夏になると思い出すことがあります。それは近所に住んでいたおじさん
やおばさん達のことです。あるおじさんは、朝のラジオ体操の時間になる
と、子供達が集まってくる小さな広場に植えてあった朝顔に、毎日欠かさ
ず水やりをしていました。また、あるおじさんは夕方になると、家の前に
洗面器を持ち出して水虫になった足を硫黄の入ったお湯で消毒していました。
あるおばさんは夏のことなら夕方になると家の前に打ち水をしていました。
また、あるおじさん達は一畳台で床几をするのが、夕御飯の後の日課の
ようになっていました。
私は、こんなおじさんやおばさん達の姿を見ると妙に安心したものでした。
何かしら子供心にも一日が静かに始まり、終わっていくような感じがした
からでした。これら日々変わらぬ営みを続けていたおじさんやおばさんは
平和で平穏な日々の象徴のような姿でした。
そんな大人達の姿を横目で見ながら、私達子供は夜のひとときを近所の
子供達とはしゃぎまわって遊んでいました。
おじさんやおばさん達にとっては、来る日も来る日も変わらない平凡な
日常の繰り返しであったかも知れません。しかし、この変化のない繰り返し
の日々こそが、かけがえのない平和と平穏の日々の象徴だったのではない
でしょうか。
テレビが世の中に登場した当座、電気屋の前は黒山の人だかりでした。
しかし、テレビが各家庭に数多く入り込んでくる頃になると、こんな大人
達の姿も子供達の姿も家の前や路地裏から消えてしまいました。各家庭は
戸を早々と閉ざし、隣は隣、内は内と言うようになってしまいました。
あの平和で平穏な日々の象徴のようだったおじさんやおばさん達、そして
子供達の姿はどこに消えてしまったのでしょうか。
さて、今年も61年前の忌まわしい思い出の季節がやってきました。
八月六日は広島に、八月九日は長崎にと、アメリカ軍による原子爆弾が
投下されました。そして一瞬にして両都市を焦土と化してしまいました。
何万という人の命を奪っただけでなく、生き残った人達にも地獄の苦しみ
を味あわせました。
私も子供の頃、「原爆の子」という映画を観たときに強烈なショックを
受けたことを記憶しています。映画でさえそうだったのですから、現実は
これの何十倍も凄まじいものだったのではないでしょうか。
今、靖国神社に合祀されているA級戦犯の事が問題になっていますが、
先の太平洋戦争で亡くなった多くの犠牲者や私のおじさんの塗炭の苦しみ
を考えると、たとえ他国に裁かれなくとも私達自身が裁いたとしても厳罰
を持って臨んだと思います。戦争責任者の犯した罪は重いと思います。
私のおじさんはニューギニア奥地で戦死したと聞いています。当時、
日本軍は、アメリカ軍に制海権を握られ武器の輸送すら難しくなっていた
と聞いています。それにも関わらず、正しい戦況すら聞かされていない
多くの兵士が送り込まれたのです。
食料の補給もなく医薬品もなく、多くの兵士が酷暑の中でマラリアに
冒され、食べるものもなく飢えで倒れていきました。作戦遂行どころか
銃さえ握れないような状態だったのです。みすみす死地に行くようなもの
だったと聞いています。
結婚したばかりの人生最大の華の時代を死地に赴き、苦しみながら亡く
なっていったおじさんの心情を考えるとき、当時、軍の中枢にいて兵隊達
をまるで虫けらのように死地に追いやった人達を許すわけにはいきません。
日本人は、この過ちを繰り返しかねない民族です。だからこそ憲法九条
はどんな事があっても放棄するわけには行かないのです。あれだけ大きな
犠牲者を出し、近隣諸国に迷惑をかけながら、なおも政府自民党は憲法を
変えようと言うのでしょうか。
今、戦争の記憶が薄れ、戦争体験が遠くへ追いやられようとしています。
戦争体験者が少なくなり、戦争の悲惨さや惨めさを語る人が少なくなって
きました。しかし、私達の世代以上の人は大なり小なり戦争の愚かさを
知っている人達です。どうか声を大にして若い世代に語り次いで頂きたい。
あなた達にしか出来ないことなのです。黙して語らないことが決して良い
ことではないのです。心の内に秘めて置きたいその体験こそ、貴重な教訓
なのです。
若い世代の人の中には先の大戦でどこの国と戦ったかすら知らない人が
増えていると聞いています。風化と言うことは実に恐ろしいことです。
社会科や歴史教育の中で、さして問題にするに当たらない鎌倉時代や平安
時代の事を教えて何になるのでしょうか。歴史年表の時代毎の出来事を
覚えて何になるのでしょうか。それは試験の便宜さだけのものです。
必ず教えなければならないのは明治以降の近代史です。近代史こそ私達
の今の生活に直接関わるものなのです。他国、特に被害国である中国や
韓国では近代史を中心に教育をしていると聞いています。何故、日本だけ
が、この時代の教育に力を入れないのでしょうか。この時代の反省あって
こそ、これからの日本がどうあるべきかという議論になるのではないで
しょうか。文部科学省は、あえてこの時代の教育を避けてと通っている
ような気がしてならないのです。むろん、この時代には反省しなければ
ならないことばかりではなく、良いこともたくさんあったことを付け加え
ておきたいと思います。近代史は面白く決して遠い時代のことではない
のです。
やおばさん達のことです。あるおじさんは、朝のラジオ体操の時間になる
と、子供達が集まってくる小さな広場に植えてあった朝顔に、毎日欠かさ
ず水やりをしていました。また、あるおじさんは夕方になると、家の前に
洗面器を持ち出して水虫になった足を硫黄の入ったお湯で消毒していました。
あるおばさんは夏のことなら夕方になると家の前に打ち水をしていました。
また、あるおじさん達は一畳台で床几をするのが、夕御飯の後の日課の
ようになっていました。
私は、こんなおじさんやおばさん達の姿を見ると妙に安心したものでした。
何かしら子供心にも一日が静かに始まり、終わっていくような感じがした
からでした。これら日々変わらぬ営みを続けていたおじさんやおばさんは
平和で平穏な日々の象徴のような姿でした。
そんな大人達の姿を横目で見ながら、私達子供は夜のひとときを近所の
子供達とはしゃぎまわって遊んでいました。
おじさんやおばさん達にとっては、来る日も来る日も変わらない平凡な
日常の繰り返しであったかも知れません。しかし、この変化のない繰り返し
の日々こそが、かけがえのない平和と平穏の日々の象徴だったのではない
でしょうか。
テレビが世の中に登場した当座、電気屋の前は黒山の人だかりでした。
しかし、テレビが各家庭に数多く入り込んでくる頃になると、こんな大人
達の姿も子供達の姿も家の前や路地裏から消えてしまいました。各家庭は
戸を早々と閉ざし、隣は隣、内は内と言うようになってしまいました。
あの平和で平穏な日々の象徴のようだったおじさんやおばさん達、そして
子供達の姿はどこに消えてしまったのでしょうか。
さて、今年も61年前の忌まわしい思い出の季節がやってきました。
八月六日は広島に、八月九日は長崎にと、アメリカ軍による原子爆弾が
投下されました。そして一瞬にして両都市を焦土と化してしまいました。
何万という人の命を奪っただけでなく、生き残った人達にも地獄の苦しみ
を味あわせました。
私も子供の頃、「原爆の子」という映画を観たときに強烈なショックを
受けたことを記憶しています。映画でさえそうだったのですから、現実は
これの何十倍も凄まじいものだったのではないでしょうか。
今、靖国神社に合祀されているA級戦犯の事が問題になっていますが、
先の太平洋戦争で亡くなった多くの犠牲者や私のおじさんの塗炭の苦しみ
を考えると、たとえ他国に裁かれなくとも私達自身が裁いたとしても厳罰
を持って臨んだと思います。戦争責任者の犯した罪は重いと思います。
私のおじさんはニューギニア奥地で戦死したと聞いています。当時、
日本軍は、アメリカ軍に制海権を握られ武器の輸送すら難しくなっていた
と聞いています。それにも関わらず、正しい戦況すら聞かされていない
多くの兵士が送り込まれたのです。
食料の補給もなく医薬品もなく、多くの兵士が酷暑の中でマラリアに
冒され、食べるものもなく飢えで倒れていきました。作戦遂行どころか
銃さえ握れないような状態だったのです。みすみす死地に行くようなもの
だったと聞いています。
結婚したばかりの人生最大の華の時代を死地に赴き、苦しみながら亡く
なっていったおじさんの心情を考えるとき、当時、軍の中枢にいて兵隊達
をまるで虫けらのように死地に追いやった人達を許すわけにはいきません。
日本人は、この過ちを繰り返しかねない民族です。だからこそ憲法九条
はどんな事があっても放棄するわけには行かないのです。あれだけ大きな
犠牲者を出し、近隣諸国に迷惑をかけながら、なおも政府自民党は憲法を
変えようと言うのでしょうか。
今、戦争の記憶が薄れ、戦争体験が遠くへ追いやられようとしています。
戦争体験者が少なくなり、戦争の悲惨さや惨めさを語る人が少なくなって
きました。しかし、私達の世代以上の人は大なり小なり戦争の愚かさを
知っている人達です。どうか声を大にして若い世代に語り次いで頂きたい。
あなた達にしか出来ないことなのです。黙して語らないことが決して良い
ことではないのです。心の内に秘めて置きたいその体験こそ、貴重な教訓
なのです。
若い世代の人の中には先の大戦でどこの国と戦ったかすら知らない人が
増えていると聞いています。風化と言うことは実に恐ろしいことです。
社会科や歴史教育の中で、さして問題にするに当たらない鎌倉時代や平安
時代の事を教えて何になるのでしょうか。歴史年表の時代毎の出来事を
覚えて何になるのでしょうか。それは試験の便宜さだけのものです。
必ず教えなければならないのは明治以降の近代史です。近代史こそ私達
の今の生活に直接関わるものなのです。他国、特に被害国である中国や
韓国では近代史を中心に教育をしていると聞いています。何故、日本だけ
が、この時代の教育に力を入れないのでしょうか。この時代の反省あって
こそ、これからの日本がどうあるべきかという議論になるのではないで
しょうか。文部科学省は、あえてこの時代の教育を避けてと通っている
ような気がしてならないのです。むろん、この時代には反省しなければ
ならないことばかりではなく、良いこともたくさんあったことを付け加え
ておきたいと思います。近代史は面白く決して遠い時代のことではない
のです。