが、残念ながら、瞬時に、丁寧な言葉
や尊敬語とか話せる素養はない。

簡単に言えば、庶民である。

時折、スーパーあたりで、とても可愛い女性がいたり
すると、ドキッとするのだが、突然、汚い言葉で、
自分の子ども叱りつけるのを見たりすると、幻滅
で、がっくりくる。

ぐずる子どもを、どのような言葉で、うまく取りなす
ことができるかで、女性の品は計れるような気がする。

わたしには、瞬時に下品な言葉も上品な言葉も使いわけ
られる上流階級の人と同席することはないので、本当の
意味で、「上品さ」というものを理解できないだろう。

そういう意味では、時折マスコミで放映される。天皇や
皇太子の立ち居振る舞いが、唯一の機会なのかもしれ
ない。

人生は、自分が触れたものになる。という言葉がある
ので、「上品さ」は容易に身につくものではないと
しても、やはり、自分の品性を高めるために、一流品
に触れる機会を多くあるべきかも知れないと、最近
感じ入るようになった。

そういう意味では、一時期、カメラに凝ったのは、
いい経験だった。

前田真三氏の写真に凝った時に、ハッセルブラッドの
カメラでツアィスのレンズの魅力に取りつかれた。

カメラでは、ライカが有名だったが、あまりにも高額で
その点、ヤシカからコンタックスのカメラとレンズを
手に入れられたことは、大変幸運だった。

よく、ライカにしてもコンタックスにしても、「空気
が写る」と表現されたが、レンズの描写に魅入られて
幸福感を味わうことができた。

この経験で、カメラの選択基準は決まった。

ツアィスかライカのレンズがカメラの選択基準になった。

デジタル化で、コンタックスの時代は終わったが、
おかげで、何百万もかけたカメラとレンズを下取り
にだした。

理由は、わたしの手元に置いていては、いつの日か、
燃えないゴミで処分することになりそうで、泣く泣く
処分することになった。

最近、18ミリのレンズと25ミリのレンズをとっておいて
あとしばらく使っておいた方が良かったかな。なんて、
時折、惹かれる風景を見つけては、未練がましい思いに
駆られている。

それはそうと、ソニーでコンタックスのレンズ、パナ
ソニックでは、ライカのレンズが、フィルム時代から
すれば、容易に手に届く値段になっている。

これは、嬉しいことだ。

それはさておき、一流品に触れる努力はできるが、
「上品さ」に、いつの日か、お目にかかれる日が
到来すれば、いいのだが。

 


地産地消は地球に優しくない

2012-08-26 21:38:58 | 生活

ニューズウィーク 2012.8.8号にあった記事
である。

タイトルが思いがけないものだった。しかし、
読んでみて、目から鱗が落ちる思いもした。

 


  The Looavorism Myth
 地産地消は地球に優しくない

農産物 地元で採れた旬の野菜や果物を
 食べるのが一番というのは本当か?
   グリーン派の神話を検証する

ピエール・デロシェール(トロント大学地理学准教授)
清水裕子(ジョンズ・ホプキンズ大学政策研究所研究員)


  食の活動家たちの声はかまびすしい。

いわく、今の食品流通システムは「遺伝子組み換えトウ
モロコシのユートピア」だ。

  枯渇しつつある石油を湯水のように使い、ジャンクフー
ドばかりか「農家の生活苦」と「農業汚染」までばらまき、
癌患者を急増させ、自然界では起きないはずの突然変異を
起こす。

 この持続不可能な資源浪費型システムから脱出する道は
ただ1つ。

  地球に優しい供給システム「地産地消」だと、彼らは叫
ぶ。

  地球の反対側から運ばれてくる野菜や果物ではなく、地
元で採れた新鮮な食材をせっせと食べよう! 

それによって病んだ地球を癒やせるばかりか、雇用を創出し、
食料安全保障を確保でき、体も心も健康になり、地域社会も
元気になる……。

 これだけ並べられたら、善良な人々がブームに乗るのも
無理はない。

  だが、本当にいいことずくめなのか。ここは少し頭を冷や
して考え直す必要がありそうだ。

  手始めに、地産地消の危ない神話ワースト5を検証する。

 

  地域を活性化できる?

 「バーコード付き食材」ではなく、「生産者の顔が見える」
地元産の食材を買うことで地域社会が元気になると、過激な
地産地消派は言う。

 だが、忘れてはいけない。ブランドや等級付けが生まれたの
は、何よりも品質保証のため。水で薄めた牛乳や、くず肉を混
ぜた牛のひき肉が市場に出回らないようにするためだ。

 直販所にはチェック機能がない。遠隔地から運ばれた農薬ま
みれの野菜を地元産の有機野菜と偽って販売する不心得者がい
ても、消費者には分からない。

 生産者と消費者を直結する供給システム「地域支援型農業
(CSA)」で頻発するトラブルは、中間業者の役割を再認識
させる。

  CSAでは、消費者は作付け前に生産者と購入契約を結ぶ。

作物の納入時期と場所は生産者が指定。
消費者がその日の指定時間内に分配所に取りに行かなければ、
作物はチヤリティーに寄付される。

  病虫害や天候不順で予定より収極量が落ちた場合も消費者は
文句を言えない。

 欲しいときに欲しい分量だけ、近くのスーパーで食材が買え
るというのはとても便利なことなのだ。その便利さを享受する
には、作物を集荷し、検査し、仕分けし、包装して、配送する
労力に対価を払う必要がある。

 流通コストを負担することで無駄がなくなるから、結局のと
ころ直販方式よりも家計への負担は少なくて済む。

 地産地消にこだわれば、高い作物を不都合な時期に不便な場
所で買うことになる。

  地域の人々が食材購入に余分なお金と時間を使えば、ほかの
活動にしわ寄せがいき、地域社会の活性化どころではなくなる。


 
  雇用の増加につながる?

 昔から遠隔地との交易を通じて、各地に特産品が生まれてき
た。

  交易が盛んであれば、地域の気候風土に合った産物の生産に
特化できるから、より品質の高い食材をより多く、より低コスト
で供
給できる。

 だが地産地消派に言わせると、遠隔地の産物を買えば大手の
小売業者や輸送業者、巨大資本の大規模農場が潤うばかり。

  地産の食材を買えば地域の農家が潤い、域内での消費が増えて
地域に雇用が増えるという。

 だが実際には、割高な地産の農産物を買えば地域の人々の
購買余力は低下するから、農業以外の地場産業は商売上がっ
たりとなる。

  地産地消が極端に進めば、消費者の選択肢が限られるという
問題も生じるだろう。

 もう1つ見落としてはならないのは、持続的な経済開発には
都市化が不可欠であることだ。

  都市は物流の中心地となり、多様な産業と技術の集積地とも
なる。

  一大消費地である都市は、農業の発展にも欠かせない。

 プラトンが『国家』で述べているように、「何も運び込まれ
る必要のない」自己完結型の都市など「あり得ない」のだ。

  地産地消を徹底すれば、自鉛白足型の農業に付き物の悲惨な
暮らしが戻ってくるだけだ。

 

  温暖化対策に役立つ?

 生産地から消費地への食品輪送に伴う環境負荷の指標に
フードマイレージというのがある。

  運ぶ距離が少ない、つまり地産地消に徹するほど、その値は
小さく地球に優しいとされる。

 本当だろうか。複数の調査で、フードマイレージは環境負荷
の有効な指標ではないという結論が出ている。

  アメリカの場合、食品の遠距離輸送の環境負荷は食品生産過程
(作付けから加工まで)における負荷の5%程度にすぎない。

 考えてみてほしい。作物の生育に最も過した上地で、豊かな
降雨を利用して露地栽培を行い、遠くの消費地まで運ぶのと、
消費地に近い場所でエネルギーを大量に消費する温室栽培を
したり、畑にかんがい用水を大量に引くのとでは、どちらが
環境に優しいだろう。

 19世紀後半以来、人類は農業生産を最適地に集約してきた。

  結果、農業に適さない土地は自然の森のまま残り、一方で
人工が都市に集中したことにより手付かずの自然が踏みにじら
れることは少なくなった。


  食料安全保障に有効か?

 地産地消に徹していれば、いざ戦争になっても食料は確保で
きるという説がある。

  単一品種大量生産の大型農業だと病害虫の発生で作物が全滅
しかねないが、地場農業は多品種少量生産だから大丈夫だとも。

 しかし危機管理の面から見ると、地産地消に徹すると食料の
供給源が地域内に限定されることになり、有事に外部から調達
するルートが欠けている。

 例えば、戦争が近づいたらどうするか。

  どんな国でも国際市場から大量の食糧や農産物を調達するだろ
う。平時であっても、地域レベルで食の自給自足を進めれば洪水や
干ばつ、家畜の疫病といった災害時のリスクが高まる。

 歴史的に見ても、飢饉をなくすには大規模な農業市場の確立
が不可欠だった。

  市場があれば、不作だった地域の住民も豊作だった地域の余剰
作物を購入できるからだ。

 さらに、単一品種大量生産で生産性の高い農業ビジネスなら
専門家を雇う余裕があり、ローカルな問題の解決策を世界中か
ら探してくることができるだろう。

  現に、中米のバナナ農園で発生した病気の対策がニューギ
ニアで見つかった例もある。

 単一の作物に特化した大型農業が、かつての炭鉱や馬車製造
業と同じ運命をたどる場合もあるだろう。

  しかし経済成長が持続し、科学と技術の進歩があり、労働市場
が開放されている限り、特定の産業の消滅は大した問題にならな
い。

 食の安全保障の本当の決め手は、できるだけ多くの資源が、
過去の風習にしがみつく無益な試みに浪費されることなく、明
日の有益な活動の発展に投資されるようにすることだ。

 地産地消派の一部には、いずれ「安い石油」の供給が途絶え
れば地産地消に転換せざるを得ないとの主張もある。

  だが、化石燃料の寿命がもうすぐ尽きるという予測は1世記半
以上も前からあるが、どれも的外れだった。

  オイルサンドやシェールガスなどを利用する革新的技術の発達
もあって、化石燃料の枯渇は遠のく一方だ。

 現在のような地球規模の食料供給チェーンを確立する道を切
り関いたのは、お世辞にも効率的とは言えない蒸気機関車や汽
船だった。

  同じ石炭でも、今なら昔よりずっと効率的に燃やしてエネルギ
ーに転換できるし、そもそも石炭の埋蔵量は数世紀分もある。


  味が良く栄養価も高い?

 ほかの条件が同じなら、さまざまな形で保存され、遠くから
運ばれてきた食料より、しっかり熟した状態で収穫された地元
の食物のほうが味も栄養価も優れていると地産地消派は主張す
る。

  でも地元の農作物が採れず、保存された食材しか手に入らな
い季節はどうするのか?

 1年の中で質のいい食物を食べられるのは数週間だけ、それ
以外の時期は質の劣る食物を食べるとなると、より充実した食
生活になるとはいえない。


 衛生面や安全性、環境基準などの低い国で生産された食物に
対する不安を指摘する地産地消派は多い。

  だが世界の貧しい地域には先進国の業者が進出していて、
最先端の技術を駆使して輸出用食物の生産から供給までを
細かく検査するシステムを確立している。

 自然農法にこだわり、地元の朝市に出品する小規模農家には、
そんな技術も仕組みもない。

  ちなみに、私たちの健康を日常的に脅かしている大腸菌や
サルモネラ菌、リステリア菌といった病原体は「自然」の中に
存在しているのだ。

 一方、大規模な農業ビジネスでは生産と加工段階における規
模の経済が安全を生み出しているから、その産品では人類史上
最高の安全が確保されている。


 いま大量に供給されている食物は、古きよき時代の作物より
も栄養価が低いと地産地消派は言うが、それは現実に起きてい
る事態と相いれない。

 ノーベル経済学賞に輝くロバート・フォーゲルの言葉を借り
れば、「世界のかなりの部分で人間の身体の大きさや状態、寿命
は過去3世紀の間に、かつてないほど急速かつ大幅に向上」して
いるのである。

 地産地消を貫くなら、種類が少なく割高で、安全性も低い過
去の食生活に戻るしかない。

 それはちょっと悪天候が続けば、すぐに慢性的な飢えと栄養
不良、飢饉に襲われる世界。そんなことは地球上の貧困地帯で
自給自足の生活を送る農民なら誰でも知っている。

  人類の悩みを解決するどころか、地産地消は人々に苦しみを
強い、環境破壊につながるだけだ。   


以上。


  持続不可能な資源浪費型システムから脱出する道はただ1つ。

  地球に優しい供給システム「地産地消」だ。

ということで、「地産地消」については、わたしは、肯定的な
イメージがあった。

しかし、ちゃんとした考察をすると、とんでもない逆の考え方
が出てくるようだ。

びっくりである。


  地産地消を貫くなら、種類が少なく割高で、安全性も低い過去
の食生活に戻るしかない。

 それはちょっと悪天候が続けば、すぐに慢性的な飢えと栄養
不良、飢饉に襲われる世界。そんなことは地球上の貧困地帯で
自給自足の生活を送る農民なら誰でも知っている。

  人類の悩みを解決するどころか、地産地消は人々に苦しみを
強い、環境破壊につながるだけだ。   


わりと肯定的に受け止められている「地産地消」が、このように
評価されるとは、絶句である。

何が、真実であるか確定するのは、容易なことではないようだ。

非常に考えさせられる記事であった。


海外こぼれ話

2012-04-11 22:41:59 | 生活


今朝の新聞にあった記事である。


    海外こぼれ話

  ●絵はがき●

 米ノースダコタ州の家族に対し、見知らぬ差出人「ジム」
から約7年間、定期的に、絵はがきが送られていたが、この
ほど謎が判明した。

 「ジム」はミネソタ州の38歳男性。

郵便受けに請求書が入っているだけの生活に飽き、でたらめ
の住所に一方的なはがきを送っていた。

 だが男性は1月にがんで死去。

真相を知らされた家族は「会ったことがあるような文面だっ
た。はがきで笑顔をもらった」と男性をしのんだ。

以上。


「ジム」はミネソタ州の38歳男性。

郵便受けに請求書が入っているだけの生活に飽き、

ということだが、何かしら、身につまされるもの
がある。

昔、 樹木希林がテレビドラマの出ていた頃。

売れ残りの持てない女中かなんかの役をやっていて、
夜這いの被害にあった女性の話を聞いて、襲われて
みたいような羨ましいそうなセリフをしゃべったの
に、なんとも切ないものを感じさせられたが、なんか
通じるものがあるような気がする。


でたらめの住所に一方的なはがきを送っていた。

この気持ち、分かるようなきがするな~。

だから、決して「こぼれ話」ではないのだが┄。

ま、「こぼれ話」で聞けるのは、幸せな人かも。


水温:主要5暖流で急上昇 100年で海全体の2倍

2012-02-21 22:24:41 | 生活

水温:主要5暖流で急上昇 100年で海全体の2倍

 黒潮やメキシコ湾流など世界の主要な5暖流の水温が、
この100年間で海洋全体より2倍以上上昇していること
を、中村尚東京大教授(気候力学)らの国際チームが突き
止めた。

暖流は、赤道付近の暖かい海水を中緯度海域に運び、熱を
大気中に放出する。暖流の急速な水温上昇は、沿岸の漁業
や気象にも影響しそうだ。

成果は、英科学誌ネイチャー・クライメイトチェンジ3月
号に掲載される。

 国際チームは、船や人工衛星などによる海域の観測データ
を集約している日米欧など8研究機関の記録をもとに、19
00~2008年の5暖流の水温や流量などを解析。

その結果、海洋全体の水温上昇は約1世紀で平均0・6度
だったのに対し、黒潮、東オーストラリア海流、ブラジル
海流は1・3度、アガラス海流は1・4度、メキシコ湾流
は1度で、5暖流の平均上昇幅は海洋全体の2倍以上だった。

 上昇の原因として、20世紀に急速に進んだ地球温暖化の
影響などが暖流により強く表れたと、チームは見ている。

黒潮は、この100年間で約50キロ北上、流量も増えて
いた。水温上昇は水深約400メートルにまで及び、100
年間に蓄積した熱量が水面から放出されたと仮定すると、
1平方メートルで5トンの氷を解かす規模に相当するとい
う。

 中村教授は「黒潮などを観測することで、地球規模の変化
をいち早く察知できる。また沿岸の異常気象の予測の精度
向上にも役立つ」と話す。【田中泰義】

以上。

皮肉なことに、このことが、日本海の海水温をあげ、記録
的な豪雪につながっている。

問題は、この暖流の温度上昇の原因は、何なんだろう。
これそのものは、二酸化炭素の増大とどのような関係が
あるのだろう。不思議でならないのだが。

地球の温暖化は、地球が勝手にやっているという話しが
あったが、つまり、人間が関与できるものではない。

しかし、人間の所業の成せる結果にするとなると、二酸化
炭素より、産業革命以来、世界中が工業化・資本主義化し、
人間活動が生み出した生活排水・工業排水による海水温の
向上の方が、考えられるのでは。なんて、暴論を考えたの
だが。

また、産業革命以来の人間の活動が、空気中の水分を上昇
させたというのも、暴論だが、どうだろう。

いずれにせよ。氷河期がやってくるということになれば、
どうって問題でもないのだが。