ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

硫黄島2日目 ――― 島の中央の道を北の端へ散歩しました(その2)

2017年09月09日 | 島旅

2017/3/26  硫黄島は周囲19.1kmしかない小さな島です。しかも、硫黄岳のある島の東半分にはほぼ道はありません。ですから、島中すべてを歩き回ることはそんなに難しいことではないのです。
坂本温泉を訪ね、次に島の北端、平家城跡を巡れば、島の北部はほぼ歩ききったことになるのです。

 
▲硫黄岳の山肌のあちこちから噴煙が上がっています。13:30ころ。


▲硫黄島でもクサイチゴの花は大きいですね。13:46ころ。


▲Y字路へ戻り、今度は右の道を進みます。13:48ころ。


▲途中、こんな看板がありましたから、入ってみることにしました。それにしても、大願成就の島とはどういう意味なのでしょうか? 13:50ころ。


▲山道のような急な道を下って行くと、波が打ち寄せる荒々しい海岸が見えて来ます。沖の白いのは坂本温泉からの温泉水でしょうか? 13:51ころ。


▲S子の髪の毛が逆立っています。風が強いのです。強風で体が揺すられて、S子は橋を渡るのが怖そうでした。13:52ころ。


▲見えて来ましたが、何もありそうではありませんね。13:53ころ。


▲まだ新しい説明板がありました。俊寛等三人が流されて住んだ場所がここではないかとの説があるそうです。確かに、都からの使者が来るか来るかと待ちわびるには島北端のこの場所がいいかもしれませんが、住むのには向かない場所のように感じました。13:56ころ。


▲再び登り返します。14:03ころ。


▲平家城展望台に到着。14:15ころ。


▲展望台からは荒々しい硫黄岳北面が眺められます。眼下の浜には穴ノ浜温泉が湧いているそうですが、降りて行くのは大変そうです。ここも海が真っ白に変色していました。14:17ころ。


▲遠くには竹島も望めます。14:18ころ。


▲海面に陽が当たると温泉水の白色も輝くようです。斜面には草刈りをしている島のおじさんもいました。14:20ころ。


▲展望台には俊寛の像がありました。『第18代 中村勘三郎 三島村歌舞伎「俊寛」上演記念碑』です。勘三郎が亡くなる前の年、2011年10月22日に硫黄島港の長浜海岸で上演したようです。14:21ころ。


▲「平家女護島 俊寛」を熱演する勘三郎の姿でしょうか。島から離れていく船を破れる心を抱きながら目で追う俊寛のシーンなのだと思います。14:33ころ。

ところで、ここは平家城跡と呼ばれている場所なのですが、台地状にはなってはいますが、普通の城跡らしい痕跡は何にもありません。
壇ノ浦で敗れ、落ちのびた平家が追手の源氏を警戒して建てた見張り台のような場所なのでしょう。天気が良ければ、開聞岳まで望めるそうです。


▲島の産業としても重要なツバキからは高品質な椿油が採れるそうです。歩いてきた道路の両サイドにもツバキの畑が広がっていました。15:13ころ。


▲テントに戻って来ました。S子はちょっと疲れたのかな? 16:11ころ。


▲ジャンベスクールの壁を蛾の幼虫らしき虫が這っていました。名前は分かりません。16:20ころ。


▲念願の食料 get! です。港のそばにお店らしき家は見つけていたのですが、閉まっていました。それがさっき行ったら開いていたんです。お店のおばさんが言うには、表の引き戸が開いていたら店も開いているんだそうですね。家に居るときは大抵開いているんだとか。
竹島には店がありませんでしたから、島旅初の生鮮食品です! 鶏もも肉と玉ネギ、ニンジン、ジャガイモ、そしてヨーグルト。冷蔵庫がありませんから、生ものは多く買えません。ヨーグルトもさっそく食べてしまいました。16:30ころ。


▲これから出発です。硫黄島で行きたかった一番の場所。そこへこれから出かけるのです。17:20ころ。


▲海沿いの道をどんどん東へ進みます。17:37ころ。


▲途中、T字路を右に進み、海岸へ近づいていきます。硫黄岳の南斜面が荒々しく近づいてきます。17:49ころ。


▲何やら雰囲気が高まってきましたね~ぇ! 17:52ころ。


▲そうです! これです! 東温泉に入りに来たのです。17:53ころ。

テントからはゆっくり歩いて30分でしたね。普通に歩けば20分くらいで着けると思います。


▲一番上の湯舟はとても熱くて長くは入っておれません。18:04ころ。


▲真ん中の湯舟が最高に気持ちい~い! ロケーションも最高! 18:05ころ。


▲湯舟の少し上の方に石垣で囲まれた脱衣場があります。18:19ころ。

この東温泉は僕の野湯経験の中でも(少ないですが)、最高感動ランクのひとつですね。海岸沿いの野湯で言えば、屋久島の平内海中温泉と双璧でしょうか。屋久島よりも人里離れ、大自然に抱かれ感抜群です。是非とも行って欲しい野湯のひとつですね。


▲島旅のテントの中では食べることが出来そうにないメニューですよ! これは白和え
なぜあるかと言えば、お店のおばさんがくれたからです。昨晩、三島開発総合センターで開かれていた送別会の宴会で出された料理なのですが、残ったので貰ってきたのだとか。それを僕たちにくださったのです。美味しかった! 19:44ころ。


▲熊本市の KALDI で購入したロイタイレッドカレースープです。紙パックに入ったスープに鶏肉、玉ネギ、ニンジン、ジャガイモを入れて煮るだけで、実に美味しいカレースープが完成します。冷蔵庫はありませんから、買った鶏肉は全部入れます。鶏肉がゴロゴロと入っています。19:45ころ。

今日は実に充実した島旅でした。3年間勤めた島の先生家族を見送る場に立ち会え、俊寛堂、坂本温泉、大谷、平家城跡と歩きました。今回の島旅で初めてお店で生鮮食品が購入でき、今日の締めくくりは東温泉でした。
硫黄島は素晴らしい島ですね。見どころ満載の島です。


硫黄島2日目 ――― 島の中央部の道を北の端へ散歩しました(その1)

2017年09月07日 | 島旅

2017/3/26  昨晩は「みしまジャンベスクール」で快適な一夜を過ごしました。椅子に座って食事ができますし、Wi-Fiも自由に利用できます。蛇口をひねれば水は出ますし、水洗トイレもあるのです。快適でないわけがない!

そして今日、硫黄島での2日目が始まります。

 
▲朝、スクール前庭の小高くなった土手から港を眺めました。堤防で釣りをしている人たちがいました。7:23ころ。


▲「みしまジャンベスクール」の全景です。後ろに見える山は稲村岳236.2m。7:23ころ。


▲スクールの食堂に戻って朝食タイム。熊本で購入したクラムチャウダーが美味しかったです。8:08ころ。


▲海藻サラダの乾燥した海草を水で戻します。それを温めて・・・・ 8:23ころ。


▲海草サラダを具にして、インスタントラーメンを作りました。サラミも入っているようですね。結局、今回の島旅では海草サラダに付いているドレッシングは使いませんでした。8:29ころ。


▲港の方でなにやらありそうなので、行ってみました。島の学校の先生家族が硫黄島を離れるようです。10:00ころ。

昨晩、三島開発総合センターであった宴会はこの先生家族の送別会だったようです。


▲島には小学校と中学校があります。中学生が送辞をしゃべってるようですね。10:01ころ。


▲花束贈呈です。10:02ころ。


▲小学生たちも何かを贈ったようです。子供たち同士いつも一緒に遊んでいたんでしょうね。10:03ころ。


▲「また硫黄島へ来てくださいね」といった意味でしょう。10:04ころ。


▲野口先生は3年間硫黄島で教えてくれたのですね。先生にとっても、先生の子供たちにとっても凄く貴重な素晴らしい3年間だったのではないでしょうか? 10:09ころ。


▲硫黄島の子供たちはみんなジャンベの太鼓やジャンベの踊りが出来るのでしょうね。手前の右から2人目の女の子は野口先生の下の娘さんですよね。楽しそうに最後の踊りを楽しんでいました。10:09ころ。


▲島の若者たちのジャンベはさすがにビートも激しくて、こちらも自然と体が弾んでしまいます。10:20ころ。


▲今でもこういった習慣は続いているんですね。紙テープが人と人とを結びます。10:22ころ。


▲ほぼ島中の人が総出でお見送りです。10:25ころ。


▲港からもうすぐ出て行くフェリー。10:27ころ。


▲今日からは天気がいいですから、スクールの食堂から外に出て、テント生活です。朝食後に引っ越しは完了させていました。そして、いよいよ硫黄島の歩き旅です。
「こっちに行くの?」と、S子。「そうだよ」と僕。10:49ころ。


▲スクールから東へ向かい、稲村岳山麓を北上します。見えている山は矢筈山349m。11:01ころ。


▲道路上にはツバキの花がよく落ちています。11:06ころ。


▲向うに聳えている山は硫黄岳703.7m。手前の立派な施設は鹿児島市の冒険ランドいおうじまです。11:12ころ。


▲矢筈山にはたくさんのピークが連なっています。登山道があれば楽しいハイキングが出来るでしょうね。11:15ころ。


▲このスミレが道端の明るい地面にた~くさん咲いていました。でも、その名前は分かりません。スミレは難しいですね。11:17ころ。


▲途中で『俊寛堂』との道標がありました。11:20ころ。

道標の横には謡曲史跡保存会による立札がありました。その解説をそのままここに記します。
『謡曲「俊寛」は、俊寛僧都(しゅんかんそうづ)、丹波少将成経、平判官康頼(へいほうかんやすより)の三名が流されたここ喜界ヶ島(硫黄島)に都から赦免使が着きましたが、俊寛の名だけが赦免状になく、俊寛は我が目を疑い、筆者の誤りかとも訝(いぶか)り、身もだえして嘆き、赦免船の纜(ともづな)に取り付いて帰りたい執念を見せ、激しく感情に狂う有り様を、名文章で謡っています。
 俊寛は独り残され、孤独の寂しさの中でこの地で没しましたが、今も此処を訪れる人々には、俊寛の無念の形相を偲ばせ、切々とした叫び声が微かに聞こえ伝わってくるように思われます。』


▲俊寛堂へ至る道は何とも雰囲気の溢れた道でした。土の道が緑の苔に覆われているのです。あまり訪れる人もいないのでしょうね。人の踏み跡で苔が剥がされたりもしていません。本当に綺麗でした。11:23ころ。


▲これが俊寛堂。俊寛だけ赦免されずに島に留め置かれたその翌年、絶望の果てに絶食して37歳で亡くなりました。島の人々はその死を哀れみ、俊寛の住んでいた場所に霊を祭る神社を建てたのです。それが俊寛堂なのです。
今でもお盆には俊寛の霊を慰める柱松の行事が行われているそうです。港のある長浜海岸で火が燃やされ、その炎は遠く屋久島からも見ることが出来るのだそうです。11:28ころ。


▲俊寛という人物のことはまだよく理解できていませんが、この俊寛堂とそこへつながる苔の道の、南海の離島とは思えないような、ひんやりと閑かな佇まいは、ここだけが異空間のような感じがしました。俊寛が還りたくて身もだえしていた京都の空気が舞い込んで来ているかのようです。11:37ころ。


▲硫黄岳の荒々しい山肌を見ながら進みます。この辺りが北の海岸へ行く道の峠でしょうか? 峠の標高は110mほどです。11:55ころ。


▲この地層は何を示しているのでしょうか? 柔らかいですから、火山活動の様子を示しているのでしょう。12:10ころ。


▲峠を越えて、明らかな下り坂になりました。先には海が見えて来ます。12:21ころ。


▲途中のY字路を左へ進むと、海岸に人工物が見えて来ました。あれが坂本温泉でしょうか? 12:22ころ。


▲舗装された道路は海岸へとつながっていました。12:25ころ。


▲パッと見はなかなか立派です。坂本温泉。12:26ころ。


▲坂本温泉の反対側から眺めるとこんな感じ。お湯はあんまり溜まっていませんね。12:28ころ。


▲また戻って、脚をつけてみました。いちばん熱いあたりは適温です。裸足で歩くと、足裏が痛いですし、場所によってはヌルヌルしていて滑り易い。12:43ころ。


▲海からの風をよけて、S子は石垣の裏にいます。僕もさっきまではそこに居て、コーヒーを飲み、お菓子を食べていました。足湯の場所はいちばん手前です。12:45ころ。


S子も足湯。ここは海に近い側です。12:53ころ。


▲さ~て、坂本温泉へも「さよなら」です。裸になってのんびりと入れる温泉ではありませんでしたけれど、自然のお湯というだけで癒されますね。13:07ころ。


▲坂本温泉前の海です。湧き出している温泉で海が白く濁っています。13:16ころ。

温泉のある島は最高です。硫黄島ももっと温泉を整備してもらえると、嬉しいのですが。旅行者の自分勝手なお願いですが。


硫黄島1日目 ――― 島旅にはつきものの予定外の出来事や島の人の人情に感謝することなど

2017年08月05日 | 島旅

2017/3/25  定年退職後、硫黄島に戻って来て、観光案内所での仕事をされているおじさん(名前は忘れてしまいました。御免なさい)の車に乗せていただき、新しくキャンプ場として使うことになった「みしまジャンベスクール」に連れて行ってもらいました。港の東側にあるのですが、外観からしてすごく立派な建物です。その前庭と裏庭のどこへでもテントを張っていいのだそうです。

ところが、です! 「今日は雨が降ってるから、このスクールの食堂で寝てもらっていいよ」と、言うのです。台所も、そこのレンジも、食器や鍋釜も、なんでも使ってくれて構わない、と言うのです! もちろん、そこは遠慮して自分たちで持って来たバーナーとコッフェルなどを使いましたが。

水やトイレをこのスクールで使ってもいいのは分かりますが、シャワーまで使いなさいと言われて、その使い方を説明してくれたのです。これも、もちろん使いませんでしたけれど。

とりあえず荷物をスクールの食堂において、僕だけがもう一度おじさんの車に乗って、三島開発総合センターへ向かいました。キャンプ場利用の手続きをするためです。
途中、白いクジャクをちらっと見かけました。この島にはクジャクも棲んでいます。

三島開発総合センターの前に、使用中止になった元のキャンプ場に寄ってくれました。センターの裏手にあるのです。キャンプ場の背後には高さ100mほどで1kmもの長さ続いている崖があります。この崖の存在がこのキャンプ場に独特の雰囲気を醸し出していたように感じるのですが、それがアダとなりました。落石があったのだそうです。キャンプ場に直接影響を及ぼすような落石ではなかったのですが、万が一のことを考慮して、使用禁止にいたったようですね。

今回のキャンプ場は有料です。あれだけ至れり尽くせりなのですから、当り前ですよね。一人一泊1000円です。3泊する予定ですから、計6000円を支払いました。 

 
▲奥(窓側)のテーブルを移動して、寝るためのスペースを作りました。テーブルの上でバーナーを使ってもいいと言われましたので、料理を作るのも楽な姿勢で出来ます。15:14ころ。


▲雨も小降りですし、まだ時間も早いので、集落へ散歩に行きました。まずは港の様子。遠くには恋人岬に続く道の橋が見えています。16:06ころ。


▲集落をぶらぶらします。このあたりは普通の町並みに見えますね。16:23ころ。


▲でも、ちょっと裏通りに入り込むと、島の雰囲気になります。16:25ころ。

そして、そのまま三島開発総合センターへ行きました。センターには多くの島の人々が集まって来ていました。どうやらこれから宴会が開かれるようです。


▲センターには温泉もあるのです。大人は100円(島民は無料)で入浴出来ます。ただし、毎日はありません。火・木・土の14:00~19:30。湯温40℃の単純泉です。17:51ころ。


▲センターの温泉からスクールに帰ってきました。のんびりと夕食にします。お味噌汁を飲んでいるようです。18:28ころ。

水は写真右奥の蛇口からもらえます。テーブルの上にPCがありますが、このスクールでは Free WiFi が使えるのです! ですから、硫黄島では毎日PCを使えるのです。


ホタテの貝柱入り中華粥と3種のチーズリゾットも作りました。と言っても、フリーズドライですからお湯を入れるだけです。18:43ころ。


▲焼酎も熊本で購入してきました。18:45ころ。


▲この麻婆春雨も僕たちの定番料理です。19:20ころ。


▲S子は早くもシュラフの中へ。僕はPC。南の島ですが、まだ3月ですから、僕は夏用シュラフ、S子は3シーズン用シュラフです。ちょうどいいですね。20:58ころ。

本当は前もって島の役場と連絡を取って、キャンプ場に泊まる予約等をしておく方がいいのでしょう。でも、僕たちの島旅は基本的には「行き当たりばったり」。テントを張れる場所があるらしい、というくらいは調べていきますが、予定通り船が運航するとは限りませんし、天気も影響するからです。島に到着した日が雨ならば、テントではなく民宿へ直行することもありました。

今日は微妙な天気でしたね。テントを張るにはときおり小雨も降って、地面も濡れていますから、嫌な天気でした。でも、慌てて民宿を探すのも、面倒くさい。
そんな中、スクールの食堂を使ってもいいよ、と言ってくれたおじさんには本当に感謝しかありません。島の人の鷹揚な親切心には驚きますね。


竹島港から硫黄島港へ。わずか40分で次の島へ到着です

2017年07月16日 | 島旅

2017/3/25  昨晩はほろ酔いの頭でPCのメールチェックしたり、FBに書き込んだり、寝る前もそれなりに忙しく過ごしました。そして、柔らかい布団の上で久し振りに心地よく休みました。 


▲朝食をいただき、部屋で干して乾いた洗濯物を取り込み、PCチェックをしたり、朝もなにやかやと用事はありますね。10:20ころ。

宿代を支払いに行きました。台所で女将さんに声をかけます。1泊2食付き二人分の料金を払います。そして、夕食の酒代も。焼酎を2杯か3杯飲んだと思うのですが、料金は1杯分でいいといいます。有り難いですね。


▲荷物をまとめました。これで全部の荷物。11:14ころ。


▲竹島港の待合所です。ここで乗船券を購入します。島から島への移動は1130円。民宿の女将さんのアドバイスもあって、少し早めにここに来ました。11:47ころ。


▲待合室はこんな感じ。11:47ころ。

この日の竹島は小雨が降ったり止んだりの天候。待合所にひとり勤務されている方が、時々外に出て風速や風向きを調べています。その情報を連絡しています。竹島港は島の北側にあるのですが、今日の風は北~北東の風ですから、入港に際しては風の影響を強く受けます。待合所の方がおっしゃるには、入港できるか否かは風次第だそうです。入港できない場合はそのまま竹島を素通りしていくのだとか。
「もし竹島港に入港できても、次の硫黄島港はどうなんですか?」と聞いてみました。僕たちの次の渡航先は硫黄島なのです。すると、「硫黄島は港が南側だから大丈夫」なんですって。


▲フェリーみしまが無事に入港しました。12:27ころ。


▲僕たちは船に乗り込みました。島の人々が荷物を受け取りに集まっています。12:36ころ。


▲出航の定時は12:45ですから、ほぼ定刻ですね。島の方が手を振ってくださいました。12:47ころ。


▲港の外へ出ました。12:51ころ。


▲写真の右には竹島港と竹島小中学校、左にはマゴメ山と高平山が見えています。12:55ころ。


▲オンボ崎とキャンプ場跡も見えています。13:00ころ。


▲竹島ともお別れです。13:00ころ。


▲竹島からも島の姿が見える硫黄島。すぐに近づきます。硫黄島の硫黄岳は雲の中でした。13:13ころ。


▲小雨が時おり降る中、硫黄島港に着きました。何かちょっと不思議なことに気付きませんか? 13:22ころ。


▲港に近づくにつれ、リズミカルな太鼓の音が響いて来ました。建物の中で太鼓を・・・・ 13:26ころ。


▲船から投げられたロープが固定されました。ここの港の不思議にそろそろ気付きましたか? 13:31ころ。


▲独特のリズムの太鼓にあわせて、踊る人もいます。僕の体も踊り出しそう。13:32ころ。


▲フェリーが着岸しました。13:48ころ。

ところで、硫黄島到着早々にまたしても大アクシデント発生!
島旅では島に到着直後、役所の方を探し出して、テントを張る場所を聞いたり、テントを張ることを知らせたりするのですが、なんと! なんと!
この島の港すぐそばのキャンプ場が廃止になったと言うのです!


▲待合所で担当の方をしばし待ちました。13:48ころ。

ここ硫黄島のキャンプ場はネットで調べ、見た限りではとてもロケーションが良く、心地よさそうなキャンプ場だと思っていました。そこが今では使えないなんて!


竹島3日目 ――― 今晩の民宿も決まりましたから、集落を散策しました

2017年07月15日 | 島旅

2017/3/24  民宿で~す! 広~い! 布団がある~っ! 食事を作らなくてもいい~っ! 腹いっぱい食べられ~る! テレビもあ~る!

そして、大事なことですが、Wi-Fiが使えるのです! 島に持って来ているパソコンでメールチェックしたり、FBで近況報告したりできます。竹島では僕のルーターでは捉えることのできる電波が来ていません。

トカラ列島の島旅では携帯電話も使えませんでしたから(docomoだけしか使えなかったのです)、まったく世間とは隔絶した島旅でした。それと比べると、三島村はやっぱり九州本土と近いんですね! 


▲民宿の僕たちの部屋。この後、民宿のお母さんにお願いして、洗濯機を使わせてもらいました。お風呂にも入らせていただき、本当にさっぱりとしました。15:45ころ。

夕食前に、集落を散歩してみることに。


▲民宿のすぐそばの聖大明神社(ひじりだいみょうじんじゃ)です。トカラ列島の神社は独特の形式でしたが、三島村の神社は本土との差異はほとんど見られませんね。17:04ころ。

三島村教育委員会の解説板がありました。それによると、
「祭神ははっきりしないが、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と妃豊玉姫(きさきとよたまひめ)を祭ると伝えられている。伝説によれば、大昔、島の西に大浦(東風浦辺り)という所があり、そこにあった溜池が陥没して、そこに龍神が現れ、化して石になった。その時、神のお告げで聖大明神社を建立し、島の守りにしたという」と書かれていました。


▲「享保」と読めますから江戸時代ですね。17:06ころ。

▲説明板には「神前の唐猫一対は正徳五(一七一五)年鹿児島の石工、平山譽右衛門が竹島石を使って彫刻したものである」と書かれていました。唐猫と狛犬の違いはまったく区別できませんが、どうやらここのは唐猫のようですね。17:07ころ。


▲こちらは阿形の唐猫。17:07ころ。


▲これが神殿でしょうか? 説明板によれば「神殿内の仏像(釈迦像)は廃仏毀釈の難を免れ、今も残り、まことに見事な彫刻である。右手が取れているが、これは、この仏が日露戦争に出かけ、日本のために働いたときに怪我をしたのだと、言い伝えられている」のだそうです。17:08ころ。


▲「井がわ」と呼ばれている水汲み場のいちばん上です。これらの祠は水神様でしょうか? 17:16ころ。


▲すぐ下で「井がわ」に降りる階段がありました。昔は豊かな湧水があったそうです。17:19ころ。


▲水を守ってくださっていたお地蔵様でしょうか? 17:19ころ。


▲昔は豊かに水が流れていたのでしょうね? 17:20ころ。

説明板には「一番奥の水が湧く所を一番川。その次が二番川で飲料水を汲む。三番川は野菜や食器を洗い、四番川で洗濯すると決められ、切り石や玉石で区別した。現在ある番川はコンクリートで仕切られており、流水は各仕切りの中央くぼみから流れ落ちることになっている」と、書かれていました。


▲さらに町を散策しました。ネコがいます。17:25ころ。


▲三匹がかたまって座りました。17:26ころ。


▲町の東の端まで行って、引き返してきました。端といってもほんの少しの距離です。17:35ころ。


▲町の中には小さな畑がところどころにありました。立派な建物は竹島あいあい会館です。島の公民館、集会場のような場所なのでしょうね。17:36ころ。


▲竹島にはネコが多いようです。でも、集落の中のあるエリアに限られていますから、極端には多くありません。17:38ころ。


▲竹島のネコはおとなしいようです。じっとこちらを見ていました。17:40ころ。


▲郵便局です。島唯一の金融機関でもあります。17:42ころ。


▲消防署です。17:42ころ。


▲三島村の村役場は鹿児島市の港のすぐそばにあります。ここは竹島出張所。集会所もあるようですね。17:43ころ。


▲郵便局と消防署、役場の出張所はこの同じ建物にあります。17:44ころ。


▲古い石碑のようなものがありました。S子の後ろ側にもあったのですが、説明板の解説もよく理解できませんでした。もう少し丁寧に案内してくだされば・・・・ 17:47ころ。


竹島小中学校に来ました。平成28年度は小学生10名、中学生4名でした。写真は校庭ですが、港も見えます。すぐに草が生えるので年中みんなで草取りをしているのだとか。17:54ころ。


▲雰囲気のある校舎ですね。昭和32年に建てられたのだそうです。17:54ころ。

民宿に戻り、夕食をいただきました。写真も撮り忘れるほどに、がっついて食べました。お酒も焼酎を頼んで、たっぷりと飲みました。お刺身をはじめ、お魚が美味しかったことは覚えていますけれど、何があったかはすっかり忘れてしまっていますね。とにかく大満足の夕食でした。