急激な円高と株価の急落はとどまるところを知らない。マスコミは
金融恐慌直前だと報じているが、国内産業の状況を見ていると金融恐慌
そのものではないかと思えてくる。
かつて日本は苦いバブル崩壊を経験し、一時、都市銀行は国有化同然
の状態であった。長い長いデフレ時代は、まさに我が会社生活における
締めくくりの時代であった。
相次ぐリストラや経費節減は限界とも思えるような状況を乗り越えて、
私達が定年退職とほぼ時を同じくして急速に改善方向に向かった。
私達は会社生活最後の段階で業績改善の礎になったと自負している。
しかし、定年を迎えるに当たっても、また、定年後も退社前の業績
だとして何ら表彰の恩恵に預かることもなく、まるで無冠の帝王の
ように会社を去った。
そして、今日である。この間、株価は上昇を続け、いつの間にか
立派な経理内容に復していた。
しかし、そんな会社の株価もアメリカ発という予期せぬバブル崩壊
の余波を受けて見る影もなく暴落している。きちんとした業績を上げ
ながら何故、このような目に遭わなければならないのだろうか。誰も
理不尽さを感じないのだろうか。
当のアメリカは住宅バブルで大もうけをした時期があった。その時
のカネはどこかに眠っており、陰で笑っている奴がいるに違いない。
このまま、国内産業が衰退していけば、私達が定年前に経験した
以上のリストラが行われるに違いない。リストラどころか倒産企業も
多発しかねないような状況である。
底の浅い中国では相次いで倒産企業や工場閉鎖が行われ、多くの
従業員が路頭を彷徨うような事になっている。私達の子ども達世代に
どうか人員整理などが行われないよう願っている。
しかし、輸出型の国内企業は買い手がなければ生産をストップせざる
を得ない。その上、円高である。確かに原材料は入手しやすくなり価格
は下がっている。特に燃料代は大きく下落している。ありがたいことに
は違いないが、これも製品が売れての話である。作っても安くしても
売れなければ何にもならない。
想像以上にヨーロッパもアメリカも冷え込んでいる。まず、輸出相手
国にしてみれば、景気が悪い上に円高ドル安や円高ユーロ安である。
買いたくても手が出ないと言う事情があるだろう。また、アメリカや
ヨーロッパに代わるような市場はない。それこそ開発途上国は食べる
のに事欠くような事になりそうだ。とても贅沢品を買えるような状態
ではない。
では、どこに買い手がいるのであろうか。実に深刻な問題である。
しかし、このような状況はなるべくしてなったと言えなくもない。
何度もブログやホームページに書いてきたが、実態のない経済ほど
不可解なものはない。ものの売り買いのためだけなら必要もないほどの
札束を乱発し、それらは投機という博打に費やされてきたお金である。
お金でお金を売り買いするというばかげたことをやってきた。いずれ
行き着く先は分かっていたと言えなくもない。
お金によって人の価値が決まり、お金に翻弄されるような社会に
変わってしまった。人の愛や優しさまでお金によって変化してしまう
ような全く変な社会になってしまった。
その実態は今の温暖化による気象変動のようにとらえどころがない。
予測しがたい社会状況を作りだしてしまった。便利さのために使った
お金に人間自身が翻弄されるような世の中が果たして正しい世の中
なのだろうか。
今こそ、社会も環境も変えるべき時に来ている。この金融恐慌こそ
天からの啓示とは言えはしないだろうか。さて、時は2008年、
ある人は変わるべき時が来ていると大まじめに話している。その話が
嘘であろうが本当であろうが、今までの人間の浅知恵で考え出して
きたシステムのすべてが行き場のない閉塞状態に置かれている。
政治も経済も社会全体も変わるべき時にあるのかも知れない。
金融恐慌直前だと報じているが、国内産業の状況を見ていると金融恐慌
そのものではないかと思えてくる。
かつて日本は苦いバブル崩壊を経験し、一時、都市銀行は国有化同然
の状態であった。長い長いデフレ時代は、まさに我が会社生活における
締めくくりの時代であった。
相次ぐリストラや経費節減は限界とも思えるような状況を乗り越えて、
私達が定年退職とほぼ時を同じくして急速に改善方向に向かった。
私達は会社生活最後の段階で業績改善の礎になったと自負している。
しかし、定年を迎えるに当たっても、また、定年後も退社前の業績
だとして何ら表彰の恩恵に預かることもなく、まるで無冠の帝王の
ように会社を去った。
そして、今日である。この間、株価は上昇を続け、いつの間にか
立派な経理内容に復していた。
しかし、そんな会社の株価もアメリカ発という予期せぬバブル崩壊
の余波を受けて見る影もなく暴落している。きちんとした業績を上げ
ながら何故、このような目に遭わなければならないのだろうか。誰も
理不尽さを感じないのだろうか。
当のアメリカは住宅バブルで大もうけをした時期があった。その時
のカネはどこかに眠っており、陰で笑っている奴がいるに違いない。
このまま、国内産業が衰退していけば、私達が定年前に経験した
以上のリストラが行われるに違いない。リストラどころか倒産企業も
多発しかねないような状況である。
底の浅い中国では相次いで倒産企業や工場閉鎖が行われ、多くの
従業員が路頭を彷徨うような事になっている。私達の子ども達世代に
どうか人員整理などが行われないよう願っている。
しかし、輸出型の国内企業は買い手がなければ生産をストップせざる
を得ない。その上、円高である。確かに原材料は入手しやすくなり価格
は下がっている。特に燃料代は大きく下落している。ありがたいことに
は違いないが、これも製品が売れての話である。作っても安くしても
売れなければ何にもならない。
想像以上にヨーロッパもアメリカも冷え込んでいる。まず、輸出相手
国にしてみれば、景気が悪い上に円高ドル安や円高ユーロ安である。
買いたくても手が出ないと言う事情があるだろう。また、アメリカや
ヨーロッパに代わるような市場はない。それこそ開発途上国は食べる
のに事欠くような事になりそうだ。とても贅沢品を買えるような状態
ではない。
では、どこに買い手がいるのであろうか。実に深刻な問題である。
しかし、このような状況はなるべくしてなったと言えなくもない。
何度もブログやホームページに書いてきたが、実態のない経済ほど
不可解なものはない。ものの売り買いのためだけなら必要もないほどの
札束を乱発し、それらは投機という博打に費やされてきたお金である。
お金でお金を売り買いするというばかげたことをやってきた。いずれ
行き着く先は分かっていたと言えなくもない。
お金によって人の価値が決まり、お金に翻弄されるような社会に
変わってしまった。人の愛や優しさまでお金によって変化してしまう
ような全く変な社会になってしまった。
その実態は今の温暖化による気象変動のようにとらえどころがない。
予測しがたい社会状況を作りだしてしまった。便利さのために使った
お金に人間自身が翻弄されるような世の中が果たして正しい世の中
なのだろうか。
今こそ、社会も環境も変えるべき時に来ている。この金融恐慌こそ
天からの啓示とは言えはしないだろうか。さて、時は2008年、
ある人は変わるべき時が来ていると大まじめに話している。その話が
嘘であろうが本当であろうが、今までの人間の浅知恵で考え出して
きたシステムのすべてが行き場のない閉塞状態に置かれている。
政治も経済も社会全体も変わるべき時にあるのかも知れない。