お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

桜開花速報・・・その五

2011年05月07日 14時40分40秒 | Weblog
 平成23年5月6日(金)五月晴れ。今日は午後から置賜さくら回廊を探索します。白鷹山越えして白鷹町荒砥から国道348号線に別れ、鮎貝に入ります。

 小路を入った小高い所にあったのが「赤坂の薬師桜」です。満開です。樹齢約970年のエドヒガンです。旧赤坂・深山街道の一里塚のにもなったそうです。また、最上川の洪水のとき舟を繋いだところから「船つなぎの桜」とも呼ばれているそうです。

 こちらの案内には、近隣の農家がこの桜を見て農作業をしたことから「種蒔き桜」とも呼んでるそうです。複数の名前を持ってるので「多羅尾伴内桜」はどうでしょう。

 東もち屋を右手に行くと直ぐ近くに「子守堂の桜」があります。樹齢約1,020年のエドヒガンザクラです。樹下の‘子守堂’には、病弱な鮎貝城主の子どもを育てた後、忽然と消えた子守童女の物語が伝えられています。

 鮎貝駅から急な登り坂を西に向かって車を走らせます。程なくして田圃の中に「十二の桜」が見えます。エドヒガンザクラです。約30年前にはもっと本数が多ったと記憶しております。花びらが散り始め売店は閉じています。

 樹齢約400年の老木の古株が残り、現在の大木は3代目です。「十二」は‘十二薬師堂’の意味の地名だそうです。

 同じ道路を南下すると直ぐに「薬師桜」に着きます。樹齢約1,200年のエドヒガンザクラです。796年坂上田村麻呂が奥州征伐の時に、手植えしたと伝えられています。

 すぐ隣に「釜の越桜」があります。樹齢約800年のエドヒガンザクラです。樹下の三個の巨石は、この地の西の山‘三麺峯’に源(八幡太郎)義家が居陣したとき、この石で竈を築き兵糧を炊いたとの伝説があるそうです。出店が後片付けをしています。

 200年間地域に守り続けられてきた地芝居「高玉芝居」がこの広場に小屋を架け上演します。

 続けて南下しますと「白兎のしだれ桜」があります。樹齢約200年。江戸末期から明治初年の頃、白兎地区の全神社を合祀した際、葉山神社の境内に植えた記念樹だそうです。

 続けて南下しますと「草岡の大明神桜」です。樹高14mは全国2位だそうです。エドヒガンザクラです。

 この奥の‘縄文そばの館’に何度かそばを食べに来たのですが、素通りしていたのです。

 長井市内を横切り、さくら大橋を渡り「伊佐沢の久保桜」に御目文字します。樹齢約1,200年のエドヒガンザクラです。散りゆく花は痛々しさを一層感じさせます。

 以前、この桜の前で伊佐沢小学校の生徒が踊る‘伊佐沢念仏踊り’を見せていただいたことがあります。400年間地域の人々によって守り継がれてきた祈りの民族文化です。出店は売り切れで店仕舞いです。

 長井市に別れを告げ、南陽市の烏帽子山千本桜に参ります。お目当てのしだれ桜は花筵を敷いて迎えてくれます。出店は4・5店と多かったのですが、時刻(16時30分)が遅かったせいか客はほとんどおりません。

 このお鳥居は明治36年建立、継ぎ目なしの石鳥居では日本一だそうです。東日本大震災でもビクともしなかったそうです。注連縄は約300kgで毎年4月18日掛け替えするそうです。

 本日の最後は烏帽子山八幡宮に参詣します。今回だけは「家内安全」よりも「国体護持」「国家安泰」を優先してお賽銭を投げ入れます。今年の桜物語も終章に近づいております。
 例年桜まつり期間は4月末で終わりです。今年は5月過ぎても盛りですが、公でやっているサービスは影が薄くなっています。臨機応変なサービスが求められます。