もうろうとした頭で「間伐論」の序説を書いたまま放っておくのもナンなので、また少し。
まず最初の疑問として、間伐は人工林にとって絶対必要か、という点がある。
ものの本には「間伐は江戸時代から行なわれており……」とたいてい書かれてあるが、その事例は必ず吉野である。逆に言えば、吉野以外は見当たらない。鳥取県の智頭では、「伐らずが肥え」という言葉で、間伐はせず、枝打ちで林内を空かせるようにしたと聞かされた。
ただ江戸時代に書かれた農業全書などには、間伐を勧める一節があったりする。おそらく間伐をしていなかったからだろう。
もちろん、吉野以外ではまったく間伐をしていなかったというつもりはない。間伐という技術そのものは各地にあったのだろう。しかし、「なすび伐り」という間伐法があるように、優性の木、つまり太くて高い木を抜き伐りする方法だ。言い換えると、収入に換えるつもりで間伐している。切り捨てて、残した木の保育に役立てる間伐を古来からやっていたという例を私は知らない。
だいたい、昔の人も暇じゃないので、収入にならない間伐をやりたがるとは思えないのだ。チェンソーもないから、伐採するのは大変な手間だ。それなのに切り捨てはしないだろう。
戦前の林業は、ほとんど無間伐だという報告書もある。
それでも、立派に森は育っていたのではないか。
でも、ここでいう経済は、まさにお金です。
日本の森林は、人の関与によって生れたものであり、それを維持育てるにも人の関与が必要です。そして人が関与するにはお金が欠かせない。それを自律的に達成して循環させるのが、経済だと思いますよ。
ただし産業と経済行為との違いは何ですか。
森林と林業を一体化させるパワーの主軸は経済、つまりお金についての+-です。
人についての+-を含めますか?
資源についての+-を含めますか?
どのような価値軸を想定されているのでしょうか、田中先生は。。。
森林と林業は一体ですよ。分離することが森を破壊するのです。そして林業は産業であって、経済好意、じゃない行為です。経済によって日本の森林を救わねばならないと考えます。日本の森林は、原生林ではないのですから。
私は、森林と林業をはっきり区分けして考えることが解決だと思っています。
現在の林業は、森林整備とか森づくりなどと言って林業を推進しています。
このまま進めば森林破壊が進み、山が土砂崩れで小川も土砂で埋まり、山も川も日本から無くなります。
つまり森林も林業も日本政府の失策のためにどちらも駄目になる恐れが出ています。
詳しくは、エコシステムを検索してご覧下さい。
見た目も臭いも人には嫌われるけど、微生物や節足動物の世界としては見事な生態系が築かれている…。
同じように、間伐せずに密生して美しくないと見られる森林にも、多様性が増した森林もあるのではないか、と思うのです。
また、完璧に下刈りをして、林冠が鬱閉した状態で、林床に草さえない風景を美しいと感じたとして、
生物多様性が高いとも言えないだろうし。
美しいって概念は誰もが持っているものだから。
間伐の必要な森を、間伐がされた森だけを、美しい森だと思う人はいないと思うから。
間伐をするはずの森でされずに見捨てられたものに手を入れてをよりよく、という意味での『美しい』でしかないと思うんです。
人間の美的感覚と生態系の健全性は、また別問題だと思うんですね。
間伐を前提とした山を作ってきてしまったからと言うのが私の理解です。
でも、間伐ができないならどうするかを探る道も、もしかしたらあるんじゃないかって気もします。
間伐の必要性については次の項目に記しますが、原点に返って考えてもらいたい。
しかしそれらの需要は少なく、多くは海外の木材に対抗できる生産性が必要となります。
そうすれば下草刈り、利益を生まない間伐はなくさなければなりません。これは今後の課題です。
今は間伐遅れの管理放棄された人工林をこのまま放置して良いかということです。
風や雪で簡単に倒れ、雨で土ごと流され、自然淘汰もないまま細く長い木々が乱立しています。
間伐が必要がないのであれば、税金を投入する意味はありません。
また、今の補助事業のように効率が悪くコストのかかる小規模な間伐を続けても全体の改善は望めません。
山の状態を見る限り何とかしなければならないと思いますが、意味のないことを続けても無駄になります。
巻きがらしによる立ち枯れでのやり方では、一方では虫が付くという問題をあげるところがあります。
強度間伐による切り捨て間伐にはまたいろいろな意見があります。
間伐という課題に長期間携わっているのにかかわらず、国はなにも解決方法を見いだしていません。また、見いだす努力もしていません。
木材生産のための良材を育てるための間伐か、治山のための間伐かの区分もありません。
結局、現状をだらだら続け将来にその結果が判ることになるのでしょう。
造林事業と同じように失敗であると思っていますが、何とかならないでしょうか。