人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

檻の中も外から見れば

2007-03-30 21:11:24 | Weblog
 昨晩は大きな雷鳴と激しい雨であった。季節は冬から春へと、その
せめぎ合いが、あの雷鳴と雨であったのだろうか。そう言えば、もう
燕が町の中を何羽も飛んでいた。何かしら季節は先へ先へと進んで
いるようだ。

 さて今、ライブドア事件に関する一連の裁判が行われている。社長
であった堀江貴文被告に対し有罪判決が下された。被告自身は無罪を
主張しているようだ。その言い分は誰にも損はさせていないと言う
事らしい。
 しかし、株の売買は得をするものがいれば必ず損をするものがいる
はずで、彼らのように粉飾決算で株価をつり上げた場合、騙された
人が必ずいるはずである。彼のように誰も損をしていないと果たして
言い切れるのだろうか。ましてや彼の片腕でもあった宮内被告自身が
粉飾決算をしたと自白しているのである。

 堀江被告と同じような人達は、自分の才覚一つで成功者になったと
いう優越感を持っているようだ。しかし、本当に彼らだけでつかみ得た
成功であろうか。彼らの成功の陰には彼らの犠牲になった人もいれば、
彼らの成功に手を貸したひともいるはずである。会社や商店にしても
億の冨を築こうとすれば多くの協力者なくしては出来ないはずである。
 社会全体を考えてみよう。成功者とはいったい何だろう。この世の
中、みんなが成功者であればその人だけを成功者とは言わない。社会
は色んな立場の人が一緒に住んでいるから成功者は成功者たりうる
のである。
 圧倒的多数の成功者にはなれなかった人が支えてくれたからこそ
自分自身の存在があるのである。この世の中は、ほんのひとにぎりの
成功者と言われる人達と、大部分のそうでない人がいる。それが社会
というものである。その事を考えれば自分の踏み台になってくれた
人達にこそ感謝すべきである。

 今、世界では冨を有する者と、そうでない者との格差が問題になって
いる。経済成長が著しい中国では、社会主義国家とは思えないほど
貧富の差が拡大している。中国の後を追っているインドでも新しい
富裕者層がどんどん誕生していると言われている。どうやら、こうした
傾向は世界的なものであるようだ。そして、常にその最先端を歩んで
きたのがアメリカである。
 しかし、豊かな国だと他国からうらやましがられるアメリカには意外
にも貧困者が多い。ひとにぎりの金持ちがいる社会は健全な社会とは
言えない。お金はみんなが平等に使って初めてよどみなく流れるもの
だからである。大金持ちという淀みを作っては健全な経済社会とは
言えない。

 そのアメリカには金持ちばかりが集まった高級住宅地があるようだ。
周辺を高い塀に囲まれた住宅地には守衛がいて住民以外の出入りを
厳しく制限しているという。ここの住民は、アメリカという激しい
競争社会の中で勝利を勝ち得た成功者達である。
 しかし、一見、塀で囲まれた生活は安全で快適に見えるかも知れない
が、見方によっては檻の中の生活のようなものである。果たして、この
ような生活環境が誇れるような生活なのだろうか。檻の中の生活は
檻の外から眺めれば実に滑稽だとは思わないのだろうか。
コメント (2)
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