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リタイアーのよもやま話

校舎の寿命70年に

2014-02-18 22:21:56 | 生活

マスコミ等で、流れたニュースである。

校舎の寿命70年に、文科省方針 
建て替えから改修へ転換


 文部科学省は11日、古くなった公立
小中学校の校舎を全面的に建て替えるの
ではなく、部分的な改修により耐久性を
高めるよう地方自治体に促すことを決め
た。

現状では築40年程度で建て替えるケー
スが多いが、適切な改修で寿命を70~
80年に延ばす。自治体が学校施設の寿
命を延ばすために改修する場合、建て替
え並みに手厚く補助する制度を2013
年度に導入しており、活用を呼び掛ける。

 1970~80年代に建設が集中した
校舎の老朽化対策のため、国や自治体は
重い財政負担を強いられると予想されて
いる。

建て替え時期を遅らせることで、文科省は
今後30年で8兆円程度の老朽化対策費を
削減できると試算している。


 改修への転換を促す背景には、81年に施
行された新しい耐震基準で建てられた校舎
が増えていることもある。

ただ、改修の事例やノウハウが少ないため、
文科省は自治体向けの手引を作成。耐震基
準を満たした柱や梁などの基本構造物を残
し、新たに壁や屋根、床材を施工するほか、
コンクリートの劣化対策を施す工法を提案
している。

 手引では、建て替えと同程度の機能を確
保しつつ、エ費を4割程度削減できると指
摘。内装への木材の活用やバリアフリー化
の手法、児童数減少により校舎の規模を縮
小したケースなども紹介している。

以上。

「校舎の寿命70年」というタイトルに、目
が、釘付けになった。

この記事を読み進めると、

現状では築40年程度で建て替えるケー
スが多いが、適切な改修で寿命を70~
80年に延ばす。

とある。

目が、釘付けになったのは、父親の古い
アパートや店舗等の寿命について、日頃
気にしているからである。

父親のこの建物、あと何年持つのだろう?

である。

公的な建物の寿命を改修で、70~80年
に延ばすのである。個人の建物だったら、
それ以上に延ばせるのではないか?

どうだろう?

いや、80年も延ばせたら、とりあえず、
感謝である。

ということで、このニュースを知って、安堵
感を感じて、ほっとしている。

本当に嬉しいニュースであった。

 


確定申告

2014-02-14 21:49:05 | 生活

確定申告の季節である。

今年の1月末は、天気が良かったことと、
病院がインフルエンザで、長居できなかった
ということがあって、バイクで遠出をしてし
まい、申告の作業が遅れぎみかと?気にかけ
ていたが、ほどなく、提出の見込みがついた。

しかし、今年は、少し欲張って、ひと工夫した
ので、2,3日提出するのをのばした。

 わたしが、確定申告をするようになったのは、
父親が病気で寝たきりになったからである。

元職場の同僚は、退職してからはじめるので、
わたしは、数年早くなっている。

わたしが、父親の申告をやりだした頃は、ま
だ、インターネットが、対応していない時代
だった。

わたしは、事務作業が苦手で、特に手書きの
作業が入ると、もうだめである。

手書きの事務作業になると、全く、集中しな
いものだから、脱字・誤字ばっかり書いて、
いつまでも作業が終わらない。一カ所直した
ら、別の場所で、ミスをと、繰り返すのであ
る。

なかなか仕事が進まず、そのうち追い詰めら
れ、気が狂いそうになって、作業をすること
になる。

税務署で、書類を何部ももらってくるのだが、
恥ずかしい思いをしたものだ。

 

しかし、時代は、進んだ。

ネットで、確定申告の作業ができるようになっ
たからだ。

やっと今年あたりから、作業中の戸惑いがかなり
少なくなった。ネットのソフトも良くなったよう
な気がしている。気のせいかな?

もし、収入が年金だけだったら、こんな簡単
なことはない。ネット上の作業だけで済むか
らだ。

ただ、わたしの場合は、父親がちょっとばかし、
不動産を持っていて、一手間余計にかかるので、
ネットだけでは、作業が完了しない。

それは、不動産所得用の収支内訳書を書く作業
があるからである。

このなかで、
〇不動産所得の収入の内訳や〇減価償却費
の計算、〇修繕費の内訳

等についての記載作業がある。

これが、字が小さく、枠も小さく、退職者の
老眼と動かなくなった指先では、とてもじゃな
いが、拷問に近い。とにかく、心労である。

 

最初は、手書きで疲労困憊していたが、その辛さ
から逃げるために、いつしか、パソコンで処理
することを覚えた。

昨年まで、〇不動産所得の収入の内訳や
〇修繕費の内訳の箇所については、エクセルで、
様式をまねして作って貼り付けをして、かなり
楽してきた。

今回、思い立って、〇減価償却費の計算の表も
作ってみようとした。

しかし、どうも思うようにならず、諦めかけた
が、手作りの〇不動産所得の収入の内訳の表を
見ているうちに、この表を流用できることに気
づいた。

それで、早速作り直す作業をやってみたところ、
なんとか、それらしくできた。ちょっと強引な
感じもするが。

一番、戸惑ったのは、この表には、①のように
〇で囲まれたカタカナのイロハニが使われてい
る点であった。

というのは、エクセルにはそのような文字がない
のである。


そこで、描画機能を使って〇を作り、その中に
イ、ロ、ハを入れ込むことにした。

なんとか、それらしく、〇付きイロハを作ること
ができた。

 

表を作成する時に、コンピュータに様式をダウン
ロードして、印刷し、その表の枠をパソコンのディ
スプレイ上のエクセルに移していった。

ただ、この時に、パソコン上のエクセルは、はっ
きりメモすれば良かったが、100%ではなく、95%
くらいだった。このへんの一工夫が必要だった。

そうしないと、印刷した時に、同じサイズになら
ないのである。

とりあえず、なんとか、実際の様式とほぼ同じの
表を作ることができ、気の遠くなるような小さな
文字を書かなくて、すむようになった。

ラッキーである。


これで、来年の確定申告は、一段とノンストレス
で、作業できることになった。

今回は、もうひとつ、成果があった。
わたしの名前が旧漢字になっている。

これが、ネット上で作業すると出てこない。


そこで、パソコン上で、手書き入力パネルで
旧漢字のわたしの名前をだして、ワードに出力
し、それを、ネット上の申告書に張り付けた。

なんと、うまくいった。やっと、こちらも
手書きから解放された。

 

このような快適な作業状況になって、ふと気づ
いた。

これって「人間万事塞翁が馬」ではないか。

 ということである。

 

もし、あの時、わたしが不当人事にあってい
なかったら、このような力を身につけること
はなかったかもということである。

もしあの時、不当人事で、遠い南の島の猛烈
に職員の入れ代わる職場に放り込まれていな
かったら。

そこで、一番やりたくない仕事で、押しつぶ
されそうになっていなかったら。

わたしが、ブラックリストの一員だという負い
目を背負うことがなかったら。

Et cetera

あの日々が、わたしの人生の転回点だったの
かもしれない。

その職場で,仕事におわれ、パソコンワープロを
打つために、私費でパソコンを購入し、使いだ
した。

その後、次の職場で、わたしはマックとであった。

遊休化していたマックでコンピュータミュージッ
クはじめだした。

そのうち、仕事におわれ、私費でエクセル買い、
インストールし、使いだした。

そして、パワーブックを2台購入することになった。

2台で120万円くらいだ。

その金額が大きすぎて、わたしは、パワーッブッ
クを購入したことを口にすることはできなかった。

振り返ってみれば、ワープロ、パソコン、そのソ
フトに膨大な散財をしたものだ。

しかし、今、その日々で得たノウハウが、我が身
を助けている。こんな日々がくるなんて、と思う
ばかりである。

しかし、それも、はるか昔の不当人事で、遠い南
の島に放り込まれたあの怒りの日々があったれば
こそとなると、そこに、えも言われぬものを感じ
てしまう。

人生って、なんだろう。

 


国内観光客13億人

2014-01-12 23:32:18 | 生活

ヤフーのニュースである。

<数字で見る中国>大気汚染もなんのその!
13年の国内観光客数は32億人=世界人口の
約半分―国家旅游局

2014年1月6日、中国国家旅游(観光)局の
邵[王其]偉(シャオ・チーウェイ)局長は、
2013年通年で、国内の観光客数はのべ32億5
000万人に達し、観光収入は2兆9000億元(4
9兆6000億円)に上る見込みだと明らかにした

以上。

ネットでは、中国の人口は13億4800万人
とある。

貧富の格差は、激しくなっているから、実際に
旅行できる人は、何億人だろう。

高齢者も子どももいる。 

13年の国内観光客数は32億人という数字はどの
ようにしてはじき出されるのだろう。

「のべ人数」なのか。

32億人の実態を知りたいのだが。

どうなっているのだろう。

不思議な数字な!

 


「低所得でも満足」という“プア充”の本音

2013-12-06 14:17:33 | 生活

ネットにあった記事だ。

「低所得でも満足」という“プア充”の本音

「同年代の友人たちが役職に就き始めたのに、
僕はやっと社会人1年目。正直うらやましい
気持ちはありますが、彼らが必死に仕事をし
ている時期に、僕はバンド活動と片手間のア
ルバイトだけ。こうなるのは当然の結果です
よね」

 自分を納得させるようにこう語るのは、バ
ンドデビューの夢を追いかけるも34歳で断念
し、現在レストランで店長候補として働く岡
田智さん(35歳・仮名)。

「年齢の高さと職歴のなさで、就職活動は大
変でした。飲食店でのバイト経験を買われて
何とか採用してもらえましたが、もちろん低
収入。貧乏生活には慣れているから、安定収
入が得られるだけで十分ですよ。それに今は
まだ店長候補ですが、店長になれば給料もア
ップするんです。そしたら、この生活ともオ
サラバですよ!」

 明るい希望を口にする岡田さんだが、昇格
の時期と昇給の金額は把握できていない。そ
んな彼の趣味はツーリングだ。

「正社員になってアメリカンバイクを購入し
ました。月々1万円の5年ローンは正直キツ
いですが、休みの日に1人でツーリングに出
かけてはリフレッシュしています。でもバイ
ク購入には、ほかの理由もあるんです。実は、
薄給なので友達との飲みもバーベキューなど
のイベント事のお金も、結婚式のご祝儀も払
えない。せっかく誘ってもらっても、予定が
あると嘘をついて参加を断ることも少なくな
く、友達とも疎遠になって……。ツーリング
なら1人でも楽しめるし」

 低収入が招いた友人関係の希薄化とその寂
しさを埋める趣味。店長昇格への道はいまだ
に見えない。12/3発売の週刊SPA!では「プ
ア充は本当に幸せなのか? 年収300万円ラ
イフの本音」と題した特集を組み、「低所得
でも満足」という彼らの本音に迫っている。
 <取材・文/週刊SPA!編集部>

以上。

なんとなく、わたしがオートバイに凝ってい
る状況とオーバーラップしてないこともないな
なんて、ちょっと、複雑な気分で読んでいる。

人づきあいの苦手な人間が退職して、さして贅
沢もできないので、バイクで一人遊びしている。

人づきあいがないこと。
さして贅沢のできる身でないこと。
バイクで一人遊びしていること。

ここら辺が、似通って、ちょっと複雑だな。


特段才能も無かったので、退職して、砂漠に一
人立ち尽くしているような生活だ。

退職した知人などが、社会的に活動していると
ころを新聞などで知ると、やはり、選ばれる

だけの才能の無かった身だと、落胆するばかり
だ。

とはいえ、その才能に憧れても、才能に見合
った社会的責任を全うするだけの資質もない。 

このへんもジレンマだ。

それはさておき、ささやかなバイク道楽と思っ
ても、あたりの退職組を見渡すと、バイクでの
ドライブがてら、カフェに立ち寄り、コーヒー
を楽しみながらの読書三昧の生活は、けっこう
な贅沢に入るのでは、幾ばくか臆してはいる
のだが。

定年まで、たどり着いたのだから、ささやかな
贅沢を満喫するのは、許されたいものだ。

 


贅沢

2013-08-29 22:15:32 | 生活

とある本にあった内容である。

贅沢について、わりとまとまった文章だったので、
興味深いものを感じた。



真の贅沢に慣れておく


誰にでも「贅沢したい」という気持ちがある。
この気持ちを大切にしたい。
年を重ねるにつれて、年齢相応の贅沢を身につけて
いくことは、その人の評価や信頼につながる。

とかく日本人は、贅沢を「いけないこと」のように
扱うが、贅沢も必要なときがあるのだ。

 贅沢とは、モノでも人間関係でも、あるいは行動
においても、「分を超える」ことを意味する。

それがなければ進歩もない。喜びもない。贅沢願望
こそが、人を成長させる原動力ともいえるのだ。

 ただ、近頃は本当の贅沢の意味がわからずに、他
人との比較で「贅沢ごっこ」をしているようなとこ
ろがある。贅沢の尺度をすぐお金に換算するのは、
あまりよい趣味とはいえない。だが現実に、そうい
う人は少なくない。

「贅沢とは、居心地がよくなることです。そうで
なければ贅沢とはいえません」

 これは、フランスのデザイナー、ココーシャネル

の言葉だ。

ただ、ココ・シャネルはこうもいっている。

 「贅沢は貧しさの反対語と考えている人もいるけ
ど、それは間違い。下品さの逆です」


 下品さの逆なら、上品ということだ。贅沢願望は
「上品でありたい」ということにほかならない。

上品と下品を並べて、「下品でありたい」と思う人は
いない。


 身の丈に合った贅沢願望は、いくつになっても持ち
続けていたい。

とくに年を重ねたら、「上品」を身にまといたいもの
だ。

以上。

 

「真の贅沢に慣れておく」というテーマの文章である。
残念ながら、この提案を真に受けることができる人と
いうのは、わたしの周囲には、わたしも含めて見当た
らない。

年金収入でも、所得が400万?以上ないと、できない
のでは。もちろん、この金額には根拠はなく、正確で
はない。ただ思いついただけだ。

著者が、どの程度の経済的なランクにいる人を念頭に
この本を書いたのかは知らない。そこが残念だ。

この主張を鵜呑みにするには、かなりの経済力が必要
ではなんて、思っている。

ところで、

贅沢と浪費や見栄とどう違うか、そこのところを考え
ることは、そうあるものではない。

しかし、「贅沢」が下品の反対であるなら、「贅沢」の
中身は、「上品」ということになり、そこのところで、
贅沢と浪費や見栄とを区別することが可能かもしれな
い。

とはいうものの、贅沢でも、品がないこともあるから
やっかいだが。

つまり、真の「贅沢」であるということが、肝要なの
だろう。もしかすると、「粋」というのもその贅沢の
一つか?

著者は、

年を重ねるにつれて、年齢相応の贅沢を身につけて
いくことは、その人の評価や信頼につながる。と言っ
ていたり、この本の別の箇所では、年をとるほど服装

には気を配れ、年とったら、そこそこにみっともない
服装を心がけること。と激している~。のだが、

しかし、現実問題として、

時にして、そのような心がけが、見え見えであるのは、
見ている者として、痛い気分になる。

もしかしたら、贅沢というのは、物質的な以前に、精
神的な贅沢性・貴族性・高貴性が先行していなくては、
厭味になったり、痛いものになったりするかもしれな
い。

贅沢が似合うになりうるには、これも教養が一朝一夕
で身につかないように、付け焼き刃ではできないので
はなかろうか。

閑話休題

贅沢について、書かれた文章があったので、それを
紹介してみたい。

以下、その抜粋である。

 それから、遊びであっても分不相応なお金を使っ
てはいけない。きれいに使うためにも、自分の身の
丈を知っておくことだ。

身の丈に合うというのは、一見、「地味のすすめ」の
ようだが、そうではない。お金のある人間は、ある
ように使うのが身の丈に合った使い方だ。

 漫画家の赤塚不二夫さんは、それができた人だ。
人気漫画家で収入も多かったころ、連日タモリさん
を連れて遊び歩き、散財しただけでなく、住んでい
た高級マンションを彼に明け渡して、自分は木造二
階建てのアパートに寝泊まりして仕事をしていた。

 理由を尋ねられると、「タモリのあのすごい才能
を生かすには、ぜいたくを知らなきやダメだ」と答
えた。

 その後、順調に売れ出しタモリさんは、逆に赤塚
さんが落ち目になると、みずから設立した会社の顧
問になることを要請し、毎月30万円ずつ律儀に振
り込んだという。

 それだけでなく、赤塚さん所有のベンツやキャン
ピングカーを買い取って、赤塚さんのプライドを傷
つけないかたちで支援した。だが、赤塚さんのほう
は、タモさんが振り込んだお金には一銭も手をつけ
ていなかった。それを知った人が理由を尋ねると、
赤塚さんはこう言ったという。

 「芸人なんて二年で飽きられる。そのときはこの
金でタモリを食わせてやるんだ」

 こんなふうに書くと感動話に聞こえるだろうが、
彼らのあいだでは、これらのすべてがギャグ(遊び)
のうちなのである。

以上。

桁外れな世界の話しで、凡人の世界の話しではない。

贅沢には、こういう側面もあるのか?である。

ところで、

少し前のヤフーの記事に、

「今年の地球資源は使い尽くした」、環境NPO

【8月21日 AFP=時事】国際環境NPO、グロー
バル・フットプリント・ネットワーク(Global
Footprint Network、GFN)は20日、地球が1年
間で再生できる自然資源を人間が使い尽くした
日を意味する「アース・オーバーシュート・デー
(Earth Overshoot Day)」を同日記録したと発
表した。その責任は中国、米国、カタールが負う
ところが大きいという。

というのがあった。

「贅沢」という美意識は、風前の灯火のような気も
する。

贅沢や豊饒から文化は生まれるが、吝嗇から
文化は生まれない。

ということを言う人もいたが。

人類は、後退するのか、新たなる中世に入るのか。

どうなるんだろう。