人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

政治的混乱

2008-10-06 06:54:28 | Weblog
 何とも世の中は騒然としている。こうした状況を少し距離を置いて
見てみると、人間の歴史の中では何度も繰り返し行われてきたように
感じられるのだが、そう感じるのは私だけであろうか。

 恐らく世の中に大きな変化が現れる時は、同じような状況なのでは
ないだろうか。残念ながら人間の寿命はわずか数十年なので昔のことは
誰にも分からない。

 そして、それは人間というものの生まれ合わせた時からの宿命なの
かも知れない。平和なときはなかなか長続きせず、常に騒然とした
状況が、人間というものがこの世に誕生したときから続いているように
思えるのだが。

 植物にも他の動物にも決してこのようなことはない。自然には地球
環境や外的な問題による大きな変化はあっても人間社会のように騒然
とはしていない。自然のままに、ゆったりと静かに時間は流れている。
それが自然というものである。

 ここに60億を越えるような人間が存在するばかりに数え切れない
くらい多種多様な問題が生じている。


 さて、サブプライムローンに始まった経済危機は収まるどころか
深刻さを増している。今回はヨーロッパ諸国も他のアジア諸国も
蚊帳の外の問題ではなかった。大きな影響を受け金融機関などの
一時的な国有化が続いているようだ。

 日本の諸銀行がどれくらいの影響を受けているのか定かではないが、
アメリカバブルの頃、我が内のバブル処理に追われていてアメリカ
バブルの恩恵を受けることが出来なかったことは幸いであった。

 しかし、常に追いつ追われつの競争の中で、このような問題の発生
は宿命のようなものである。マネーゲームと呼ばれているが、まさしく
マネーゲームそのものである。早く、このような愚かな経済競争から
脱却すべきではないだろうか。実態のない経済ほど一般の人にとって
迷惑な話はない。せいぜい個々の企業実態に即した証券取引ぐらいが
マネーゲームとしての限度ではないだろうか。
 紙で紙を買っているのが今のサブプライムローンの問題だ。所詮、
実態のない経済取引は幻と言うべきか。

 しかし、こうした取引に大きく依存しているのがアメリカの年金で
あり、日本の年金もまたしかりである。資産運用という形で多額の
カネが流れ込んでいると聞いている。いずれどこかに流れ込んだカネ
は新しい投資先を狙っているに違いない。

 お金はあくまで生活の手段に過ぎない。金や銀や価値あるものの
代わりに考え出され、それは売り買いされる物に結びついていた。
お金はお足と呼ばれた時代もあった。つまり足があって常に世の中を
循環しているからこそ価値があって、どこかに貯め込まれた金は
死蔵金と言われ価値を失ってしまう。

 しかし、この死蔵金が増えている。一部の大金持ちの蔵の中や
私達の老後や何かあったときのお金として貯金されている。こうした
お金が滞留することなく流れている状態が健全な状態である。

 そのためには今の税制を変え高所得者からは貯めていても損をする
ように所得税などを高くし、私達の老後のカネは貯めなくても良い
ようなシステムを作ることである。

 そして、紙で紙を買うような実態のない経済活動は厳しく取り
締まるようにしなければならない。また、労働に見合った賃金が
得られるようなシステムを作り、日本の高度経済成長を推進して
きた国内の購買力を上げることである。

 しかし、過去に繰り返してきた公害や大量消費によるゴミ問題は
二度と再び生じては行けない。そのためのリサイクルシステムや
省エネや私達自身の生活のあり方も見直す必要があるだろう。

 少なくとも農業生産の効率化アップと半分以上を他国に依存して
いる食糧問題を早期に解決していく必要があるのではないだろうか。
そのためには私達自身の食生活まで大きく踏み込んだ見直しが
必要だと思うのだが。

 漁業も獲る漁業から育てる漁業へ大きな舵取りが必要だ。そして
漁業に依存している人達が率先して環境問題に取り組んでいくことが
必要だ。何しろ海は漁民にとって自分の畑や田圃なのだから。

 政治を揺るがすアメリカの経済問題は形を変えた黒船だと見えなく
もない。たがの緩みきった政治担当能力を失った幕府(自民党政府)
に対し、開国を迫る黒船(経済基盤を失い政治的権威までも失墜
しつつあるアメリカ)に、いつまで付き従うのかと問われている
ように思われる。

 自主独立の道を模索すべき絶好のチャンスではないだろうか。
そして、政治だけでなく莫大なアメリカ国債を背負わされている
この実態を早期に解決すべき時ではないだろうか。

 時あたかもアメリカの大統領選挙の年である。チャンスは今しか
ない。北朝鮮は素早くこの状況を見抜き核開発再開を宣言している。
なかなかに抜け目のない国である。

 日本も総選挙が近い。今こそ政治体制を変え、新生日本としての
道を模索すべき時ではないだろうか。そのためには私達の貴重な
一票の力を存分に発揮すべき時だろう。
 今こそ日本を変える絶好のチャンスだ。
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秋の雨

2008-10-06 06:13:42 | Weblog
 昨日は一日中雨が降り続いた。最近では珍しいことだ。昔から秋の
長雨と言われ梅雨のような雨の降り方が特長だ。集中豪雨型の夏の雨
から本格的な秋の雨に変わりつつあるのだろうか。
 いずれにせよ一雨毎に秋が深まっていく感じだ。地球温暖化とは
言われながら季節の移り変わりまでもは変わっていないようで少しは
安心した。

 さて、秋が深まるに連れ、柿や蜜柑が色付き始めている。我が家には
柿の木が多い。ほとんどは家内の祖父が植えたものである。裏の畑に
西条柿が二本、家の前に富有柿が一本と愛宕柿が一本ある。そして、
山の畑には私が植えた富有柿が一本と家の周辺だけで五本もの柿の木
がある。

 毎年、花が終わり実が大きくなり始めた頃と、夏から秋にかけて
ヘタムシによる被害が大きいのだが、今年の夏、少しばかり手入れ
したこともあって落ちる実が少なかった。昨年よりはたくさん収穫が
期待できそうである。

 そして、柿と言えば蜜柑と言うように、秋の果物の代表と言えば
蜜柑だろう。我が家には宮川早生という品種が三本ある。いずれも
実をたくさん付け、ほんのりと色付き始めた。
我が家の蜜柑は小粒ながらとても甘い。小粒なのは摘果しないから
だが、我が家で食べる分にはこれで良いと思っている。
 自然落果も多いし、夏場の水不足の影響で秋口の大雨で一挙に水を
吸って表皮の成長が追いつかず、実が裂けてしまい落果することも
多い。従って、摘果しすぎると個数が減ってしまうのである。
 その点、ハッサクや夏みかん、伊予柑は皮が厚いからか、こんな
被害は少ない。

 柿と言えば栗を思い出すが栗も家族が食べるだけのものは十分
あった。栗にも被害は多い。栗の実の中に入り込む虫の被害には
困っている。しかし、熟し始める頃、農薬散布と言うわけにも行かず、
落ちるに任せている。
 従って、一時はたくさん実っているようでも収穫時にはかなり
少なくなっている。それでも家族が口にするには充分である。

 自然とは本当にありがたいものだ。労をいとわず手入れをして
やれば、それだけの収穫は必ずある。しかし、肝心なのは手入れを
する人間の体力だ。やはり年齢には勝てない。

 年を追う毎に農作業がきつくなっている。何とか手入れを最小限に
して作る方法はないものかと考えているが、地球温暖化という思わぬ
天敵が現れ、予測のつかないことがたびたび起きるようになった。

 一つは夏場の異常高温である。そして干ばつとも言えるような
極度の雨不足である。気温が高くなればなるほど植物は水を要求する。
しかし多少の散水程度では追いつかない。

 そして長期の高温により思わぬ害虫が大発生をして追い打ちをかける。
今年の害虫による被害は例年になくひどかった。柿の木にもスモモの
木にも、そして多くの庭木にもイラガの幼虫とアメリカシロヒトリが
同時に大繁殖し、数日の内に木の葉を食べ尽くしてしまった。誠に
すさまじいばかりの食欲である。

 特にここ数年、イラガの幼虫の発生がひどいように思われる。収穫
期のブルーベリーに何度も卵を産み付け収穫に支障が出るくらい困って
いる。これに刺されると驚くほど痛い。そしてひどく腫れてくる。
恐らく冬場の気温の上昇と夏場の高温期間の長さが影響しているものと
思われる。

 なるべく農薬には頼るまいとしているのでよけいに作るのが難しく
なっている。幸いだったのは天候は不順であったが台風の被害が
なかったことである。しかし、今年良かったからと言って来年も
同じだという保障はない。
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