ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

お盆山行2日目 ――― 天候悪く、涸沢で停滞。北穂高岳には登りました。夜は飲み過ぎて大丈夫かな?

2022年09月05日 | ハードハイク/北アルプス

夜はあまりよく眠れませんでした。でも、肉体的には疲労もなく、高度馴化も問題なさそうです。夜中には途中で雨も降っていたようですし、強い風も時折吹いていたみたいでした。

 

2022年8月12日(金) パノラマコースと北穂高岳

▲5:10。朝起きて、テントから出ると、涸沢岳や奥穂高岳の中腹に朝陽が当たっていました。稜線は厚いガスに覆われています。このままガスが上がって行き、天候が回復してくれることを願うばかりでした。

 

▲5:13。でも、すぐに東の空からは太陽の姿は消えてしまいました。予報でもこの日の天気はあまり良いものではありません。無理をして前穂北尾根を登るのは危険ですから、早々に前穂北尾根は断念しました。

 

▲7:15。目的喪失の無為な朝の時間が過ぎて行きました。稜線にガスはかかっていますが、この程度のガスの状況なら、登ることも出来たかもしれない、そんなことを思ったりもします。いっそのこと雨が強く降ってくれれば、諦めもつくのですがね。そんなことを思っていたら、ガスが次第に降りて来て、小雨も降り始めました。

 

▲9:57。テントの中でじっとしているのも退屈ですから、9時半くらいだったでしょうか、傘を差して涸沢カールのパノラマコースを散歩しに行きました。K野さんはα米にお湯を注ぎ入れたばかりだったのですが、そのままにして出かけました。ちょっとの散歩のつもりでしたから。写真はパノラマコース途中の見晴岩。もちろんこの日は見晴しゼロ。

 

▲10:24。霧雨の粒を綿毛に纏ったチングルマがとっても綺麗でした。

 

▲10:41。軽い散歩のつもりがパノラマコースを一周して、涸沢小屋まで来てしまいました。僕とS﨑くんはここで昼食を食べました。(K野さんはテントに戻ればα米があるので)

 

涸沢小屋ではWi-Fiの試験運用中だったようで、スマホが使えました。涸沢のテント周辺でも弱い電波は届いているようでしたが、あまり快適ではありませんでした。小屋の中で休憩しながら、明日以降の行動予定を3人で話し合いました。明日も天気予報はあまりよくありません。明日も前穂北尾根は無理そうですし、雨の中、横尾本谷右俣を歩くのも快適ではありません。

話し合った結果、明日は雨の中、徳沢まで下ってテントを張る。そして、明後日にひょうたん池ピストン。そう決めて、会にも山行計画の変更をメールしたのです。

 

▲11:11。涸沢小屋ではこの日の午後の予定も計画しました。その計画も会に報告しておきます。ネットが繋がると、山中での行動変更も連絡できて安心できますね。涸沢小屋を後にするころには雨も止んでいました。テントへ戻ります。

 

▲11:55。テントで少しだけ休憩すると、僕たち3人は北穂高岳へ向かいました。まだガスっていて、時々霧雨も降ったりしていますが、それほど悪天候にはならない予報なので、じっとしているのも退屈ですから出かけることにしたのです。

 

▲12:45。北穂南稜に付けられている登山道には何ヶ所かこのような岩場が出て来ます。

 

▲12:53。谷に溜まった霧の上に出て来ました。曇っていますが、前穂北尾根の下部が見えて来ました。(撮影:K野)

 

▲13:06。1本休憩を取りました。

 

▲13:31。鉄梯子も出て来ます。

 

▲14:32。稜線ではありませんが、縦走路登山道に出ました。

 

▲14:44。ガスの中、北穂高岳山頂です。

 

▲14:45。僕も。(撮影:K野)

 

▲14:58。北穂高小屋で美味しいコーヒーを飲みました。40年近く昔に泊まった時の雰囲気が今も漂っていました。まったく変化がない訳ありませんけれど、この食堂と椅子やテーブルの様子が僕の想い出と重なります。(撮影:K野)

 

▲14:59。最近はどこの山小屋も食事のレベルが上がっているようですが、40年前とかは北穂高小屋の食事の美味しさは有名でした。これだけ標高の高い場所にある小屋なのに、山小屋定番のカレーライスやレトルトハンバーグではなくて、手作り感のあるおかずでした。しかも連泊の客には違うメニューで出してくれていました。食堂にはいつも静かにクラシック音楽が流れていたものです。

 

▲15:34。小屋での休憩を終え、再び山頂に来ると、晴れ間から陽光が山頂に当たります。嬉しいプチ奇跡です。

 

▲15:35。僕たちだけの静かな山頂。(撮影:K野)

 

▲15:35。北穂東稜にも陽が当たっています。その向こうには屏風ノ頭。

 

▲15:44。北穂高岳山頂から少し降りて来ました。

 

▲16:00。登山道を降りて行くと、前穂北尾根のガスがほんのりと薄らいでいきます。全貌が見えるのではないかと、期待を抱かせてくれます。

 

▲16:06。少し薄っすらとガスが残っていますが、ほぼ全貌が現われました!

 

▲16:42。急な岩場を降りて行きます。(撮影:K野)

 

▲16:44。天場も見えて来ました。(撮影:K野)

▲17:03。涸沢と前穂北尾根。

 

▲19:09。この日の夕食担当は僕です。メインディッシュはロイタイのマサマンカレースープ。鶏肉や野菜などを入れて煮るだけで出来上がりです。野菜は家に残っていた野菜を切って来ました。それら全てを冷凍して持って来ました。完全に自然解凍していましたが、悪くはなっていませんでした。他には水でふやかす海藻サラダ高野豆腐でした。毎度、写真を撮るのが遅くなってしまいますね。

 

その夜は、テントの中で大いに楽しい時を過ごしました。 山の話はもちろんですが、映画やアニメや歴史やら、蜿蜒と話題は尽きません。 博識なS﨑君が場を引き締めています。

S﨑君が夜のテントの中で語っていましたが、「吉永小百合とオードリー・ヘプバーンと前穂北尾根」青年の三大憧れなんだとか。 奇妙な説ですが、不思議と納得できる主張ですね。 

その後、S﨑くんが上記の出典を教えてくれました。『日本のクラシックルート』(山と渓谷社)の中で書かれている遠藤甲太氏のコラムです。一部だけ引用します。

「吉永小百合、オードリー・ヘプバーン、前穂北尾根―――1960年代初葉、ぼくらの思春期において、彼女たち(?)は同列だった。ひとしい美への讃仰、憧憬の、はかない恋の対象にほかならなかった。」

前穂北尾根に恋い焦がれた遠藤氏自身、16歳の夏に単独登攀し、前穂高岳山頂ではあまりにも精神が高揚し、鼻血が止まらなかったそうです。残念なことに遠藤甲太氏は2020年5月に病没。享年71歳。幾多の初登記録も持つ優れたクライマーであったばかりでなく、文筆家、登山史研究者としても才能溢れる方でした。

 

僕はと言えば、前夜のアルコール禁止の呪縛が解けて、際限なしに飲み続けています。 赤ワイン、梅酒、ウイスキーを飲み続けています。

気が付くと、真夜中を過ぎていたようで、そろそろ寝ようかということに。 僕はそのまま寝てしまったみたいで、2時ころ目覚めるとシュラフに潜らずにそのまま寝ていました。


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