人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

孫の帰郷

2006-08-23 05:20:23 | Weblog
 久々に娘(長女)夫婦が孫を連れて帰ってきた。今回は息子(長男)の
帰郷に合わせたものだった。実は、娘夫婦の帰郷に関しては、息子には
内緒にしているつもりだった。ところが、どこからかリークしてしまった
ようで息子は知っていた。息子にしてみれば久々に自分一人で親に甘えら
れると思っていたようだ。ところが孫が帰ってきたら孫が主役になって
しまう。少し不満だったようだ。どんなに大きくなっても家に帰れば
甘えん坊の息子である。

 その孫もハイハイが出来るようになった。ハイハイが出来るようになる
と自分の興味あるものまで自分の意志でたどり着くことだ出来る。寝返り
していたときでさえ、寝返りをしながら興味あるものの側まで行っていた
のだから、ハイハイが出来るようになると行動範囲は大きく広がる。
 興味あるものを手にするとその場所でコロンと仰向けになって手首を
クルクル動かしては飽かずに眺めている。そして時には舐めたり口に入れ
て味わっている。こんな小さな子供でも好き嫌いはあるらしく、特定の
玩具を好むようだ。
 孫が我が家に帰ると聞いてから、口に入れては困るようなものは全て
手の届かないところへ移動した。そして、掃き掃除だけでなく、拭き掃除
までして帰りを待った。赤ちゃんの口は目と同じようにセンサーの役割を
している。これは私達の祖先が未だサルだった頃の名残ではないだろうか。

 最近ではお母さんのオッパイではなく離乳食を好むようになったようだ。
離乳食と言っても決して私達が食しているような甘いとか辛いとかという
ような味の濃いものではない。御飯を柔らかくしたもの、カボチャ、ニン
ジン、ジャガイモ等野菜をすりつぶして柔らかくしたものを食べさせて
いる。
 オッパイは食べさせることが間に合わないような緊急の時とか、添い寝
をするときだけ与えているのだと娘が話していた。次第に乳離れしていく
のが嬉しいようでもあり、少し寂しいと笑いながら話していた。
 そんなものを食べるようになったことと、胃や腸が次第に形あるものに
なってきたのであろうか、ウンチも固いものになってきたようだ。たった
八ヶ月ほどの間の進歩である。
 
 誰が聞いても分かるほど泣き声による意思表示もしっかりしてきた。
それに応じて泣き声自体も変化してきたようだ。生まれて三、四ヶ月ころ
の弱々しい泣き声とはまるで異なるような大声を出してみたり、そんな時、
あわてて側に行くと、自分の側に来てくれた事だけで安心するらしく、
また、それまでと同じように玩具の方に向いてしまうのだと話していた。
 これなどは甘えの行動ではないだろうか。赤ちゃんは、赤ちゃんなりの
方法で自己主張や意思表示をしているようだ。

 私達自身が子育ての頃は、ただただ夢中で泣けばだっこをし、気分転換
を図るため別の何かに興味の目を向けさすようにしたりと、それら全ては
当面を何とかしたいという思いで必死だった。
 しかし、改めて余裕ある目で赤ちゃんの行動を見てみると非常に興味
深い思いがする。赤ちゃんは、物言えぬだけに何かを伝えようとしても
伝わらないし、思うように動けないだけに不自由な思いをしている。
それらを泣きわめくことで知らせようとしているようだ。また、本能的な
甘えの行動もあるようだ。それらを見誤らないようにするのは周辺にいる
大人の責任ではないだろうか。
 泣きやまないからと殴ったりけったりするのはもっての他である。
赤ちゃんは痛さと恐怖で余計大声で泣くだけだ。ただ、新米のパパやママ
には客観的に見るだけの余裕がない。余裕がなくてイライラするから手が
出たりするのである。
 私達が子育ての頃も余裕はなかったが、赤ちゃんとは、そう言うものだ
と一生懸命泣きやむようにおしめを替えてみたり、外へ連れ出して気分
転換を図ったものであった。新米の親の場合はそれで良いのだと思う。
 これが二人目三人目になってくると余裕も出来、経験も豊富になって
オロオロする事もなくなって来るのではないだろうか。ともあれ、フランク
永井の歌にもあったように「赤ちゃんは王様」なのである。
コメント
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