人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

旅館くらしき

2008-07-18 06:32:21 | Weblog
 「旅館くらしき」と言えば倉敷美観地区の一角にある老舗旅館だ。
蔵屋敷を改造して造った部屋は落ち着きがあって居心地が良い。
きらびやかなホテルや旅館より日本人にはこのような屋敷が落ち着く
のは何故だろう。
 柱の一部には米食い虫による被害だという小さな穴が幾つも空いて
いる。大きな梁や柱など粗野な作りこそ、日本の伝統建築であろう。

 この日も蒸し暑い日であった。梅雨明け宣言をしたという中国地方
には暑い日射しが照りつけ、日陰を選んで歩かなければならないほど
であった。

 今まで何度も「旅館くらしき」の前を通る事はあっても中に入ること
はなかった。実は、先の夫婦活弁公演の際、映画音楽の作曲と演奏を
してくれたNさんへのお礼にと家内が昼食会を準備した。

 この「旅館くらしき」は、家内にとって思いでの場所であった。
活弁士の佐々木亜希子さんや佐々木さんの先輩の女性達と一緒に
食事をした事があったからだ。
 そんな事からもNさんへのお礼を兼ねた食事会としてはふさわしい
場所であった。本来は二階の見晴らしの良い場所をお願いするつもり
であった。ところが、あいにくクーラーが不調とのことで急遽、一階
の奥の部屋になった。聞けばあの有名な「ヨウヨウマ」が宿泊した
部屋だとのこと。部屋の調度品も由緒ありげな骨董品が多い。音楽家
であるNさんにとってはまたとない部屋になった。

 改装して一周年だという玄関から部屋へ続く内装も明るくて気持ち
が良い。古さと新しさとの融合とでも言おうか。出された食事は野菜を
中心にアレンジしたものが多く、軽い昼食としては味も楽しめ、少し
ばかりの満腹感も感じられて良かった。
 お客さんに出す前には仲居さん達みんなで試食してみて意見が
合わなければ出さないのだという。なるほど、それでお品書きの
材料と出された料理の食材が多少異なるのか。

 この日、Nさんには豪傑児雷也の音楽をCDで頂きたいとお願いを
した。聞けば知人の人形劇に使われている三部作の音楽も未だ使い
続けられているとのこと。
 こうした作品を一同に会しての音楽会を開くのも悪くはない企画で
ある。ぜひ一度、実現したいものである。また、次回「児島活弁シネマ
ライブ」の上映映画「第七天国」の音楽担当もお願いした。喜んで参加
させて貰うとのこと。こころよく了解して貰えた。
 どうやら演奏は今回の夫婦活弁公演で使ったエレクトーンになり
そうである。どんな演奏になるのか今から楽しみである。

 食事を終えて若い女将や仲居さん達に見送られて外へ出ると、そこは
川舟流しの発着場になっていて大勢の人で賑わっていた。堀向こうに
来るときには留守であったKさんが露天の前にいた。「暑いでしょう、
矢吹です。お久しぶりです。お元気ですか」どうやら、すぐには思い
出せなかったようだ。佐々木さんの名前を言うと思い出したようだ。

 変わりなく元気に手作りペンダントを売っているようだ。顔は黒く
日焼けしていた。それこそ夏も冬もこの場所に陣取って観光客相手に
ペンダントを売っている。佐々木さんが気に入ったペンダントを偶然
にも目にしたのも、この場所であった。この場所の露天は美観地区の
風物詩にもなっている。

 Kさんのおじいさんは活弁全盛時代に映画音楽のヴァイオリン演奏
をしていたという人であった。人の縁というものは実に不思議なもの
であった。現代の活弁士が偶然にもその昔活弁に縁があったという人の
孫に出会ったのだ。それも時計をばらして作ったというペンダントが
何となく映画フィルムのリールに似ているという理由からであった。

 私達には自分でも気が付かない何か以心伝心のような世界が存在
するに違いない。光南台公民館のYさんや岡山映画祭の人達との出会い
だってそうであった。活弁を通して幾人の人達と知り合いになった
事であろう。それもなるべくしてなったと言うような知人ばかりで
あった。

 先に剪定を済ませたという柳は早くも枝を伸ばしていた。川風に
吹かれて蔵屋敷に風情を添えている。しかし、蒸し暑い。わずかな
風が心地よい。この日、家に帰り着いたら激しい土砂降りであった。
夜は涼しくなるだろうか。

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