今日は8月15日、お盆でもあり終戦記念日でもある。先の太平洋戦争
が終わって61年が過ぎた。その間、日本は平和憲法に守られ空襲で破壊
された街を復興し、産業を立て直し、未曾有の経済発展を遂げてきた。
これは一重に平和憲法のたまものだと言えるのではないだろうか。
一方、世界第一位と言われるほどの経済発展は、金さえあれば何でも
出来るという風潮を生み、拝金主義を助長し、家の中にはないものがない
と言うほどの物が満ちあふれ、その反面、物は満たされても心の中は逆に
空虚になっていくという心の荒廃が進んできた。
最近の調査によると、青少年の40数%は「戦争が起きたらどうするか」
という質問に対し、「率先して戦う」という結果が出たと報じられていた。
これは中国や韓国に比較すると群を抜いて高い数字だと報じられている。
アンケートの取り方がどうだったのか詳しく調べてみないと分からないが
実に驚くべき数字である。
今もなお、世界中至るところで戦争や地域紛争があり、その悲惨さを
知らぬわけでもあるまいが、この数字をどう考えれば良いのだろうか。
彼らが大勢を占めるような世の中になったとき、憲法九条を変える事は
難しいことではあるまい。
いま、NHKの連続ドラマ「純情きらり」では、先の太平洋戦争最中を
背景にした場面が放送されている。テレビドラマだから、その悲惨さや
悲しみの描き方には限界があるだろう。それでも当時の苦しみや理不尽さ
などは良く描かれている。
個人の夢や希望は国家の戦争という前に微塵にうち砕かれ、多くの若者
が戦場に駆り出されていった。そして銃後にいた母や恋人、幼い妹や弟も
また空襲に追われ、食うや食わずの生活を長く強いられてきた。
先日もイラクの現実を知ろうという番組の中で、あたかもウオーゲーム
のようにミサイル攻撃の標的が爆破されるシーンが映されていた。あの
映像だけを見ていると、その下での凄惨な出来事は見えてこない。しかし、
現実は多くの子供達が傷付き、お父さんやお母さんが亡くなっている。
現実の戦争とはこのようなものであり、この現実を見ても若者達は戦争と
いうものを肯定するのだろうか。
アンケートにYESと答えた青少年達は現実を直視した上での回答では
なかったはずだ。ただ格好良いだけでは論じられない悲惨さを秘めたもの
であることを今一度考え直して貰いたい。
明治維新以来、日本は富国強兵政策を前面に押し立てて軍備を強化して
きた。「ああ野麦峠」という映画の中では、舞踏会で華やかに着飾った
男女が外国高官達と踊っている間も、数少ない輸出品であった絹糸を紡ぐ
ための担い手として多くの娘が駆り出され紡績工場へ送り込まれていった。
当初は百円工女とともてはやされた娘達も劣悪な環境と厳しい労働の中
で体を蝕まれ、使い捨ての道具のように時代の片隅にうち捨てられていった。
そうした女工達の血と汗で紡がれた絹糸が日本の軍事力を支えたのであった。
すべては軍事最優先の中にあって、地方の道路も橋も昔のままであった。
国民の生活は二の次であった。
そんな貧しい生活もアメリカ軍の空襲によって、ことごとく焼かれて
しまい、その上、多くの働き手は戦地に駆り出され、殺されていった。
残ったのは荒廃した街だけで、多くの有能な産業の担い手や働き盛りの
男達は戦場に消えていったのであった。
こうした悲惨であった過去を振り返ってみるのが終戦記念日であり、
公約だからと頑強に自分の意志だけを貫き、靖国神社参拝をするのが終戦
記念日ではない。
若者達が二度と再び銃を手にすることのないような国や国際社会にする
ためにはどのようにしたらよいのか、そのことを最優先に考えるべきでは
ないだろうか。それこそ未来を担う若者達のやりがいのある仕事だと思う
のだが。
が終わって61年が過ぎた。その間、日本は平和憲法に守られ空襲で破壊
された街を復興し、産業を立て直し、未曾有の経済発展を遂げてきた。
これは一重に平和憲法のたまものだと言えるのではないだろうか。
一方、世界第一位と言われるほどの経済発展は、金さえあれば何でも
出来るという風潮を生み、拝金主義を助長し、家の中にはないものがない
と言うほどの物が満ちあふれ、その反面、物は満たされても心の中は逆に
空虚になっていくという心の荒廃が進んできた。
最近の調査によると、青少年の40数%は「戦争が起きたらどうするか」
という質問に対し、「率先して戦う」という結果が出たと報じられていた。
これは中国や韓国に比較すると群を抜いて高い数字だと報じられている。
アンケートの取り方がどうだったのか詳しく調べてみないと分からないが
実に驚くべき数字である。
今もなお、世界中至るところで戦争や地域紛争があり、その悲惨さを
知らぬわけでもあるまいが、この数字をどう考えれば良いのだろうか。
彼らが大勢を占めるような世の中になったとき、憲法九条を変える事は
難しいことではあるまい。
いま、NHKの連続ドラマ「純情きらり」では、先の太平洋戦争最中を
背景にした場面が放送されている。テレビドラマだから、その悲惨さや
悲しみの描き方には限界があるだろう。それでも当時の苦しみや理不尽さ
などは良く描かれている。
個人の夢や希望は国家の戦争という前に微塵にうち砕かれ、多くの若者
が戦場に駆り出されていった。そして銃後にいた母や恋人、幼い妹や弟も
また空襲に追われ、食うや食わずの生活を長く強いられてきた。
先日もイラクの現実を知ろうという番組の中で、あたかもウオーゲーム
のようにミサイル攻撃の標的が爆破されるシーンが映されていた。あの
映像だけを見ていると、その下での凄惨な出来事は見えてこない。しかし、
現実は多くの子供達が傷付き、お父さんやお母さんが亡くなっている。
現実の戦争とはこのようなものであり、この現実を見ても若者達は戦争と
いうものを肯定するのだろうか。
アンケートにYESと答えた青少年達は現実を直視した上での回答では
なかったはずだ。ただ格好良いだけでは論じられない悲惨さを秘めたもの
であることを今一度考え直して貰いたい。
明治維新以来、日本は富国強兵政策を前面に押し立てて軍備を強化して
きた。「ああ野麦峠」という映画の中では、舞踏会で華やかに着飾った
男女が外国高官達と踊っている間も、数少ない輸出品であった絹糸を紡ぐ
ための担い手として多くの娘が駆り出され紡績工場へ送り込まれていった。
当初は百円工女とともてはやされた娘達も劣悪な環境と厳しい労働の中
で体を蝕まれ、使い捨ての道具のように時代の片隅にうち捨てられていった。
そうした女工達の血と汗で紡がれた絹糸が日本の軍事力を支えたのであった。
すべては軍事最優先の中にあって、地方の道路も橋も昔のままであった。
国民の生活は二の次であった。
そんな貧しい生活もアメリカ軍の空襲によって、ことごとく焼かれて
しまい、その上、多くの働き手は戦地に駆り出され、殺されていった。
残ったのは荒廃した街だけで、多くの有能な産業の担い手や働き盛りの
男達は戦場に消えていったのであった。
こうした悲惨であった過去を振り返ってみるのが終戦記念日であり、
公約だからと頑強に自分の意志だけを貫き、靖国神社参拝をするのが終戦
記念日ではない。
若者達が二度と再び銃を手にすることのないような国や国際社会にする
ためにはどのようにしたらよいのか、そのことを最優先に考えるべきでは
ないだろうか。それこそ未来を担う若者達のやりがいのある仕事だと思う
のだが。