ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

第9回山行μ――小岱山はたくさんの人に愛される山でした

2014年02月01日 | ハイキング/山行μや山行χ

2014/1/5  2009年の正月から熊本の実家へ年に二回の帰省をスタートさせました。親のもとへはまったくと言っても過言ではないくらいに、近寄らない息子でしたから、有り得ないような変貌でした。母が認知症にかかり、そんな母と少しでも長く顔を合わせていたいという気持ちがそうさせたのでしょう。
年に3回の長期山行のうち、夏休みと正月休みを山にあてられなくなるわけですから、山屋としては非常につらいわけです。本来ならば、昨年5月に母が亡くなり、もはや熊本へ帰省(?)する必要性はないはずなのです。山へ行こうよと、山友達からの誘いもありました。それでも、今回熊本を訪れたのは、熊本の甥っ子家族が僕にとっても家族同様の存在になってきたからだと思います。そのように感じられる肉親が増えるということは、心地よいことです。
そんなことも、亡くなった母が僕に遺してくれたプレゼントなのだと思います。

ところで、2009年8月には第1回山行μがスタートしています。甥っ子の娘・Mちゃんと一緒に行く山行が山行μなのですが、雨続きで行けなかったこともありますが、コンスタントに帰省のたび1回ずつ積み重ね、今回が9回目となりました。小学校入学前の少女が4年生になっています。今では、大人顔負けの健脚に成長しています。

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▲玉名駅までは熊本駅から鹿児島本線を北へ約30分ほどです。実家のそばからは熊本駅へ直接向かうバスはほとんどないので、交通センター行きへ乗り、駅へ最も接近するバス停で下車。そこから徒歩20分ほどで熊本駅へ着きました。
Mちゃんもだんだんとしっかり者になって来ているようで、朝も早く起きられるようです。「もっと早くだって大丈夫だよ」と言ってくれます。
玉名駅からはタクシーで小岱山(しょうだいさん)登山口の蛇ヶ谷公園へ向かいました。9:15ころ。

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▲蛇ヶ谷公園へはタクシーで10分ほど。春には5000本もの桜が咲き競い、見事なんだそうです。最初は舗装された公園内の道路を歩き、すぐに写真のような土の広い道を歩くようになりました。9:36ころ。

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▲展望所に着きました。でも、この日は晴れてはいるのですが、遠くの景色が霞んでいて、本当なら見えるはずの広々とした四囲が見えませんでした。残念! それでもこの頃はまだ、熊本市内の金峰山や有明海の近くの海岸線は薄っすらと見えていたのですが・・・・ 9:48ころ。

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▲よく整備された登山道が続きます。9:50ころ。

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▲途中、登山道の右側に金比羅様が祀られていました。岩がゴロゴロある小さなピークです。その岩に注連縄などを巻かないようにとの注意書きの立札がありました。ここの岩は御神体ではなくあくまでも金比羅様が神様だということなのでしょう。10:01ころ。

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▲アップダウンもさほどなく、穏やかな山道が続きます。10:11ころ。

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▲S子のすぐ前に竹がかたまって生えています。九州では竹がこのようにまとまって生えているのをよく見かけます。地下茎が遠くへ広がらない種類だということは分かったのですが、名前までは分かりません。10:32ころ。

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▲Mちゃんがキノコを見つけました。S子のザックに付けて家へ持って帰ります。霊芝(れいし)かどうかの同定は出来ませんが、とても似ていますよね。10:46ころ。

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▲笹千里の駐車場です。11:08ころ。

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▲だんだんとヤブツバキが多くなって来ました。花もたくさん咲いています。11:21ころ。

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▲心地よい天気のもと、歩いています。前を行くMちゃん。11:25ころ。

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▲丸山直下の長く続く階段の山道。11:38ころ。

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▲丸山391.9m山頂は展望所になっているのですが、この日はどんどん霞んでいって、ここからはほとんどどこも見えませんでした。休憩をして、出発するところです。12:04ころ。
このコースは人気があるようです。あちらこちらからのコースも多様で、山頂にも次々と登山者が到着します。

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▲この辺りの登山道の両側には、この薄茶色でスルッとした木ばかりが多く生えていました。ヤブツバキだろうとは思うのですが、何故かこの辺りには花が見かけられません。でも、少し行くと花名板がありました。やっぱりヤブツバキです。12:19ころ。

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▲ちょっと急な山道も出て来ます。12:29ころ。

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▲観音岳473mに到着です。子供たちが大勢いて走り回っていました。写真の右に「小岱山」の山名標識がありますが、小岱山(しょうだいさん)というのは丸山、観音岳、筒ヶ岳などの山体を総称する名前のようです。あくまでもこの山頂は観音岳とした方がいいと思うのですが・・・・ 12:38ころ。

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▲観音岳山頂は本当に広いです。野球だって出来そう。写真中央の岩の塔は、紀元二千六百年を記念して昭和十五年に建てられた石碑のようです。12:39ころ。

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▲鎌倉時代の名僧・俊芿律師(しゅんじょうりっし)が宋で勉学の後、ここに観音堂を建てたことから観音岳と呼ばれるようになったとの言い伝えが残っているようです。その時代のものではないでしょうが、現在でも山頂には写真のような観音堂がありました。12:42ころ。
なお、山頂の下方には唐渡岩(からといわ)と呼ばれる巨岩があるのだそうですが、この岩は俊芿律師の徳を慕って中国から飛来したのだと言われているそうです。

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▲観音岳にはあまりもの多くの人がいましたから、休憩せずに素通りしました。すると、この日初めての急下降です。12:55ころ。

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▲今度はこの登り階段! 12:59ころ。

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▲今度は不動明王でしょうか? 13:05ころ。

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▲筒ヶ岳のすぐ手前に、謂れのある巨岩がありました。説明は写真をクリックし、拡大して読んでみて下さい。13:13ころ。
筒ヶ岳城と出ていますが、人によるとここは熊本県下最大級の山城だとか。落城したのは秀吉の頃でしょうか? それとも家康の頃? だいたいその頃だと思います。
それなりの山城だったようですから、金貨財宝の伝説も残ったのでしょうね。

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▲筒ヶ岳山頂です。安土桃山時代まではここにどのような山城が建っていたのでしょうか? 13:14ころ。
この筒ヶ岳は標高501m、小岱山の最高峰です。1247年、武蔵国(今の埼玉県)児玉党の小代氏(鎌倉幕府の御家人)がその戦功ゆえに野原荘地頭職を賜り、ここに城を築いたのだそうです。海軍力に長けていた小代氏は中国とも貿易をしていたそうですから、想像以上に開明的で栄えていたのかもしれませんね。小代氏の治世は340年余続いたのだそうです。

これで小岱山の主だった三峰(丸山、観音岳、筒ヶ岳)を登り終えましたから、小岱山の名前の由来について考えたいと思います。
・直前の文章から容易に想像できるように、小代(しょうだい)氏が筒ヶ岳に城を築いたことで、小岱山と呼ぶことに。
・観音岳に観音堂を建てたといわれる名僧・俊芿律師は中国で勉学して来たのですが、帰国途中に立ち寄った中国の泰山(たいざん)に似ているからそのように名付けた。
・小岱山の麓の町でもある荒尾市には「小岱山正法寺」というお寺があります。俊芿が創建したお寺で当時は筒ヶ岳の八合目付近にあったのだそうです。お寺の山号からも分かるように「岱山」とあります。岱山とは補陀落伝説のある中国は舟山群島にある島で舟山群島は観音信仰の聖地なのだそうです。それで、お寺の山号を「小岱山」とし、その山も小岱山と呼ぶようになった。
ネットで調べると、この3案が考えられるようです。熊本県のHPには2番目の由来が書かれているそうです。しかし、個人的には3番目の考え方に説得力がありますよね。

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▲いよいよ下山です。ガイドブックには来たルートを忠実に戻るコースが載っていました。でも、同じところをまた歩くのはあまり好きではありません。というわけで、写真の標識にもあるように府本バス停へ降りることにしました。4キロしかないようですから、山道ですが、1時間半もあればバス停に到着するでしょう。13:51ころ。

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▲山頂を少し降りるとすぐに、標識が現われました。左へ進む山腹を巻くような山道の標識は「観音岳」へとなっていましたから、あまり考えもせずに、「針の耳、平山」へ下って行く山道を選択しました。13:53ころ。
この選択は間違いだったのです。府本バス停には遠回りの下山道になってしまいましたが、結果的にはラッキーな下山道ともなったのでした。

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▲途中、妙な木がありました。13:57ころ。
樹皮がボロボロと剥げ落ちそうな具合になっているのです。笹千里の駐車場の解説板にこの辺りにはポロポロノキという名前の落葉樹があると出ていました。この木の樹皮もポロポロと剥げ落ちそうですからこれに違いないと思いましたが、ネットで調べると違っていました。それによく見ると、この写真の木は常緑樹のようですよね。
アキニレ(でもこれは落葉樹)にも似ていますし、アカガシにも似ているようです。

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▲分かり易い尾根道を下って行くと、「針の耳」という奇妙な名の岩が現われました。写真がそれなのですが、いったいどのように「針の耳」なのかが分かりません。14:16ころ。

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▲上の写真の中央少し右に黒く三角の穴が開いています。この写真がそれなのですが、向こうが見えるほどの穴があいているのです。14:17ころ。
この「針の耳」とこの穴が「耳の穴」の意でつながっているのでしょうか? ネットで調べてもまったく由来については書かれていません。そうなると、想像するしかありませんが、この筒ヶ岳は山全体が城砦のようなものですから、「針の耳」はもともと「見張りの耳」だったのではないでしょうか? 下から攻めて来る敵の物音がこの岩の穴のそばにいるとよく聞こえていたのではないでしょうか? そんな想像をしてしまいます。

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▲針の耳のそばにはこんな石仏もありました。14:19ころ。
右手に宝剣、左手には如意宝珠を持っていますから、虚空蔵菩薩なのでしょうか? この針の耳で修業をする人がいたのでしょうか?

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▲岩っぽい急下降が時々あります。Mちゃんは上手に下れるようになっています。14:29ころ。

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▲林道の針の耳登山口に降りて来ました。14:44ころ。
最初は林道を右へ行ってみました。右の道の方がわずかに下っていたからです。でも、どんどん北へ東へと向かい、西方向へは行く様子がありません。しばらくしてその間違いに気付き、再びここまで戻って来ました。そして今度は反対側へ林道を歩きます。最初は少し上り坂でしたが、そのうち下るようになります。基本的には山腹を巻いている林道なのですが、そのうちもっと標高を下げることでしょう。
どれくらい歩いたのでしょうか。10分とか20分ぐらいだと思います。林道脇に車が停めてあり、下山したばかりの様子の車の持ち主らしい登山者がいます。挨拶をし、会話を交わすと、「乗って行きませんか?」と言ってくれるではありませんか! 以前も登山者を乗せてあげたことがあるようです。「みんな、府本のバス停へ行くと言うんですけどね、バスの本数が少ないですから、下山する頃にはバスなんてないんですよ」とおっしゃいます。
助かりました。荒尾在住の方で、70歳前後の男の人。自宅に近いJRの駅まで送ってくれることになりました。感謝! 感謝!

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▲南荒尾駅まで送って下さいました。15:50ころ。
下り列車が15:58に来ます。ちょうどのタイミング。
熊本駅ではY子さん(Mちゃんのお母さん)が車で迎えに来てくれて、17時前には帰宅できました。

小岱山は登山者が多く、市民に愛されているいい山です。登山道も整備され、多くの登山口もあって、コースを変えながら何度でも歩ける山だと思いました。しかも、ネットで調べて分かったことですが、歴史との関わりも様々な形であるのですね。また訪れたいと思える山です。


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